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   ギルメス

「騎士王、我についてこい!」
 英雄王ギルガメッシュ、またの名を金ピカというように金色の髪、金色の鎧を身につけたギルガメッシュは、尊大な態度と欠片の威厳でセイバーに日に五回ペースで求婚する。そしてこれが今日最後であるはずの五回目だ。
 ギルガメッシュとセイバーの間には、セイバーのマスターである衛宮士郎が挟まれるように居て、またかというような呆れたような目でギルガメッシュを見る。セイバーもいい加減にしろ、あるいは学習能力がないのかと呆れたような目でギルガメッシュを見る。
「ギルガメッシュ、私は何度も断ったはずです。それに――」
 セイバーは少し間を置くようにもったいぶり、口を閉ざす。
「それに、なんだ。なにか問題でもあるというのか?」
 ギルガメッシュは心外だとばかりに肩をすくめ、指を折りながら自分と結婚するメリットを上げていく。
 一つ、女王になれる。――というのはセイバー自体王だから意味がないだろう。それにギルガメッシュも過去の王であるわけだから、まるで意味がない。
 二つ、食費を気にしなくてもいい。――これはありがたいかもしれないが、元々サーヴァントには食事の必要がない。セイバーが食事を必要とするのは魔力の回復と嗜好のためであり、腹が鳴るのを別とすればセイバーは食事を必要としない。まあ、最近はそうでもないが。
 三つ、世界の名具見放題、触り放題。――はセイバーが興味あるか解らないので保留的なメリットだろう。
 ギルガメッシュはそこで指を停止させ、偉そうに胸を張る。どうやら、それぐらいしか思い浮かばなかったらしい。
 セイバーはそんなギルガメッシュにため息を吐き、閉ざした口を開けて言い戸惑ったことを言う。
「あなたは女性ではないですか」
 そう、ギルガメッシュは女なのだ。張った胸こそ鎧で解らないが、十年で伸びた髪は古い少女マンガのお嬢様のように非常にゆるい縦ロールにされ、ギルガメッシュが動くたびにその髪は揺れる。
 それに鎧の覆いのない顔は長い睫毛、整った眉、大きな目、喋る割には小振りの口、同じく薄い唇、それに通った鼻筋。何処からどう見ても整った彼女の顔は、美少女と言うに相応しい造りをしている。
 ギルガメッシュは本来男性の英霊であるが、五十六億の呪いの中になら性別反転の呪いがあっても可笑しくない。多分。そういう訳で、ギルガメッシュは古いマンガのような縦ロールの美少女をやっていた。
 ギルガメッシュはそう指摘したセイバーの言葉を軽く流し、それがどうしたという風に肩をすくめる。
「なに、王は寛大だ。女だろうが男だろうが、愛すと決めたならば性別など関係ない。それに、騎士王も女の身でありながら、女を愛したのであろう?」
 セイバーは少し言葉に詰まってから反論する。
「そ、それとコレとは別です! それにあれは合意の上としかたなくで、……ではなく、私はあなたと共に在るつもりはない」
 ギルガメッシュは仕方がない、あるいはわがままだと言うように肩をすくめたまま目を閉じ、首を左右に振って提示する条件を変えた。
「では仕方がない、(ワタシ)が騎士王と共にいようではないか。雑種、しかたなく貴様の狭苦しいあばら家に住んでやる。感謝しろ」
 ギルガメッシュは不本意かつ、どうして我が。などという顔をしながら、目にも留めなかった士郎の方を見て、「かなり嫌だが宜しくしてやろう雑種」とほざいた。
 士郎は尊大な態度――というよりも傲慢な王様のギルガメッシュに疲れたようなため息を吐き、セイバーに一度目配せしてから少し冗談交じりに言う。
「ギルガメッシュとセイバーの分、食費二倍払うなら考えてやってもいい」
「嘗めるな雑種。それぐらい四倍でも払ってやろう」
 正直、セイバーの為に赤くなっていた家計簿のことを思いだし、士郎は良い笑顔でギルガメッシュの手を取った。
「よろしく、ギルガメッシュ」
「せいぜい、我が快適に過ごせるよう努力しろ」
「シロウー!?」
 この後セイバーの機嫌を直すために、士郎は自分の分の夜ご飯も食べれないほど台所で調理スピード最大限で頑張っていたことは、人の良心で隠してあげるのが大人というものだろう。



† † †



   春之桜、或いは連なり

 桜が舞う。桜が散る。
 刹那の美しさは寂しさを伴い、憂いは麗となる。
「もう、春も終わりだなー」
 まだ四月だと言うのに、大げさではあるが、桜が散ると言うのはそれほどに寂しいということだろう。
 衛宮士郎は落ちた桜の花びらを掃きながら、薄紅に染まる視界を楽しむ。
「シロウ、それでは何時まで掃いていても終わらないのでは?」
「そうだぞ、雑種。すべて散ってから片付ければ良いではないか」
 たしかにそうだろう。桜は掃いても掃いても散り続け、また地面は薄紅に色づく。
「そうだけど、楽しいんだよ」
 それはさながら自らの尾を追いかける犬のようだろうか? と士郎は思いながら笑い、地面を掃いていく。
「ふむ、雑種の考えることは理解できんな。我はそんなものよりもこの団子の方が良いと思うが」
 赤、緑、白と色づけがされた団子の一つを口にし、咀嚼しながらギルガメッシュは呟いた。
 セイバーもかすかに頷きながら、団子を口にする。
 金は十の年を重ねても理せず、剣は元より選び、赤い髪は薄紅に変わる。
 花より団子。本来は理想主義よりも現実主義という意味合いなのだろうが、文字通りを地で行く者、二人。
「ま、幸せは人それぞれだよな」
 士郎は微笑んだ。
「雑種、茶がなくなった」
 士郎は微笑みを苦笑に変えつつ、彼女に最低限のことは教えるべきか、と思った。
 桜の木に箒を立てかけ、士郎は居間で急須を取る。
 青い空に、薄紅が舞う。
 それはさながら、刹那の舞だろうか。



† † †



   俗称、お袋の味

 櫻も散り、木々も温度も夏に向けて準備をする季節の真っ只中、藤村大河ははしたなく茶碗を箸で叩いていた。
「ああもう、うるさいぞ藤ねえ! もういい歳なんだから止めろよ。そういうこと」
「お腹減ったお腹減ったお腹減ったー! 士郎作るの遅いよー」
 士郎は呆れながら弱火で煮込んでいる鍋を見て、まあいいかと、火を止めた。
 続いて換気扇を止め、鍋を少し冷ましてから、中身を深い大鉢に入れる。
 茶色く染まったじゃが芋と玉葱はさぞ美味しいだろう。茶色の中にある赤い人参と緑色のさやえんどうは地味な色彩に映えている。
「ほら、出来たからいい加減、茶碗を鳴らすのは止めろ」
 士郎は元気良く差し出される大河の茶碗を受け取り、その茶碗二杯分はあろうかと言うご飯を盛り、手に返す。
 セイバーの茶碗にも同様に大盛りにし、ギルガメッシュの茶碗のみ通常より少し多いかぐらいに盛る。士郎自身の茶碗にはその中間ほど。最近伸び出した背のせいか、士郎は良く食べるようになった。
「ふむ。以前食べたがこれは悪くなかったな」
 そう言ってギルガメッシュは茶色く煮こまれたじゃが芋を箸で掴み、咀嚼する。
「これは味が染みていて美味しい」
 セイバーは気に入ったようで、どんどん箸を進める。
「うんうん、士郎の肉じゃがは美味しいよねー。時間かかるけど」
「味を染みこませるためだ。速く食べても不味かったら台無しなんだから、それぐらい我慢しろ」
 大河は多少文句を挟みつつも、次々と肉じゃがに手を出していく。それはもう、セイバーが味わってないのではないか、と怒るぐらいに。
「雑種、おかわりだ」
「どのぐらい?」
「そうだな、煮物の味が良いから少し多めに貰おうか」
 一部は戦争、一部は平和。不思議なのは、なぜギルガメッシュが未だにセイバーを諦めないのか、という事ぐらいか。



† † †



   暑い夏の至宝

 その金色の髪は柔らかくなびき、そのしなやかな身体は弓なりに反る。そして彼――否、彼女は口を開き、大きなあくびをした。
「は……ぁ」
 彼女の名前はギルガメッシュという。全ての武具――宝具の原典を持ち、最古の英雄として不老不死を求めた者は、その姿とは合わない武家屋敷の居間で、扇風機の前にあぐらをかいて座り込み、背伸びをするように背を逆に反って涙を滲ませた。
 ひどくアンバランスというか、なにかを間違えたような違和感が抜けない日々を過ごしている。目的はその武家屋敷に住む一人の女性。真実の名ではないが、その女性はセイバーという名前で呼ばれ、戦争をするために呼ばれたはずの剣を取る者だ。その真名はアルトリア・ペンドラゴンと言い、かの有名なアーサー王その人である。
 彼女もギルガメッシュと同様に居間に座り――あぐらではなく正座だが――、そのテーブルに置かれたかき氷を食べている。かけられたシロップは赤色で、食べれば甘い、イチゴ味と呼ばれるイチゴとは違う、『イチゴ味』として確立された味がするだろう。
 彼女が持つスプーンは氷の山を突つき、シャクシャクという清涼感のある音を立てる。
 それに扇風機を独占するようにその前に座り込んでいたギルガメッシュが気づいた。
「騎士王、良い物を食べているな」
「はい。このかき氷と言うものは単純ながら美味しい。特に暑い夏にはとても合っていて、ピッタリと言えます。人の文明、知とは素晴らしいものだ」
「我にも一口よこせ」
 唯我独尊、我侭馬鹿一代という感じでギルガメッシュはセイバーからスプーンを奪おうとしたが、セイバーはギルガメッシュの手を避け氷の山から一匙分をすくい、口に運ぶ。
「貴方には扇風機があるでしょう。ならばかき氷は必要ないはずだ」
「なにを言う。暑い夏に扇風機如きで足りる訳がなかろう。本来ならエアコンが欲しい所だが、雑種が身体に悪いとかでつけないのだ。ならばその他の物を最大限必要とするのは当然であろう。扇風機に当たりたいのであれば、他でもない騎士王の頼みだ。半分は譲っても良い。だから半分、同様に我にもよこせ」
 一口から半分に要求が増えたのは何故か解らないが、セイバーはそれが一口だろうと半分だろうと譲る気はないようで、ギルガメッシュが長々と喋っている間に次々と口に運んでいる。
 あと数口で食べ終わるというのに、セイバーは突然頭を抱えてちゃぶ台に額をつけるよう埋まった。かき氷といえば、のアレだ。急いで食べ過ぎて頭が痛くなる、夏には定番のものだろう。
「フム、半分にも満たないが、差し出すだけ良いとしておこう。他ならぬ我の妻となる者だからな」
 ギルガメッシュはそう言って口端に笑みを浮かべ、少し溶けて来たかき氷を口に運ぶ。
「陳腐ではあるが、悪くはないな。単純であるが故に不純ではないと言ったところか」
 そう批評しつつギルガメッシュは残ったかき氷を全て口にし、涼やかなデザインが夏に合っている、ガラス製の器を空にした。
 セイバーが頭痛から立ち直ると、そこには最後の一口を既に食し終えたギルガメッシュの姿が有った。
「このかき氷と言うものはなかなか悪くないな。単調ではあるが、同時に涼と取れると言う点で優れている」
 かき氷を口にして感想を言うギルガメッシュと空になった器に呆とし、次の瞬間、ギルガメッシュを睨んだ。
「英雄王、私のかき氷を――!」
 涼しそうなワンピース姿だったセイバーは、その怒声と共に暑苦しそうな青いドレスと白銀の金属で造られた鎧を纏い、不可視の剣を手に取る。
「何をそんなに怒っている。領分として扇風機を半分当たらせようと言っておるのだ、悪くはあるまい」
「あ、あ、貴方は! シロウがギルガメッシュが扇風機を独占してるからと、私の為に作ってくれたかき氷を!」
「先程のかき氷は雑種が作ったのか、成る程。ならば我にも作ってもらうとしよう。流石にあれだけでは足りんのでな」
 ギルガメッシュは怒ったセイバーの言葉も話半分に聞き、都合の良いことだけ聞いている。それにセイバーは堪忍袋の緒が切れたのか、不可視の剣を手放し、息を限界まで吸い込み――言う。否、()う。
「貴方は――人の話を聞きなさい!!!」
「くっ、鼓膜が痛いではないか」
「貴方がまるで人の話を聞かないからでしょう!」
 セイバーは怒り心頭と言う感じで腕を組み、青いドレスと白銀の装甲を解いて白いワンピース姿に戻った。
「かき氷ならもう一度作るから、セイバーもギルガメッシュも喧嘩はやめてくれ」
 台所で洗い物をしていた士郎が台所から顔を覗かせ、セイバーはすまなそうに頭を垂れた。
「雑種、我は先程と違う味が良い」
「貴方は、もう――」
 セイバーは続けようとして、深く息を吐いた。無駄だと知ったのだろう。
「シロウ、私は同じ味でお願いします」
 風が吹いて、風鈴が音を立てる。
 暑い夏の日常。



† † †



   曰く、中華ではない

 始まりは藤ねえこと、藤村大河その人だった。
 彼女はスーパーのビニール袋を振り回さんとするような上機嫌で持ち、マウント深山商店街から自分の家――藤村の屋敷に戻ろうとした。が、坂を引き返してその途中の武家屋敷に入る。
 その武家屋敷は衛宮士郎の住み処であり、大河がほぼ毎食時通う第二の故郷ならぬ、第二の家なのだ。とは言っても別荘のような扱いではなく、純粋に彼女が帰るべき家である。
 大河は武家屋敷の玄関扉を勢い良く開き、そして閉め、大声で言った。
「士郎ー、麦茶ちょうだーい」
 気温は三十度を越している。冬木という名の街なのに、夏に暑いと言うのは納得が行かないと暑がりの人は言うだろう。だが、幸いにも大河は暑いのは嫌いではない。むしろ体育系らしく、テンションが上がるタイプだった。
 とはいえ、暑いものは暑いのだ。炎天下の中で昔の体育教師のように水は取るな、なんて減量中のボクサーじみた自殺行為はバカじゃない限りしない。いや、それをあえてやりそうではあるが、彼女は現在そんなことを考える必要も興味もなく、ただ袋の中のものだけが彼女の頭の中にあった。
 士郎は大声で呼ばれて冷蔵庫から冷えた麦茶をコップに注ぎ、「おかえり、藤ねえ」という言葉と共に大河に渡した。大河は士郎に礼を言ってから、すぐに麦茶を一気に飲み干し、親父臭いため息を漏らしてから「っぷっはー、この一杯で頑張れる」なんて親父そのまんまのセリフを口にした。
「で、その用事はその袋?」
「うん、恒例の。お姉ちゃんお昼に食べたいなー」
 時計は十一時を過ぎ、後三十分もすればTV画面にサングラスをかけた司会の番組が映るだろう時間。
「解った。十分時間あるし、作るとしますか」
「やったー! 士郎は聞き分けの良い子だねー、お姉ちゃん良い弟持って感激だよぅ」
 子供のように彼女は喜び、一度士郎を抱きしめてから社交ダンス顔負けのターンをし、居間に駆け込んだ。
「夏ぐらい抱き着くの止めて欲しいよな、暑いし」
 士郎はターンの間に渡されたビニール袋を、それ同士が摩擦する音を忙しなく鳴らしながら台所に入った。

 扇風機は強に設定され、首振り運転でセイバーとギルガメッシュ、それに今来た大河を包む熱を飛ばす。あるいはかき混ぜる。
 実際のところ、いくら扇風機が強かろうと一定以上の気温だと暑い空気をかき混ぜるだけなのだ。多少は爽快感があるだろうが、それでも生暖かい風を強く当てられるだけであり、効果は極めて低い。
「まだ日が上がり切っていないというのに、この暑さは異常ではないか」
 ギルガメッシュはただでさえ薄着の深緑のタンクトップの首回りを摘み、身体に風を送り込む。
「ギルちゃん、そんな薄着なのにそんなことしてたら士郎に襲われちゃうわよ?」
「あの雑種にそんな度胸有るわけがなかろう」
 大河はギルガメッシュのことを長くて面倒臭いという極簡単な理由で「ギルちゃん」と呼ぶ。ギルガメッシュはそんな名で呼ばれたのに当然怒ったが、大河は一歩も譲らず、ならば実力で押し通すとばかりに剣道で勝負を挑んだ。ギルガメッシュも自身の能力に自信が有ったのか、経験もないのに勝負を受け――惨敗した。
 生身の人間――しかも単なる一般人――がサーヴァントを倒すという事実に士郎は驚いたが、それ以上に身体は隙で出来ている――とでもいうようなギルガメッシュの無防備さにも呆れた。なにしろ、面、胴、小手、突きを全て決められたのだ。無防備にも程がある。
 以来、ギルガメッシュは大河のみ普通の人間の中で雑種や下郎などとは呼ばず、「大河」と呼び、「ギルちゃん」と呼ばれることを承諾している。
「うーん、でも最近士郎も身体大きくなってきたからねー」
 衛宮士郎の身長は現在、一七〇センチ半ばである。身体が大きくなったから強気になるという訳でもないだろうが、少なくとも衛宮士郎にとっては背が低いというコンプレックスはなくなっただろう。
「だが暑いものは暑い。雑種がかき氷を作らないのが悪いのだ」
 以前、かき氷でギルガメッシュとセイバーが喧嘩したのと、体を冷やし過ぎるのは体に悪いと士郎に言われて以来、かき氷は日に一杯までと決められていた。そしてギルガメッシュは朝食のデザートにかき氷を食べてしまい、今日はもう食べることが出来ないのだ。
「ふふ〜ん、それも後ちょっとの辛抱よぅ。お昼は冷たくて美味しいモノなんだから」
「そうめんのことか?」
「甘いわね、ギルちゃん。そうめんとかき氷を知ったぐらいで、日本を知った気になっちゃ困るんだから」
 いつものギルガメッシュみたいな態度で、大河はふんぞり返るように言った。
「それは美味いのか?」
「うん。それはもう、海原遊三にも納得させちゃうぐらいなんだから! 冷たさはかき氷には敵わないけどねー」
 ギルガメッシュにははなんのことだか解らなかったが、いつも聞いているお昼のテーマがTVのスピーカーから流れたことに反応し、大河からTVに意識を移した。
 サングラスをかけた司会が一時間出ずっぱりの番組が、テレフォンショッピングを捩った名前のコーナーに入った頃、士郎が大きなお盆を持って居間に現われた。
「昼ご飯出来たぞ」
 そのお盆には四つの皿があり、その上には五つの鮮やかな色があった。緑――千切りにされたキュウリ。黄色――錦糸玉子。桜――細切りのハム。白――もやし。そして最後に赤――トマトが乗っている。それは紛れもなく、冷やし中華だった。
「ほう、色彩は悪くないな」
「ええ。目にも楽しく、食欲をそそります」
「うんうん、やっぱり冷やし中華にはトマトが無きゃねー」
 かかっているタレはゴマではなく、醤油ベースの中華ダレ。冷やし中華と言う名目だけあり、ゴマだれは邪道なのだと大河は言う。いや、あれば彼女は節操なく両方あれば両方食べるだろうが。
 大河はキレイに盛られた具とその下に有る麺を混ぜ、丁度良い具合に混ざった所で音を立てて啜った。
 人によっては一つの具は一つの味で食べたいと思うだろうが、大河は全部混ざるから美味しいのだと主張してやまない。
 セイバーも大河を見習い全ての具材を混ぜ合わせ、派手に音を立てて啜り咀嚼する。
「これは良い」
「ふむ、悪くないな」
 悪くないという言葉には合わないぐらい、ギルガメッシュは笑みを浮かべ、大河に習ってごちゃ混ぜにした冷やし中華を啜った。
 士郎も啜り、「上出来」と頷く。冷やし中華は麺を茹で過ぎると爽快感が減り、案外難しいのだ。
「中華は冷めると不味いって言うけど、コレは別だよな」
 士郎は中華鍋を一生懸命振るう赤い服を好んで着るツイン・テールの彼女を思い出し、苦笑した。
 暑い夏は、まだ始まったばかり。



† † †



   青い、蒼い

 空が蒼い。蒼く蒼く、白い雲さえその日の光で吹き飛ばされたように欠片すらない。
 故に必然、気温は高くなる。季節は夏で、しかも真夏といって良い気候なのだから。
 そんな気候で、比較的涼しい夏を送っていたギルガメッシュとセイバーが耐えきれず、麦茶やかき氷ですら太刀打ち出来ていない。
「雑種、日本の夏は暑過ぎる。そろそろエアコンをつける事を考えるべきではないか?」
 日本の夏は気温はともかく、湿度が高いため不快になる。
「シロウ、私も同感です。この暑さは些か耐え難い」
「んー、じゃあプールに行こうか。人が多いかもしれないけど」
 ギルガメッシュは眉間に皺を寄せ、少し考えて――
「駄目だ。それでは我のセイバーの水着姿とはいえ、その体を下郎共に晒すことになる」
 セイバーはお決まりのギルガメッシュの言葉にも返せないほどに消耗しているのか、あるいは既に突っ込むことを諦めているのか、TVを見ながら少温くなった麦茶をのどに流す。
「行きましょう、シロウ。この暑さをしのげるのなら」
 セイバー自身が賛同しているというのに、ギルガメッシュの反応は渋い。そこで士郎はセイバーが暑がるのを防ごうとするためか、普段はしないようなことをする。
「ギルガメッシュ、ちょっと耳を」
「む、なんだ。普段の功績を認めて聞いてやらんこともない。王の寛大さに感謝しろ」
 士郎も突っ込まない。
 そのまま耳に口を寄せ、セイバーに聞こえない程度の声で囁く。
「逆に考えろ、ギルガメッシュ。セイバーが泳ぎに行くってことは、お前もセイバーの水着姿見れるってことだぞ」
 ギルガメッシュの金髪が揺れて、口元が厭らしく歪む。
「良し、行こうではないか! 水着は我が買おう。雑種、貴様の分も買ってやるからすぐに用意しろ」
 ギルガメッシュが不自然に反対から賛成に切り替えたのセイバーはおかしく思ったが、涼しくなるのは良いことだと思い、追求しない事にした。
 士郎はギルガメッシュの身の変わりの早さに苦笑しつつ、ジーンズにサイフを突っ込み、スポーツバッグにバスタオルを三枚入れて持った。
「終わったぞ、ギルガメッシュ」
「ではさっさと行くぞ、雑種」
「シロウ、プールとは遠いのですか?」
「いや、新都に最近出来たらしいから、すぐに着くよ」
 そう言って士郎たちは新都行きのバス乗り場の方に歩き始める。
 セイバーの頭には麦藁帽子、ギルガメッシュの頭には白いつばの赤いリボンがついた帽子、士郎は野球帽を被る。頭上で輝く日から直接の照りを防ぐためにも、真夏には帽子が必要だ。
 新都まで着いてデパートに入り、水着売り場に行くと複数のカップルが水着を選んでいる。男の方はなんとなく居辛そうにしているのも居れば、興味津々に見回しているのも居た。
「さあ、セイバー。存分に選別するが良い。雑種は早く決めろ」
 あきらかな温度の違いを受け取った後、士郎は男用の水着売り場まで歩き、バミューダタイプのものを適当に選ぶとギルガメッシュの元まで行く。
「決まったぞ、ギルガメッシュ」
「なかなか早かったな、良い心がけだ」
 ギルガメッシュは満足そうに言いながら、水着の前で悩んでいるセイバーを見ている。セイバーは士郎の姿を見つけると、迷った子供が親を見つけた時のように眼を輝かせ、近寄って行く。
「シロウ、水着と言うのはどれを選べばいいのですか? 多過ぎるし、その、過激なものが多い」
「あーうん。良く解らないけど、セイバーにはセパレートタイプが良いんじゃないかな。露出も少ないし」
 ギルガメッシュが士郎の言葉を聞いて士郎に歩み寄り、耳を引っ張って小声で言う。
「雑種、余計な事は言うな。それにそんなものでは水着の意味がない」
「何言ってるんだ、水着は水に入るためのものだろう。意味はある」
「くっ、雑種の癖して我に意見するなど、何年時を積もうが早い! 今の言葉、取り消せ」
 小声で、しかし強く声を発し、士郎に威圧をかける。士郎は士郎で負けず言う。
「いや、でもセイバーの意見は聞かないと駄目だろ。それに、ギルガメッシュだって早く選ばないと」
 セイバーはセパレートタイプの水着の中から向日葵柄のものを選び、ライオンに似ていると喜んでいる。
「く。雑種、貴様のせいだぞ」
 憎々しげにギルガメッシュは言い、自分の水着を選ぶためにさっきまでセイバーが居たセパレートタイプの水着が列んでいる所に行く。
 そしてギルガメッシュは青と白で描かれた花の絵の水着を選んだ。セイバーの選んだ水着を嬉々として受け取り、士郎の選んだ水着を嫌々ながら受け取ると、レジに出してサイフから豪快に諭吉さんを数枚取り料金を支払った。そして三つに分けたビニール袋を貰ってさっさと歩き出す。
「ギルガメッシュ、プールそっちじゃないぞ?」
 という士郎の声で、赤い顔をそっぽ向けながら士郎のところに戻ってくるのが妙に子供っぽかった。

 プールで更衣室に入る前にビニール袋とバスタオルを士郎はギルガメッシュとセイバーに渡し、濡れた水着をこれに入れる様に、と言う。
 そうして士郎は二人と別れて簡単に着替えると、人が何人も居るプールサイドに立ち、涼しそうに泳ぐ人たちを見ながらセイバーとギルガメッシュを待った。
「あ、そう言えば帽子あった方が良かったかな。ギルガメッシュは髪長いし」
 なんて暢気に呟きながら、プールの中で泳ぐ奴やプールサイドで喋っている奴を眺めてると、
「シロウ。すみません、待たせました」
 後ろから声がして、士郎が振り返ると少しピントのズレた蒼と白の空をバックに、大きく成長した向日葵が描かれている水着を着たセイバーが髪を上げて結びなおした格好で士郎に話しかけた。
「早かったな、セイバー。うん、水着似合ってるよ」
 セイバーは少し恥ずかしそうに顔を赤くしてから褒められた礼を言った。
 その間にギルガメッシュが登場に、彼女も長い髪をアップにして高い所で出来る限り団子にし、髪が出来る限り濡れないようにしている。
「一人で入らず待っていたことは褒めて遣わそう、雑種」
 なんていつもの王様発言をし、意外とある胸を組んだ腕で少し押し上げながら士郎を見て眼を細くする。セイバーの大胆な水着姿が見れなかったのは未だ恨みとして残っているらしい。
「うん、ギルガメッシュも似合ってるよ。キレイだ」
 士郎はそんなことを脳天気に言い、ギルガメッシュは「当然」なんて態度で口端を引き上げる。
「じゃあ、泳ごうか。折角のプールだし」
 軽く体操をして、士郎は一番深いプールにゆっくりと沈んだ。水は士郎の胸上辺りまであり、セイバーでは頭まで使ってしまうかもしれない。
「シロウ、では私はこちらで泳いでいます」
 そう言ってセイバーは一段低いプールに入り、体を動かして進む。
「ふむ、では我もセイバーと同じ場所で慣れるとしよう」
 そう言って、ギルガメッシュはセイバーの後を追うように泳ぐ。
 三人が帰る頃には既に日が暮れ、大河のハラペコ度が八十パーセント程になった頃だった。



† † †



   チェイサー・オア・スニィカー

   /1
   黒下の汝、もしくはカンタンな感嘆

 純和風のふとんの中で、まるでそれに似合わない金の髪が乱れる。夏だというのに、今日は異常な涼しさだった。
 いつもは茹るような暑さなのに、その日だけは妙な冷たさだったのだ。冷夏のような涼しさではなく、芯から冷えるような水か雪山の中かという、そんな冷たさ。もっとも、実際そんな温度だったわけではない。普通に涼しい日だっただけだ。ただ、ふとんの中で金髪を乱す彼女にはそう感じられたというだけのこと。
 彼女は寝難そうに頭の位置をずらし、体の位置をずらし、それでもなお寝辛そうに位置をずらし続け、小さく、短く、声を上げる。
 彼女にしてはひどく珍しい。彼女は普段、寝言もなく静かに眠る。さすがに寝返りはあるが、それにしたってささやかなものだ。
 普段の彼女と見比べれば夢か幻かと思うだろうが、それは現実だった。
 寝苦しそうに彼女は眉をひそめ、きつく強く口を締め、まぶたを開けた。上りのエスカレーターをさらに走って上がるような激しい早さで。
 同時に上半身を起こし、肺を伸縮させる。ひどく浅い口呼吸。その金の流れるような髪は寝汗でひどく、パジャマも同様に寝汗で肌に張り付き、さぞ不快であろう。
 涼しい、気温一八度ほどのこの夜で、だ。
「くっ、王である我がなんという無様な――」
 彼女――ギルガメッシュになにがあったというわけではない。ただ、感じるというだけ。悪意か視線か殺意か、ただギルガメッシュは密度の濃いなにかを感じて、それに不安を知ったのだ。
 夜が暗いと当たり前のことが、ギルガメッシュは強く意識させられた。暗いと恐いがイコールで繋がりそうなほど、自信家というよりも自身過剰の彼女が不安がっている。
 ギルガメッシュは空に浮かぶ星と月を見上げる。残念ながら、冬木市では新都が出来てからスモッグか濃くなったためか、星は幽かにしか見えない。
 だが、月は黄白に浮かんでいる。それはまるで――黒いビロードに空いた穴のよう。
「こんなに遅かったか」
 つまらない時、退屈な時、不安な時は、時間の流れがひどく遅く感じる。時計の音がやけに良く耳朶に響き、その時計に妙に苛立ったりするものだ。
 彼女は月を見上げ、気分を落ちつかせる。
 ただ、なにかをせずにはいられなかったのだろう。月を見上げて、時間が進むのを待った。鳥肌が立つほどの肌に毛布一枚を巻きつけて。

「おはよう、ギルガメッシュ。今日はやけに早いな」
 武家屋敷の家主である衛宮士郎は、いつも通りの五時三十分に目覚めたのだが、ギルガメッシュは顔も歯も洗い、眠気まるでなしという感じで居間に居た。
「やけに早く目が覚めてな。そのせいで腹が空いた」
 そう、言葉少なく「早く朝飯を用意しろ」と訴え、士郎を苦笑させる。
「パンで良いなら早いけど、どうする?」
「良い。卵は炒り卵の気分だ」
 士郎は「了解」と返事をし、食パンを一切れオーブントースターにつっこみ、タイマーをセットすると冷蔵庫からバターと卵にベーコンを取りだして、フライパンにバターを入れ卵をお椀に割り、塩とコショウを振ってかき混ぜる。卵に空気が入るように混ぜるとバターが溶けたフライパンに流し、音を立てたすぐさまから菜箸でかき混ぜた。
 すぐ卵は固まり、士郎は半熟の所でそれを取り出すと、ベーコンを代わりにフライパンに入れた。また音が立ち、卵とバターの柔らかな匂いからベーコンが美味しく焼けていく匂いに変わる。
 ベーコンの表面がカリカリになると、それをスクランブルエッグが乗っている皿に置いた。食パンを焼くオーブントースターから音がして、食パンは香ばしいトーストに早変わり。それをスクランブルエッグとベーコンが乗っている皿とは別の皿に乗せ、士郎はちゃぶ台に出した。冷蔵庫から一〇〇パーセントのオレンジジュースを取り、グラスに注ぐとそれもテーブルに出した。
「早いとはいえ、簡素だな」
 ギルガメッシュはトーストにバターを塗りながら言った。



† † †



 その日は、昨日とは反転したように暑かった――。



   /2
   アタックにじゅーご、或いは解明の連声

 暑くなる日とはいえ、朝の六時程から既に暑いわけではない。気温も二〇度そこそこだろうし、過ごしやすい気温といえるだろう。
 ギルガメッシュは食事でわずかに熱を発する体をオレンジジュースで冷まし、TVのスウィッチをONにする。映ったモニターには、肥えたニュースキャスターがトレードマークの蝶ネクタイと黒禄の丸メガネを今日もつけて、『コンニチの狗、畜生』というコーナーに移行させようとしている所だった。
 『コンニチの狗、畜生』と言うコーナーは、一芸が出来る動物を紹介するという、動物で数字取ろうぜ! 的なスピリット溢れる人気コーナーである。
 ギルガメッシュはいつもならそのコーナーで巧みに躾られている『狗、畜生』に感心するところだが、今日の彼女は少し違った。なんというか、呆としているのだ。
 だというのに、ひどく物事に――物音に敏感なのだ。
 食器がテーブルに置かれ、陶器とテーブルの打つかる硬質の音がすれば、彼女は身体を震わせ、音が聞こえた方を睨む。
 それこそいつものように油断と隙などなく、すべての物に警戒している傷だらけの獅子か猫といった様子だった。
 それは実に顕著で、何時もの通り大河が来た時でさえ、
「おっはよぅ! 士郎、ギルちゃん」
 と言う大声に反応して、飛び上がるほどに身を竦ませた、というのだろうか。そんな反応をし、居間の端まで後退ったのだから。
 大河は固まるように引き攣ったギルガメッシュの顔と反応に驚き、眉間に皺を寄せて不機嫌を表し、何時もより二杯も多く茶碗を代えた。

 午後になり、ギルガメッシュの警戒はより顕著になった。風によるざわめきすらも彼女の神経に障るようになり、彼女の神経は磨耗としていく。
 それにより感覚も鈍ったのか狂ったのか、彼女は奇妙なことを言った。
「今日は涼――いや、寒いな」
 額や身体に掻いた汗を拭いながら、彼女はそう言ったのだ。感覚が反転しているか、別の要因があるとしか思えない。
 士郎はそれに疑問を覚えたが、顔を赤ではなく、青白くして言っているギルガメッシュに「ああ、そうだな」と同意した。

 陰。影。
 彼は影から見る。視る。観る。
 観測者とでも呼ぼうか。彼は視続ける。何をでは無く、金の汝を。
 怯える子鹿のように弱々しく、警戒する猫のように用心深く、手負いの獅子のように油断ならない金の汝。
 それはとても見目の良い獣なのだと、彼は理解していた。
 そして彼は我慢出来なくなったのだ。そんなに稀少な獣ならば、すぐにでも手に入れるべきではないか? と思ったその瞬間から。
 それでもミる。彼はハンターでもなければ狩人でもなく、獣を仕留めれるほどの武器を持っているわけでもなかった。故に彼はミることしか出来ず、歯痒さを感じていた。
 彼は振り絞った。勇気などではない。結末の解りきったことをするのはただ歩むと言う行為であり、その結末が哀しみであるならばそれは無謀だ。
 そうだと言うにもかかわらず、彼は歩む。金の汝に、獣に向かって。

 夕方の時間になってもギルガメッシュは警戒を弱めないでいた。いや、むしろ強くなっているだろうか。
 日は赤に朱に燈に燃え、地平線に落ちていく。
 彼女の金色の髪は金朱に染まり、その滑らかで艶やかな輝きが僅かな光を反射させる。それは写真では切り取ることはできず、絵では表現する事かなわず、まぶたに焼きつけては日常に磨耗する、その瞬間だけの名画だった。
 それを蝕む影が在る。体躯は大きくない。中肉中背、顔立ちは良くも悪くも平々凡々と普通だ。士郎のように朱い髪でも一成の様に整った顔立ちでもなく、ただありふれた、と表現するだけしか出来ない顔。服も特に高そうでもなく、安そうなわけでもないTシャツとジーンズで、彼を構成する根源か源素が在るとすれば、それは『普通』だったかもしれない。
 彼はその足音に反応して警戒の睨みをするギルガメッシュに近づき、肺から搾り出すような声でこう言った。
「好きです、付き合って下さい」
 なんてことを。
 姿形だけ見ればギルガメッシュは一級品の美少女だ。故に平凡な彼には届くわけのない、言わば幻想種の獣。そして何よりもその中身が彼と対等足り得ない。その傲慢さに彼は呆れ、その下らなさに彼女は呆れ、故に彼が仕留めようというには無謀が過ぎた。
 彼は呆としたギルガメッシュに言葉が伝わらなかったのかと思い、拙い英語――いや、米語で言う。
「アイラビュー」
 と。正直に言えば、米語ですらなく、日本語。中年の教師が単語の読みだけを知り、教科書通りの日本語を読みをしたような発音で。
 彼はそれと最初の言葉を何度か繰り返し、途中に「もなむーる」なんてフランス語を首を捻りながら言ったりもするが、ギルガメッシュはそのどれにも反応しない。
 言葉の総数は二十五。キリが良い百の四分の一。そうだと言うのに彼は言い続ける。
 そして気づいたギルガメッシュは次第に震え、後退る。その少年の目がオカシイと気づいたから、その少年の感情が異常と気づいたから。
 本来ならば、彼女が極普通であり、あり続けるのだろう彼に怯えるようなことなどそれこそあり得ない。不安ならば自らの宝具を使い、その中の武装を一つ出して投擲すればすべて終わることなのだ。そして、また不安になることすらあり得るはずがない。この世全ての悪を飲み干した彼女ならば、小指の爪を僅かに深く切った程度の憎悪か執着心にも似た感情など、恐れるに足りるはずがない。いや、だからなのか。全ての悪、憎しみ、思いとその傾向を知ったからこそ、悪意にしかなり得ないその少年に恐れを抱くのだろうか?
 あるいはギルガメッシュが男ではなく、女であるからか。未知の恐怖か女性として作り変えられた体の本能がそうさせるのかもしれない。
 平凡、故に愚直に変換された彼は誤解した。つまり、精一杯伝えればなんとかなる。それは努力であり、実らないのはオカシイなどと。
 簡単に、簡素に、簡潔に、単純に言えば、少年は狂っていたのだ。バーサークではなく、歯車がずれて組み上がった狂い。
 彼はいわゆる、ストーカーだった。見守る、観る、誤解する。そういう間違った『愛情』を持って彼は出来上がった。平凡、故に染まりやすく歪みやすい。
 ギルガメッシュは、恐怖した。
「ァ――」
 セイバーと対峙して死にそうになった時でも恐怖せず、泰山の麻婆豆腐でも恐怖せず、その自信を揺らがさなかった彼女が、恐怖した。
 その声は高く、普段よりも一つか二つ高い領域での発声は、まるで子鹿の断末魔のよう。そのように思ったのは狩人か、獲物か。
 その声で道場から駆けつけた士郎は、異常な眼の彼と異常な怯えのギルガメッシュを見て、手元にあった竹刀を構える。
「出て行け、そして二度と近寄るな。警告じゃなくて――宣告だ」
 鋭く息を切り、士郎は言う。少しでも異議があるならば竹刀が体を討つと、意思と眼で言う。
 彼は歪みから引き戻され、鼻先にある竹刀に恐怖してその場を去った。
 構えを解き、士郎は竹刀を畳の上に置いた。
「もう怖くないぞ」
 ギルガメッシュは少し遅れて頷き、出された士郎の手を素直に握り返した。強く、強く、サーヴァントの能力全開にして。
「ギ――ィ! それはちょっと拙いんじゃないかな、ギルガメッシュさん。っていうか、ホントにヤバイ! 骨が歪むー!」
 ギルガメッシュはサーヴァントの身体能力を利用して手を引き、士郎の身体を崩して――全身よ軋めとばかりに抱き締めた。もとい、締め付けた。
「遅い! 遅い遅い遅い遅い遅い! 雑種、貴様のせいで――!」
 無茶苦茶だが、それだけ怖かったということなのだろう。士郎はそう感じ、記憶にない母親のように精一杯身体を軋ませるギルガメッシュの背を撫でる。
「鍛錬してて遅れた。今度かき氷一杯作ってやるから許してくれ」
「……王は寛大だ、許してやる。ありがたく思え、雑種」
 冷たい身体を精一杯使って抱き締めるギルガメッシュに微笑ましくなって、士郎はギルガメッシュに寄りかかった。
 以前、大河が気をつけろと言っていた事が本当になったか? なんてギルガメッシュが慌てたが、なんのことはない。単に士郎が痛みに耐え切れなくなって意識を切断しただけ。
 彼女は冷や汗で冷たくなった身体を包む士郎の温かさに戸惑ってから、叫んだ。
「雑種ー! 死ぬのはまだ早い、せめてかき氷を作ってからにしろ!」
 なんてことを。
 この後、道場から来たセイバーに色々と誤解されたりするが、それはまあ、なんということでもないだろう。
 今回の事件で変わったことがあるとすれば、ギルガメッシュの士郎への態度の軟化と、挨拶変わりの求婚が五回から三回に減ったことぐらいだろうか。



† † †



 さて、ここに一枚の券がある。その券はサービス券で、期日は今日までしか使えない。そのサービス内容とは、ファストフードショップの割引券だ。一枚で全ての商品に使用でき、その券一枚で三回使用出来る。そして、その券の効力は全品半額という破格のものだ。
 それを使うべきか否か、セイバーと呼ばれる衛宮家の食客(いそうろう)その一は悩んでいた。
 ファストフードショップの食事は対して美味いものではない。いや、不味いとはっきり言えるものもあるだろう。しかし、早く腹を満たすという点で置いては非常に優れているのも認めるべき点だろう。
 しかし、彼女に時間がないわけではない。むしろ暇である時の方が多いといえよう。三人もの食客を抱える家主、衛宮士郎と比較するならば。別に彼女が暇に感けて日々居間で寝転がり過ごしているわけではない。道場で正座をして瞑想をしたり、士郎と試合をして彼を強くするべく打ち負かしたりしている。が、それでいいのだろうか、と彼女は常々思っている。
 普通に暇で居間に寝転がって過ごしている金髪の非常に緩い縦ロール少女は、傲慢な発言や迷惑な行為で士郎や彼女を困らせてはいるが、立派に食費を払っている。しかも自らの分と彼女の分の費用を四倍にした金額を。それは彼女が衛宮家に住む時に侮るな、として発言したものだったが、彼女は数ヶ月の間それを納め続けている。それに対して、自分はどうだ、とセイバーは自分を評価した。
 住み処は士郎に提供され、食費はギルガメッシュに、衣服は士郎と学友である遠坂凛に提供されていて、自らがどうにかした物など一つもないのだと、セイバーは今更ながらに気づいて愕然とした。これではまるで、自分は人から物を貰うだけで自ら行動をしない、自らが忌み嫌った貴族ではないか。
 その暮らしや貴族が悪いとは言わない。そのような生活は事実、楽であり、不満など一切ない良いものであった。それは認めよう。だが、それに馴染んで腐るような真似だけは、かつて王であった自分の名にかけてもしたくないと、彼女は決意した。
「これは、由々しき自体だ……」
 自らが味の不味さと値段の安さで悩んでいたような事が馬鹿げて思え、彼女はそのサービス券を細切れに破いてゴミ箱に捨てた。実際販売されているものとは明らかに違うハンバーガーの姿が印刷されたカラフルなサービス券は、舞うようにゴミ箱に散らばる。
 騎士王は思考する。戦争中に効率的に作戦を考えただろう脳は一速から順に速度を上げ、最大速になる。普通ならば思考速度を最大速度で使用すること自体が稀であるし、出来る絶対数自体が少ないことだから、彼女の凄さが解るだろう。ただ一つ残念だったのは、彼女が衛宮士郎にとって役に立つと思われる知識、経験、技術が不足していて、ほとんどが机上の空論じみた現実感のない案だったことだろうか。
 故に彼女が至った結論は最も安易であり、彼女にしては妥協に過ぎず、満足することでもないだろう行動に過ぎない。つまりは、
「シロウ、今日から私が買い物に行きます」
 まあ、そう言うことだった。



   おつかい。〜セイバー奮闘〜



「えーっと、セイバー。急になんでさ」
 彼は口癖を零しながら、何故買い物に行こうと思ったのかをセイバーに問う。
「私はシロウの役に立ちたい。理由がそれだけでは不満ですか?」
 細かな経緯など要らず、結論だけを出してセイバーは簡潔に言う。つまりはまあ、情けない自分をマスターである士郎に言うのが嫌だったという、単純な理屈なのだろう。それを聞けばギルガメッシュはなぜ雑種の役に立とうとして我の役に立とうとしないのか、などと思っただろうが、彼女は夕方の子供向け教育番組に夢中だった。人間の教育方法が滑稽で面白いと大人ならではの斜めっぽい楽しみ方をしている、と彼女は言っているが、ギルガメッシュ自身、目を輝かせているような気もするから、それが建前か本音かは怪しいところである。
「いや、役に立とうとしてくれるのは嬉しいけど、単純に買い物って言ったって結構難しいんだ。質の良し悪しを見分けなきゃいけないし、それで値段も安くなきゃいけない。それに値段を高めに設定してある所と交渉して値段を下げてもらったりしなきゃいけないし、結構大変なんだけど……」
 と、セイバーを心配したような口調で士郎は言うが、それがセイバーには任せられないから止めておけとでも聞こえたのか、
「大丈夫です。眼なら多少の自信がありますし、遠くまで行くための脚力もあります。それに私とてかつては王でした、多少の弁は立つ。それでも私が心配ですか?」
 と、多少喧嘩腰に近い口調で反論した。
「……解った。そこまでいうなら買ってきてもらうよ。買うものはメモして渡すから、それを買ってきてくれ」
 士郎はメモ帳にボールペンで買う物をリストアップしたものと、それを買うだけの金額より僅かに余裕のあるサイフをセイバーに持たせた。
「では行って来ます、シロウ」
 戦闘の時のような役に立てるという誇りと緊張感を胸に、セイバーは出動した。
 セイバー(おつかい用改修型仕様)の初戦の相手は八百屋だった。購入するターゲットは長葱と大根にキュウリ、トマト、ピーマン、レタスと書いてある。
 それを読み込んで買う物を理解してから、彼女は売り物を凝視する。昼間の内に畜えられた熱が篭って暑くともセイバーは気にすることなく、商品の質を選別する。
 そして理解した。そう言えば私は野菜の良し悪しを理解するコツなど知らなかった、と。
「主人、長葱と大根、キュウリ、トマト、ピーマン、レタスを貰おう。なるべく質が良く、安いものならなお良しなのですが」
 解らないことがあったらそれを専門としている人に知恵を請う。それが王時代で彼女が解ったものの一つだ。王が全部出来る必要はない。ただ、全部に影響が出せれば良いのだ。
 八百屋の主人は少し困った表情のセイバーに鼻の下を伸ばしながら、その実たしかな目利きで今ある安い野菜の中から質の良い物を選ぶ。それを両手で抱えながら、値段を計算して言った。
「ふむ。……心苦しいのですが、もう少し安くしては頂けませんでしょうか? 残念ながらそれではすべての材料を買えなくなってしまう」
 主人は思案し、先ほど提示した値段より二十パーセントほど値下げした。随分と気前の良いものだが、それでは最初から高めの値段設定をしているようだと思われるかもしれない、と八百屋の主人は思ったが、セイバーは素直に値段を下げてくれたことに感謝し、言われた金額を出した。
 主人は安堵し、金額を受け取ってから定番の「毎度」と言う言葉を大声で発しながら、どう見ても日本人ではないセイバーの流暢な日本語を随分勉強したのだろう、と感心しつつ店の奥に引っ込んだ。
 このような様子で肉屋でも買い物を終え、セイバーは良し悪しを見抜けなかったことから、買い物は出来たとはいえ勝負に負けて試合に勝った、複雑な境で帰り道を歩く。
「食べることなら得意なのですが……」
 食べることと美味しい物を作る材料を選ぶことはまるで違い、ひどく難しいのだと解り、ある意味ではセイバーにとって学ぶべき日であった。
 過程を知らずちゃんと買えたセイバーを士郎が誉める時、複雑な感情になりながら自分は役に立てたのだと思い素直に喜びつつ、別の役に立てる道を考えるセイバーであった。
 ギルガメッシュはその後ろで子供教育TVを堪能し、満足げにため息を吐いていた。



† † †



   今更に冬へ行くために 前編「冬服」

 夏も過ぎ、九月も半ばになったというのにギルガメッシュは、薄手のキャミソールの上からTシャツを着るなんて薄着で、下は膝辺りまでのタイトなハーフパンツといった恰好、それこそ夏真っ盛りの小学生みたいな服装の彼女は実に元気に過ごしていた。以前、ギルガメッシュが「英霊が体調を崩すなどと、それこそありえない」と豪語しちゃったのだが、肌寒くなってきたこの季節でもそんな恰好をしていられるのを見ると、まんざら嘘でもなさそうだ。
「くしゅん」
 いや、嘘かもしれない。

「雑種、服を買いに行くぞ」
 ギルガメッシュはキャミソールとTシャツを重ねた上に薄手のシャツを羽織り、タイトなハーフパンツの上にも裏側がメッシュ素材のパンツを履いている。体調は崩れないのかもしれないが、寒さや熱さを感じるのは夏で証明されていたのだけども、涼しくなっていて気分も良くなっていたギルガメッシュは勘違いを起こしたらしい。というわけでセイバーに滅多打ちにされ道場の床にへばっていた士郎の服の襟を引っ張り、強引に道場の外に連れ出そうとしたギルガメッシュは、背後からセイバーの一撃を受けて先ほどの士郎同様、地面にうずくまることとなった。
「痛いではないか、セイバー」
 目の端に滲む涙を手の甲で拭いつつ、ギルガメッシュはセイバーよりも高い背を利用して上から睨みつける。睨むことに意味などないし効果もないのだが、仮にも英雄王としてのプライドに障り、竹刀一発でノックアウトという事実をどうにも上手く呑みこめないのだろう。まあ、士郎たちはそんなプライドが存在すること自体知らなかったりするのだが。
「痛いではないか、じゃありません。今、シロウは修行中なのです。服を買いに行くだけならば一人で行けばいい」
 セイバーはギルガメッシュのせいで疲労の上に瞬間呼吸困難とギルガメッシュが床に倒れこんだせいで床に強く体を打ちつけ、荒い息を正すのも忘れて痛んだ部分を押さえている士郎を座らせるような恰好にさせてからギルガメッシュを睨み返す。鋭い眼光を見せつけるセイバーに対し、ギルガメッシュは背の高さ故か根拠もなさそうな自信を持って、セイバーの睨みをまるで春のそよ風のように気持ち良く流していく。実際はセイバーと顔を近くに寄せ合っていて嬉しいとかそんなあたりかもしれないが、実のところギシギシとした雰囲気で一番被害を受けている士郎が打撲しそうな竹刀と床に打ち付けた痛みを我慢しながら立ち上がり、二人を仲介する。
「えーと、とりあえず俺が負けて一区切りついたし、休憩を兼ねて服を買いに行かないか? それなら文句ないだろう」
 セイバーは少し不満そうに頷き、ギルガメッシュはそんな展開を予想していたように気分を下げず、士郎にさっさと準備をさせる。といっても士郎がするのは部屋からマフラーを取ってきて首に巻きつけた程度の準備だ。
 セイバーはいつものブラウスとスカートに士郎のブルゾンを借りて羽織り、出かける準備万端である。この三人の中でまだ夏っぽいのはギルガメッシュただ一人で、実に異様な光景だ。まるでブラジルから日本まで直通で来たら実は冬でしたとでもいうような。
「あれ……って言うか、ギルガメッシュ十年ぐらい日本に住んでるんだから、服なんて沢山持ってるんじゃないか?」
 玄関でバスケットシューズのような背の高いスニーカーを靴べらを使って履きつつ、士郎が疑問を口にした。が、ギルガメッシュは「言峰の所に取りに行くのが面倒臭い」と素晴らし過ぎる言葉を吐いてセイバーに再度睨まれたりしつつ、和やかな雰囲気で以前水着を買いに行った新都のデパートに三人は繰り出した。
 ギルガメッシュはハンガーにかけられた暖かそうなセーターから、その背では膝下かくるぶしあたりにも届きそうなコートまでを大雑把に眺めると、安物のワインを呑んだような渋い顔になり、片っ端から自分の体に当て、セイバーと士郎が居る方を向く。
「我のセンスには合わんが、買わないというのも困る。セイバーと雑種で我に合うと思うものを決めてくれ」
 士郎は苦笑しつつ、セイバーはギルガメシュのように安物のワインを呑んだような渋い顔をしながら一応、選別した。
 その結果セイバーの分と少量士郎の分も買い、荷物持ちはもちろんの如く士郎だったのはしょうがないだろう。
 ギルガメッシュは早速買ったマフラーとコートを羽織り、良い気分で帰宅した。



† † †



   今更冬へ行くために 後編「白銀の中で」

 穂群原学園の二学期も終わり、士郎は一応そこそこの成績で二学期を終えて、追試なんてない少しのんびりとした冬休みを過ごしていた日のことだ。昨日の夜はまるでそんな気配がなかったと言うのに、朝起きて見ればそこは真っ白い世界になっていた。こんな日に土蔵で眠ってたら凍死してたかもしれないなあ、なんて士郎はずいぶんとのんびりしたことを思っていると、寒さに目を覚ましたギルガメッシュと大河が珍しく朝から庭で駆け回っているのが見えた。士郎は一度目を擦ってから大きく欠伸とため息の交じり合ったものを吐き出しつつ台所に行き、冷蔵庫を覗いて具沢山の味噌汁を作るか、と呟いた。
 ギルガメッシュと大河が寒さと運動とで顔を赤くして家に入った時には士郎も朝飯の準備を終えていて、ニンジン、タマネギ、ブロッコリー、長ネギ、サヤエンドウ、キャベツが入った味噌汁と言うよりは味噌汁風ごっちゃ煮汁とでも言うべきものと、卵の層の間に海苔の入った出汁巻き卵、それに昨日の残りの筑前煮に香ばしい匂いを漂わせる脂の乗った焼き魚のメニューがちゃぶ台に乗っている。士郎は白い湯気を全体から立ち上らせる雪のような白米を茶碗に盛ると、テーブルに置いていく。堆く盛られた二つの茶碗の一つは正座をしてテーブルについているセイバーに、もう一つは最年長ながら一番子供らしい大河の前に。普通よりもやや多目なのはギルガメッシュと士郎の前に置かれ、四人はきちんと手を合わせ、士郎が言った「いただきます」に続いて復唱し、大河は素早く箸を構えてまだ熱いご飯を掻きこみ始めた。

 午前十時、士郎たちは雪の降り積もった家の前で士郎、セイバー、ギルガメッシュ、大河は四角い空間を避けるように別れて雪を踏み鳴らし、雪をかすかに髪に積もらせる。そしてたっぷりと自分以外のの恰好を頭に刻みつけ、背を向けて全速力で走り始めた。大股で三十歩離れることが合図で、ようやく第一回衛宮家雪合戦個人の部が始まった。
 士郎は赤い髪が目立たないように淡い苔色のニット棒を被り、鳥の子色のマフラーを口元から鼻先まで覆うほどに深く巻きつけてから、動きやすいようにダウンジャケットではなく、象牙色のフリースを着て行動している。しかし黒色のゆったりとしたパンツは雪の白色の中では目立ち過ぎて、全体的に淡い服装からは浮いてしまっていた。
 セイバーはニット帽こそしていないがマフラーとフリースは士郎とほとんど同じ物を身に着け、白鼠色よりもやや灰色に近いぴったりとしたパンツを穿き、スカートよりも防寒性と動きやすさを重視した恰好になっている。
 大河はボーダーのトレーナーと腰の後ろにリボンの着いたワンピースといういつもの恰好に茶色い革のブルゾンを着込み、耳と鼻を少し赤く染めながら先手必勝とばかりにミトンの手袋で雪玉を堅く纏めていた。
 ギルガメッシュは目深に被れるカーキ色のキャップを被り、カシミアのマフラーを首に巻きつけて九月半ばに買った白いトレンチコートを羽織り、雪玉を飽きもせずに大量生産していく。そしてその場に雪がなくなると移動し、更に雪玉を作り続けた。
 開始から一〇分、ついに戦闘が開始された。いきなり襲われたのはセイバーで、襲ったのは大量の――しかしあまり固めきられていない雪玉で、いくつかは握りが甘過ぎて空中分解していたが、それでも七割ほどの残りはしっかりとセイバーの元に届いている。セイバーはふり返ることもせず着弾地点から雪玉が来る逆へと走りだし、途中で一握り雪をすくって右手だけで堅く雪玉を形成すると、鞭のように腕をしならせてサイドスロー気味に後ろへと投げつける。当然、それが当たるとはセイバーも思っていなく、近くまで届けば瞬間でも雪玉が止むかと思った牽制だったのだが、残念ながらそれはまるで見当違いの方向に放たれたようで、雪玉は結局セイバーが逃げ切るまで止まなかった。
 そして、もう一人襲撃を受けたのは士郎である。まるで拳銃をフルオートで撃ち尽くしたような数が士郎の正面からやってきた。不意打ちと言うにはあまりにも堂々とし過ぎていたが、避けるには難しい数と速度だったので奇襲とでも言うべき攻撃だった。士郎は作っていた雪玉で致命的なコースに来る一つを反射的に作っていた雪玉でコースを変えさせ、他の物は身を捩って回避した。
「ほう、流石に牽制程度では仕留めきれぬか」
 姿を隠しもせず威風堂々、大胆不敵とばかりにやってきたのはトレンチコートのポケットに片手を突っ込んだギルガメッシュの姿だった。まるで当ててみろと思わせる踏ん反り返った恰好で士郎を見る。そして手袋を外して外に晒している手で指を鳴らすと、空中は歪んで不味い食べ物を口に入れてしまったとばかりに雪玉を吐き出す。その数、先ほどの倍だ。
「ちょっとまて、宝具は反則だろ」
 士郎は当然の抗議を口にしつつギルガメッシュを見返すと、ゆっくり足を後ろに進める。しかしギルガメッシュは何を言っているのか解らないとばかりに唇を歪ませ、まるで演説でもするかのような声で言い返す。
「持った力を有効活用しないでどうすると言うのだ。まあもっとも、手加減しても我が勝つに決まっているがな」
 もう一度ギルガメッシュは指を鳴らすと、浮いていた雪玉は弾かれたような速度で士郎へと襲いかかる。士郎はなるべく数の少ない方向に一足で跳ぶと、反動を殺しきれないままに雪玉を数個ぶつけられて敗北した。ずいぶんと納得のいかない士郎は唇を歪めていたが、雪玉が溶けて服に染み込む前に家に入って温まることに決めた。
 残り三人の戦いはヒートアップするわけでもなく、互いに雪玉を携帯していかに先手を奪うかを考え、白くない色彩に注意をしつつ姿を隠す。そしてセイバーが見つけたのは、特徴的な長い金色の髪を隠さずにトレンチコートの外へ出したギルガメッシュの姿だ。如何にトレンチコートが白で保護色だろうと、純金をそのまま人工植毛に使ったようなギルガメッシュの髪色は目立つ。セイバーのブロンドとて例外ではないのだが、セイバーは見つからないように注意をするがギルガメッシュはしないという辺りに差が出たのだろう。ゲームで言うサプライズアタック――つまり、不意打ちの準備が出来ている。
 セイバーはしっかりと空中分解しないように雪を堅く握り、そして音を立てない程度にゆっくりと、しかし限界まで早く加速させて雪玉を放った。空気を滑るか突き抜けるかと言うほどの速度でギルガメッシュに接近したそれに続きセイバーを同じコースにそれを投げ、電柱の影に身を潜める。
 ギルガメッシュは迫り来るそれにかすかながら反応し、背中付近にゲート・オブ・バビロンを展開し、それを防いだ。その代わりに展開された雪玉が三つ壊れたが、ギルガメッシュは舌打ちをしつつもふり返って宙に浮かんだ雪玉を撃ち放つ。雪玉は壁に、地面に、電柱に、当たってその身を砕きブチ撒く。セイバーは破裂する雪玉に鋭く息を吐きかけてから堅く構成した雪玉を全力で投げはなった。
 ギルガメッシュはそれを見てどの方向に敵が居るのかを見抜き、その方向に走ってから雪をすくって握り締める。
「ゲート・オブ・バビロン、一斉掃射!」
 歪むが早いか撃つが早いか、狙いなどつけなかった為に雪玉は扇状に広がりつつ辺りを撃ち砕いていく。そのままそれを盾にギルガメッシュは電柱の影まで走り寄ると、逃げ始めようとしたセイバーにできたての雪玉を当てた。
 セイバーはブルゾンについた雪を払ってからギルガメッシュを睨みつけると、次の瞬間目を丸くするほどに驚いた。口端を釣り上げて余裕たっぷりに笑っていたギルガメッシュが、雪塗れになっていたからだ。
「必殺、漁夫の利なのだー!」
 第一回衛宮家雪合戦個人の部、優勝者は藤村大河に決定した瞬間であった。
 その後大河は一日王様の如く振る舞い、セイバーと士郎は緑茶を啜りつつ大河の振る舞いに苦笑し、ギルガメッシュは二位なのに一番ひどい様のおかげで風邪をひいた。



† † †



   The person who plays saber.

 頭の中で形を再現しながら士郎は針と布を持って、一針を慎重に布に通していく。頭の中で描いた場所と寸分違わず針を通し終え、士郎はため息をついた。
「ようやく出来たなあ」
 満足そうに笑みを浮かべた手の中には、努力の結晶が広がっていた。

 朝からNHK教育の番組をTVに写し、ギルガメッシュはちゃぶ台に置かれた緑茶の存在も気にせずに眺めている。彼女はそういった類の番組が好きだった。
「どうしてジャーニーたちはダイヤの変装に気づかないのだろうな」
 などと、どうでもいいことを口走るほどには熱中している。今、TV画面に映っているのは彼女が衛宮家に住む前に録画したものであり、ビデオテープの劣化は多少あるが、内容には関係ないようだ。
 そこに自分の部屋で縫い物をしていた士郎がきて、ようやく出来たそれをギルガメッシュの太ももにかける。それは青を基調としたドレスで、彼女の髪のように鮮やかな金と白で飾られているものだった。それは彼女が作ってくれと秋ごろに頼んだもので、ようやくそれが出来たのだ。
「今ハッチポッチステーションを見ているのだ、邪魔をするな」
 彼女はTV画面に目を釘付けたままそう言い、士郎の方へ向かって野良犬を追っ払うように手を振った。
 士郎が大きくため息を吐いて、ギルガメッシュの太ももにかけたドレスと共に居間から出る。彼にとってはもうすでに当然と言っていいほどのできごとだったから怒りもせず、ただ、またか。と思って自分の部屋に帰った。
 士郎が部屋に帰ってから三度ジャーニーがエレベーターを上がって下ると、ギルガメッシュはビデオを止めて背を伸ばす。同じ体勢で居続けたから、疲れたのだろう。
「ん、そういえば雑種が来ていたな」
 彼女はライオンがデフォルメされた温かそうなスリッパで床を踏み、士郎の部屋の前まで来るとノックをしてすぐに戸を開いた。
「入ったぞ、雑種」
「出来てるぞ、ギルガメッシュ」
 とてもマナーの直りそうもない彼女に士郎は同じような言葉で返し、ハンガーにかけられた青いドレスを指差す。ギルガメッシュはつられてそっちを向き、先ほどハッチポッチステーションを見ていた時のように目を輝かせた。
「うむ、正しくセイバーの衣服だ。褒めてつかわす、ありがたく思え」
 彼女はドレスをハンガーから外してあちこちから眺め、本物には無いジッパーを下げて中まで見る。着心地を考えたのだろう作り方でけして粗がなく、下着を身につけずに着ても嫌悪感なく着れるだろう。本物よりも大きくはあるが、この衣服は彼女の目で見ても素晴らしい出来映えだった。
「早速着てみるか。雑種、例のものを持って来い」
 士郎は生返事をしてから襖を閉め、ギルガメッシュに頼まれたものを持ってくる。それは、セイバーの髪型を参考に切り編まれ、特徴的な跳ねている前髪は針金を仕込んで再現したウィッグ。それと市販品では最大限、セイバーの翠色に近いカラーコンタクトに、士郎が投影で作り出したからっぽの鎧だった。
 士郎は中を見ないようにして三点セットをギルガメッシュの部屋に入れる。そして戸を閉じて居間に向かい、恐らく出しっぱなしだろうビデオテープの片付けをすることにした。
 ギルガメッシュはジッパーを上げるのに苦労し、ため息を零す。そして襖の近くに置かれた鎧を身に着けてから、純金の髪をネットで纏めウィッグをかぶり、本人よりもややキツい目にカラーコンタクトを入れれば、真似っ子セイバーの完成になる。
 部屋にある大きな鏡を覗けば、やや相違はあるものの、基本的にはセイバーに似通った姿があった。
「あ。あ。あ。あ。あ。……ふむ、こんなところか」
 ギルガメッシュは声を調整し、口調と喋りの間などは違うものの、物真似ぐらいのレベルで言えば十分通用するほどの声を作りあげる。
 彼女はもう一度鏡を覗きこみ、一度咳払いをしてから真摯に映る自分を見つめる。
「ギルガメッシュ――貴方を愛してる」
 言った途端、彼女は白い肌を顕著に赤くして目を閉じる。
「けっこう恥ずかしいものだな、これは」
 ギルガメッシュは脳裏で描いていた事を半分もやらないまま衣服等を脱ぎ、王の財宝の中に蔵った。



† † †



   百万分の一の遺伝子

 彼女の瞳は赤い。ルビーの輝きみたいな真紅の色は情熱的であり、そしてまた反対に冷淡な色さえ見せる不思議な瞳だ。
 彼女はその瞳はおろか、周辺の白目さえ赤く染めて朝食のベーコンエッグをフォークで突つく。彼女の好み通りに火が通された黄身は半熟で、その薄皮を破ればとろりと白身に黄色い花が咲く。しかしそれすらせずに白身に穴を掘るだけの彼女は、料理の美味しい時期をずいぶんと逃しきっていた。
 一応、イギリス人――古代のであるが――にしては物珍しく料理、というよりも食事に興味のあるセイバーはその行為に納得できず、食べないのなら私が食べると彼女に目で訴えかけるのだが、彼女はそれに気づかずにフォークで白身をほじくり返す。結局彼女はその朝食でハムエッグどころかトースト一枚口にすることもせず、麦茶をのどに流すだけだった。
「今日のギルガメッシュおかしいよな?」
「ええ。シロウの作った料理も食べないなんて……あんなに美味しいのに」
 セイバーは朝食の味を反芻しながら眉をひそめ、縁側で日向ぼっこの興じている彼女に目を向ける。どことなく精彩を欠いた感じのある彼女は、よく見れば朝のブラッシングすら怠っていてあちこちに寝癖が跳ねていた。その様子では顔を洗ったかも怪しく、下手すれば歯を磨いていない可能性すらある。
「……悩みでもあるのかな」
「あのギルガメッシュが悩みますか?」
 天上天下唯我独尊、我様莫迦一代な彼女は、悩むよりも先に行動する性格だ。知りたい謎があるならば人に調べさせ、不快なモノがあるのなら剣の群れで一掃する。その彼女に悩みがあるとすれば、セイバーが未だに自分になびかないことぐらいだろうが、それはいつものことで、今更悩むには遅すぎる問題だ。
 士郎たちに聞こえないぐらいの音量で彼女はくちびるを動かし、音色を宙に吐き出す。
「独り言?」
「声が小さ過ぎて聞こえませんが、それがおかしな原因でしょう」
 生憎と読唇術も読心術も心得ていないセイバーと士郎は頭を捻ったが、答えはそう簡単に出てこなかった。
 悩んでいてもお腹は減るし、考えていても世界は回っていく。貴重な休日とて満足にだらけているわけにもいかず士郎は掃除をしていると、ビデオデッキが入った棚の中に無理矢理突っ込まれたバッグのようなものが落ちているのを見つけた。マジックテープで止められる仕様のそれは無味乾燥のデザインで、店の名前が入っている以外は無地が広がるばかりだ。面白みの欠片もないバッグの中には、一枚のレシートがビニールシートとバッグの間に挟まれている。ビデオテープの貸し出しが一本、タイトルはフランダースの犬。
「ああ、なるほど」
 士郎がビデオデッキの取り出しボタンを押すと、中から巻き戻されていないレンタルビデオが出てきた。約一時間三十分ほどの映像を流し続けるはずのテープはほとんど終わっている。
「別に隠れて見る必要ないのにな」
 テープを戻して巻き戻しボタンを押すと、士郎は掃除を再開した。

「見るのはいいけど、見たら巻き戻しておかないと。あと、夜はしっかり寝ろ。目、真っ赤だ」
 そう言って士郎は彼女にちゃんと巻き戻したビデオテープをレンタルバッグにいれて渡す。
「これは、その、違う。別に夜こっそり見て泣いたとかではない」
 逆効果なのを知らないのか、彼女はほっそりとした腹部を露にしつつ服の裾で顔をぐしぐしと擦る。
「あれだ、眼が赤いのは変身したせいだ。我はニンジンを食べると百分の一だけ混じったウサギの遺伝子が覚醒してウサギ怪人に変身するのだ」
 そんな話、あるわけがない。彼女の体にある三分の二の神の血の中にウサギの神の血でも混じっていない限り。と言うよりも、彼女はニンジンを食べていないから例えそれが事実だとしても変身するわけがないのだ。
「本当だ。別にネロがかわいそうとか思って泣いたわけではないからな」
「うん、解った。で、ウサギ怪人ってどんな特徴なんだ?」
 士郎は納得したふりをして頷き、畳に座り込んで急須に茶葉と冷ましたお湯を入れた。玄米茶の香ばしい匂いが八畳の居間に広がる。
「ウサギ怪人はだな。えーと……耳が良いのだ。百メートル先に落ちた針の音も聞こえるし、とても脚が速い。百メートルを三秒で走れる」
 ゆっくりと待って茶葉を開かせると、士郎は湯呑みに玄米茶を注いでいく。透明度のある緑色は湯呑みの中で深く変色し、それもまた一つの味わいとして目を楽しませる。
「そりゃ凄いな。俺は魔力で強化しても百メートルは七秒で走るのが限界だし、針の音じゃ十メートル先で聞こえるかどうか」
「そうだ、凄いのだからな。少し気弱になるけどそれがラブリーでかわいいと言われている。それから――」
 士郎はその日、ウサギ怪人のすべてを知った。



† † †



   午睡

 金色が横たわる。
 霞んだ光を体に浴びて、柔らかく撫でる風を体に感じて、目に見えない暖かさに体を任せて、金色が横たわる。
 とても気持ちの良い日だったから、金色は横たわった。干して取り入れたばかりのシーツに頬擦りし、日の光を受けて暖かく、柔らかい布団に身を沈めて。
 空は快晴ではない。晴れてはいるが、はっきりとしない霞んだ雲が空を覆っている。けれども、暖かい日の光と暑くならないように吹いてくるさわやかな風は、あまりにも強力な昼寝への誘いだった。
 洗濯物はまだ取りこむ途中で、バスタオルや衣服が物干し竿にぶら下がったままだ。とっくに乾いていて、日差しを受けて柔らかい匂いのする洗濯物は、今か今かと取りこまれる時を待っている。今ならまだふわふわで暖かいよと訴えるのに、それをしまうべき彼女は布団に横たわっている。
 ものの数分もしない内に彼女は寝入り、長い金色を布団に散りばめて気持ち良さそうに夢の世界へと落ちていく。
 洗濯物たちは揺れて「仕方が無いね」と言った。
 雪白姫はお日様の心地良さで目覚めれないのだから、仕方が無いねと。
 もうすぐ夏がくるから、暖かい今寝てしまうのは仕方が無いねと。
 だから、仕舞ってもらうのはもう少し後で良いよと。



† † †



   冷製

 昨夜、士郎がローストビーフを作ったことが問題の発端だった。単に肉を焼いただけに見える料理――実際、ほぼその通りなのだが――にギルガメッシュは文句を飛ばし、セイバーは昔懐かしきかどうかは知らないが、それらしいイングランド料理に不満を覚えて口をへの字に曲げた。士郎は士郎で良い肉が安く大量に手に入ったと言う主張があったのだが、とりあえず二人の機嫌がそこそこ収まるまで待った。
「いや、だから、食べてみれば解るって」
 文句を言うギルガメッシュに端を切り落としてから数ミリにスライスしたローストビーフにグレービーソースを付け、渡して食べさせると、手の平を返したようにもう一枚寄越せとほざいた。
「解ったろ? けっこう美味いんだって」
 珍しく素直に頷いたギルガメッシュに内心驚きながら、セイバーにも同じ物を渡した。すると、同じようにへの字に曲げていた口をほころばせて、想像したものとはまるで違ったらしいことを喜び、謝罪して大人しくちゃぶ台で夕食を待った。
 その日の夕食はローストビーフと一緒に焼いた野菜が付け合せで、コンソメスープがベースのシチューとガーリックトーストだった。
 
 問題は次の日に起こった。
「題して、残ったローストビーフをどうするか会議」
 士郎、セイバー、ギルガメッシュ、大河がささやかな拍手をして、ちゃぶ台の上に手を置いた。扇風機が回って四人に風を送る。
「お姉ちゃんは昨日と一緒でも良いと思うけどなー」
「我は別な食べ方にするべきだと思う。同じ食べ方と言うのは怠慢に繋がる」
「私も今回に限っては、ギルガメッシュの意見に賛同します」
「それじゃあ、一日目より味が劣るのは確かだし別の食べかたにしようかな」
 カレーは二日目になれば深さが出るが、ローストビーフはそうはいかない。夏場で腐らないようにコールドミートにしてあったから、この際冷たい食べ方にしようとそのまま、第二回、残ったローストビーフをどうするか会議が始まった。
「うーん、お刺身かなー。それぐらいしか思いつかない」
「どうせ一人分にすれば二、三枚程度しかないのだ。いっその事前菜にするべきだと思うがな」
「私はボリュームが欲しいです」
 三人の考えを纏めて士郎が考えた結果、色々と思考錯誤して前菜扱いで食事に出る事となった。
「藤ねえのお刺身ってアイディアと、セイバーのボリュームが欲しいって意見を取り入れて、野菜をローストビーフで巻いてみた。何処ら辺がお刺身かは、食べてもらえば解ると思う」
 白髪葱、細切りにした人参、大根、薄切りの玉葱をローストビーフで巻いた前菜は、たしかに三つではあったが一つが一口では食べれないようなボリュームになっていた。夕食は前菜のそれとオムライスで、前菜こそあれど、もちろんレストランで出るようなコースではなかった。
「いただきます」
 と食事の感謝をお百姓さんに捧げてから全員で前菜を口に運び、もぐもぐとやる。
「ふむ、成る程。たしかに刺身だな」
「あ、ホントだ。わさびとお醤油の味がする」
「けれど、以前味わったわさびよりも滑らかで柔らかい気がします」
 士郎が嬉しそうな顔をして、セイバーを見る。よくぞ気付いてくれた、と。
「わさびをアイスクリームにしたんだよ。殆ど甘さを加えないぐらいで。新鮮なわさびなら甘味があってそのままでも良いんだろうけど、家で使えるのなんてチューブのやつかあまり新鮮でもないものぐらいだからさ」
 やっぱりそれなりの工夫がないと、と言いながら一つの残りを口に運んで士郎はもぐもぐとやった。
 刺激が少ないのがセイバーには嬉しいらしく、士郎と同じようにもぐもぐとやった。ギルガメッシュも刺激が苦手なのか、普通にわさびを使うよりもこっちの方が好みだと士郎に言ってからもぐもぐとやった。藤ねえは一度だけ関心してから関係なさそうにもぐもぐとやった。



† † †



   グラデーション・エア

 黒い砂浜を歩いていた。緩やかに巻かれた金色の髪を後頭部で纏めて、ギルガメッシュは良く晴れた空の下で波打ち際を歩いていた。水の染みた砂の堅くて冷たい感触すら楽しんで、彼女は白く泡立つ波打ち際で砂を叩いて遊んでいる。
 ギルガメッシュよりも深いが、それでも子供が遊ぶような浅い場所でセイバーは押し寄せる波を相手に遊んでいた。来ては耐え、引けば追い駆け、返ってきては戻って逃げる。単純にそれだけで遊んで喜んでいる。楽しんでいる。
 黒い砂が形を作る。筋の浮かぶ男らしい腕が余分な砂を削って、足りない砂を接ぎ足す。日に晒された肌は褐色に焼けていた。正反対なのは空が晴れているせいなのに、それでも赤くて茶色い肌は空とは真逆。百七十センチよりもやや大きいほどとは思えないぐらい大きな手で作っているのは、その鍛えられた体からは想像できない可愛らしくデフォルメされたライオンと虎のかたちを生み出している。
「あんまり遠く行くとクラゲが出るから」
 再三注意して、士郎は傍らに置いたペットボトルからミネラルウォーターを一口飲んだ。
 ギルガメッシュは口煩い士郎に不貞腐れたような返事を返し、セイバーは素直に返事をして少しだけ砂浜に寄った。さすがに八月の半ばも過ぎ、クラゲの浮かぶような海に人は少ない。来ている人はみなシートを敷いて肌を焼いているか、士郎と同じように砂でかたちを作っている。子供が数人同じように水際で波と戯れているが、それも小学校の低学年から幼稚園、保育園に通っているほどの年齢だった。
 浮かんだ汗で腕に張りついた砂を払ってから、士郎はシルエットの出来たライオンと虎に士郎は表情を彫り込み、砂を付け、作り出していく。
 額に滲んだ汗を三度腕で拭ってから最後のヒゲを書き加えると、士郎は凝り固まったような息を吐いて首を鳴らした。子供たちが出来あがった群がって騒ぎながら眺めているのを見て士郎は笑い、ミネラルウォーターを喉に流した。岩場に近い場所で遊んでいたセイバーもできあがったライオンを見て海から戻り、ちょこんと付いたしっぽから彫り込まれたヒゲの至るまでを見て目を輝かせる。デフォルメされたライオンの可愛いながらも威厳を持った姿は彼女に似ていた。
 隣に座った虎も獰猛というよりは可愛らしく、吼えているというよりも鳴いているという言葉が似合うデフォルメ具合だった。士郎のイメージサンプルこそ自称姉を名乗る藤村大河だったのだが、出来あがってみれば彼女よりもむしろギルガメッシュに似ている。釣り上がった目と吼えている姿勢こそ強気ではあるが、デフォルメが可愛いせいだろうか。
 砂と波の混合物をつま先で掻き混ぜて、ギルガメッシュは小さなカニを追いかける。セイバーはたてがみを雄々しく尖らせて吼えるライオンをじっくりと眺めた後で、岩場に戻ってヒトデの観察をした。うねるように動くヒトデは毒々しくて綺麗で可愛い。
「もうすぐ、こんな事も無くなるのでしょうね」
 空が青く白く滲んでいく空の下で、彼女は呟いた。



† † †



   青赤

 風が吹きつけている。台風が近いとニュースでもやっていたが、どうやらずいぶんと影響があるようだ。セイバーが昼間、洗濯物を取りこんだ時は今以上に風が強く吹きつけていて、手で押さえないで洗濯ばさみを放してしまえばすぐにでも洗濯物は空を舞うぐらいだった。今はそれなりに落ち着いていて、風が吹いても整えた髪を揺らす程度。大した被害は無い。
 士郎とセイバーとギルガメッシュは縁側に座り、三つの湯飲みとお茶請けに江戸前屋のどら焼きは衛宮家では定番だった。三人が見ているのは、雲が速く流れている空である。雲の密度が高い場所は(あか)く、雲の無い場所、薄い場所は青い。はっきりと斑に別れた色合いは不自然なのにとても自然で、絵画にしてはその美しさが無くなってしまうほど儚い。(ひる)(よる)の間の瞬きのような時間にだけ存在する景色は、誰でも見れるはずなのに誰も見ない種類の美しさ。
 やがて橙は赤と金色の混じったような色合いになり、徐々に青をすり替えていく。夕日に照らされたセイバーとギルガメッシュの髪も、空と同じような色になっていた。違うのは、影があり黒くもあるということだろうか。金色もわずかな時間で描き換えられていく。今はもう、真っ赤に染まるだけ。手前側の向こうはとっくに夜になり、手前は昼で向こう側は痛みのように赤い。
「ふん。儚いな、保てぬならば出てこなければいいものを」
 ギルガメッシュは言ってどら焼きを齧った。言ったことにしては眼は寂しげな色を浮かべ、紫の混じり始めた空を見送っている。風で髪が揺れていた。緩やかに巻かれた癖は風で飛び、柔らかな髪は風で飛ぶ。
 金色はもう、夜に霞み暗くなっていた。
 二色の空は藍に支配されていた。



† † †



   紅葉の成れ果て

 すっかりと色のついた葉が枝に掴まってからからと揺れていた。赤い葉にまだら模様を描く黄色は異色のアゲハチョウの柄にも見える。まだぶら下げたままの風鈴が鳴って秋風の涼しさを思い出させた。雲がほどけるように流れていく。
「もうそろそろ衣替えの季節かな」
 季節感の無いトレーナーを着ている士郎が言った。手に持った竹箒で落ち葉が咲いたような地面を掃き、オレンジ色をしたちりとりに集める。黄色いままに落ちた、赤く変わる途中に落ちた、茶色く枯れて落ちた、乾いて、しけって、ちりとりに入る。
 縁側でぶらぶらと足を揺らして白玉あんみつを頬張っているギルガメッシュは、春先にも似た光景を見たことを思い出してた。枯れ葉ではなく桜の花びらだったし、ギルガメッシュが頬張っているのは白玉あんみつではなく団子だったが。
 ざらざらと枯れ葉の残骸をかき集めて士郎は竹箒を片付けてちりとりを持ち上げてから、また落ち始めている葉に苦笑する。
「ま、仕方が無いか」
 竹箒を戻し終えてしまったからまた明日にしようと、士郎はちりとりを抱えたまま運んでいく。目標は坂の上お屋敷、藤村組の何回目になるか判らないやきいも大会の会場だった。秋には決まって開催されるらしい若い衆から雷画から全員でやる、単にやきいもでは大げさ過ぎる規模のものだった。冬木市の住民ならば落ち葉といもを持ち寄れば誰でも参加できると言う敷居の低い大会である。もっとも、積極的にヤクザと関わろうと思うかどうかは判らないが。ちなみに、いもや落ち葉を持ち寄らなくとも藤村組が用意した芋を買うことも出来る。しかし購入可能なのは紅アズマからなじみの無い紫芋、果てはじゃが芋やホイル焼きにされた秋刀魚まで中身の判らないロシアン焼き芋だけなのが悩み所だった。
 士郎は藤村組の若い衆にたくさんの落ち葉を渡し、一本二百五十円のロシアン焼き芋を三本買ってから坂を降りた。
 新聞紙に包まれているとはいえ、さっきまでたき火の中に入っていた三本は普通に持っていられないほどに熱いらしく、士郎はお手玉をしながら坂を下っていく。日の落ちかけた風は冷たく、剥き出しにした頬が冷えるのを感じて士郎は一度目を瞑り力を入れた。
「ん――」
 冷たさに強張っていた顔を動かして感じた堅さに顔中の筋肉を動かした彼は、この寒さじゃ焼き芋が冷えるのも早いと思い、体を温める目的でも速く走って行くことに決めた。事実、手の中の焼き芋は既に持てるほどぬるくなっていたのだから。
 彼が帰る頃には枯れ葉が庭に舞い降り、何の為に掃除をしたのか判らないほど芝生は覆い隠されていた。やや苦笑してからきりが無いと掃除を諦め、寒くなったのか縁側から中に入っているギルガメッシュと道場から戻ってきたらしいセイバーに包みを渡した。
「なんですか、これは」
「ロシアンルーレット焼き芋。偽装したじゃが芋とかが混じってることもあるけど、多分当たりのはず……だと思う」
 士郎が包みを解いてみると、他の二つと比べてやや細いのが一本、ずんぐりとしたのが一本、さつま芋と聞いてイメージするのが一本と、なかなかに当たりのようだった。細いのがホクホクとした感触が特徴の紅アズマで、ずんぐりとしたのが高系十四号――恐らくは五郎島金時だろう。
「お、ずいぶん良い内容だったな。残りの一本が偽装や焼き芋に向いてない品種などの変り種じゃないんなら」
 こう言う場合、悪い予感と言うのは得てして当たるものだったりする。特に食事柄だったり、事故や怪我の場合は当たりやすい。けれども、ギルガメッシュは定番の二つではなく、正体不明の一本を取った。
「なら我がこれを貰おう。騎士王たちは他のを食べるが良い」
 アルミホイルの包みを剥いて姿を現したのは、一見良い焼き色のおき火で焼いたのだろう焼き芋。皮のまま食べても問題無いぐらいに綺麗に洗浄された紫は少々焦げて食欲をそそっている。彼女がちびちびと千切れる皮を丁寧に剥くと、そこには金色が輝いている。
「うわ、鳴門金時か。こんなかで一番良いの取ったかもな」
 半分ほど剥いた芋を一口齧って何度かはふはふとしながらいつものセイバーのように何度か頷いた。
「なかなか美味いな。まだ熱いが、うむ」
 黄色と言うよりも黄金と称した方が正しい鳴門金時はたしかに美味しいだろう。それこそ冷めた体には彼女が熱いと思っているぐらいのものが格別だ。
「シロウ、こっちのものとこっちのものはどう違うのですか?」
 セイバーが真剣にアルミホイルを睨みつけながら問い、士郎は急須に玄米茶を入れながら答える。
「そっちの細長い方がほくほくした触感で、そっちの太い方がねっとりしてると思う。好きな方を選べば良いよ」
 ポットから注がれたお湯が玄米茶の香ばしい匂いを居間に漂わせる。沈み始めた日は早く、空は赤く染まり始めている。
「ではこちらのホクホクという方を」
 包みを剥いて一口分ほど皮を剥くと、ギルガメッシュの取った金色とは違う黄色が現れる。透明度の無いそれは、たしかにホクホクとした触感を目でも感じさせるものだった。
 玄米茶を三人分淹れてから士郎は残った一本を選び、アルミホイルを剥くとそのまま齧りついた。
「え……、シロウは皮を剥かないのですか?」
「俺は皮の香ばしいところも好きだから剥かないけど」
 セイバーは自分と士郎を見比べてから皮を剥かないで齧りつく。ちょうど火が当たってやや焦げていた部分は、香ばしい匂いが口内で広がるだろう。
「成る程。たしかに」
 剥かないと皮の分少々感触が堅くなるけども、風味が増して良いと感想を残してセイバーは全部をぺろりと平らげた。細い分、少々物足りなさそうだと思った士郎は半分ほどから自分五郎島金時を折ると、それをセイバーに渡す。
「食べてくれないか? 全部食べると夕飯入らなくなりそうだからさ」
「仕方ないな。我も残っている物をくれてやろう」
 三分の一ほど残っていたギルガメッシュも鳴門金時を渡し、セイバーは珍しくギルガメッシュに、そして士郎に礼を言って一本と十分の八ほどもぺろりと平らげた。
 このあと大河が売れ残った焼き芋――じゃが芋などのダミーも含めたものを持ってくるのだが、今の士郎たちにそんな展開を予想することは出来なかった。



† † †



   たばこの吸えないライク・スモーカー

 TVモニターでは萎びたニンジンのような老人が上手そうにパイプを咥え灰色の煙を吐き出す。まあもっとも、画面自体が質の悪い白黒であるから濃い灰色に淡い灰色が重なる程度の変化でしかないのだが。老人は何を知ったかのように屈強な男に人生とはなんぞやみたいなモノを語り、適当に聞き流されてただのボケた老人になっていく。
 士郎が借りてきた古いビデオはすばらしく不評のようで、ただ一人を除いては誰も興味がありそうなものはいない。最初の十分ほどはセイバーも白黒の画面が珍しいのか士郎に質問をしたりしていたが、今ではお茶を飲みつつ他に動くものがないのでとりあえず眺めているといった退屈さ。ただし、ギルガメッシュはそれを興味津々に見ている。まあ、興味があるのは映画自体ではなく老人が手に持ったパイプだけなのだが。
 ギルガメッシュはそのシーンを巻き戻して何度か見ると、あとのストーリーには興味が無いみたいで、コートをマフラーを身につけると小学校低学年あたりの子供のように戸を空けて飛び出していった。数分ほどで戻ってきた彼女が手にしていたのは士郎の予想通りタバコで、予想外だったのはあらゆる種類を買ってきたことぐらいだろう。
 ポケットからテーブルに積み上げると、出るわ出るわの大盛況。マイルドセブンやセブンスター、LARKなどからお世辞にも都会と言えない冬木でどうやって入手してきたのか上等そうな葉巻に至るまで多種多様である。そこら辺、さすがに英雄王らしいのだろうか。
 ギルガメッシュはさっそく箱を手にとって包装を剥くと、一本取り出して火をつけようと――そこでライターを持っていないことに気づいた。衛宮家には誰も喫煙をする人が居ない。切嗣も生前時には吸っていただろうが、今では彼が使っていたライターもどこにあるか判らないだろう。
 仕方なさそうにコンロを点けてそれで先端を焦がすと、それを口内に吸い込んで肺に取り込もうとすると、当然の結果として咳き込んだ。
「げほん、げほ、がふ、けほ……!」
 ついでに目に染みた煙で涙を滲ませ、手に持った紙巻きたばこを流しに落とす。
「……信じられん。これのどこが美味いというのか」
 着たままのコートで涙を拭くと、流しに落とした紙巻きたばこをごみ箱に捨てて彼女はコートをハンガーに掛けた。
 ギルガメッシュは終わっていたビデオテープを巻き戻してもう一度映像を見ると、老人が吸っているたばこが自分の買ってきた紙巻きタイプとずいぶん違うことに気づいて士郎に問う。
「雑種、あれはなんだ」
「なにって、パイプたばこだよ。言っておくけど基本的に味は変わらないと思うぞ」
 悩むように唸って彼女は腕を組み、急に飛び出していくと今度はパイプたばこを一セット買ってきて、メモ用紙を見ながら正式な手順で吸い始めるとまた同じように咳き込んだ。パイプたばこは口腔内喫煙で肺まで行き渡らないのだが、彼女とたばこの相性はとことん悪いらしい。
 士郎はとりあえず彼女にバニラフレーヴァーのようなたばこがあることを教えないことに決め、換気扇をつけて窓を開け始めた。



† † †



   

 静かに澄んだ夜の下、櫻はかすかな風に花びらを落としゆらゆらと舞い落ちる。観客さえいない一人舞台、咲いた花は散るもその華麗さはなくならず。ひっそりと咲く満月草かのようと思えば、その姿を見ようと人を虜にする妖艶な側面を持つ姿はまさしく悪女じみていた。地の下に眠る栄養を吸い上げて、櫻はたしかに今宵も咲いている。
 枕に押しつけられた金色の髪は暴れ、布団の端を行ったかと思えば帰り、帰ったかと思えばその背に潰されている。まるで猫のように気ままな金色は跳ね上がり、汗ばむ体に乗る。揺れてはなめらかに落ち、体を動かすだけで軽やかに舞う。
 布団の中で熱された空気にうめきながら、ギルガメッシュはまぶたを開いた。そしてかったるそうにゆっくりと体を起こし、布団と髪を退けて立ち上がる。パジャマの上や肩にたまっていた髪が落ちる。
「熱いわけでもなし、一体なんだというのか」
 文句を言いながらギルガメッシュは廊下を渡って台所へ行き、コップに注いだ水を飲み干す。夜の冷えた水は逆に彼女を覚ましてしまい、口をへの字に歪めて彼女は居間から縁側へ出た。庭では咲いた花びらがゆらゆらと舞い落ちている。夜櫻でこそないものの、ギルガメッシュは少しのあいだ時を忘れて見入り、立ち尽くしていて冷たくなった体のせいで我に返った。
「ふむ。見るのはまた今度にするとしよう」
 つっかけを履いて歩きだし、今の時間帯ならばいるだろう場所に向けて進む。春でこそあるものの、日の沈みきった夜は寒い。寝巻きだけのギルガメッシュは両腕を擦り、冷たさに震えた。
「雑種、用がある」
 閉じられた土蔵の扉を開き呼びかけた。振り返った士郎の油で汚れたつなぎと額に汗した姿はあまりにも似合いすぎていて、それがユニフォームなのだと勘違いしそうになる。思わず笑いそうになったギルガメッシュは士郎が声に応じる間もなく、区切るように短く言った。
「伽をしろ、王命だ」
「な、ぁ――!?」
 士郎の持っていた鉄パイプにひびが入る。しかしギルガメッシュは言っただけで早々と姿を翻し、土蔵から布団へと戻っていった。
「……うわ。ぜんぜん集中できそうもない」
 二本目の鉄パイプにひびをいれながら頭を掻き、汗は拭いた方がいいだろうか、などと思いながら呟いた。
 士郎は軽く汗を流してから寝巻きに着替え、足音をさせずにギルガメッシュの部屋へ向かった。うぐいす張りでもない床板は音を立てず、夜は眠っている。ゆっくりとふすまを開けながら、そのぎこちなさにロウでも塗った方がいいかと考えつつ入ると、そこには布団の上に座りながらまぶたを半分閉じかけている主の姿がある。しかしそれは眠気のためではなく、やることがなく暇ゆえに呆としているようだった。
「来たけど、伽って何をすればいいんだよ」
「伽は伽であろう、決まっている」
 言うと彼女は布団を捲って中に入り横になる。まぶたを閉じたかと思えば細い髪が揺れ、耳鳴りがしそうなほどの沈黙に鈴のような音を転がす。長いまつげは影を作るほどで、艶やかな唇はその明るさで輝くほどみずみずしい。玉石のような肌は七分ほど立てたクリームのようになめらかで、その髪はシルクのよう。窓から射す月光が柔らかく照らし、造形の美しさを引き立てていた。
 それに伽をしろと言われて、士郎は心臓が破裂しそうだった。
「どうした、早くせぬか。それよりもなにか持ってこずに良いのか? 我は手強いぞ」
 いつまでも何もしないままの士郎を睨むかのように片目を開け、ギルガメッシュは言う。その言葉はやすやすと士郎の理性を打ち砕いてバラバラにした。
「本当にいいんだな?」
「いいもなにも、早くしろと言っている」
 ゆっくりと布団に手をかけて捲り上げ、士郎は彼女の寝巻き姿を改めて眺めた。パステルブルーのパジャマは当然といっていいほどに上等の絹を使っていて、少しも引っかからず嫌悪感もないだろう。提供する眠りは健やかで、目覚めは心地よいに違いない。そしてそれを着飾る彼女の肌にもささくれや荒れはなく、撫でればパジャマ同様のすべすべとした触感を得られるだろう。士郎は気づかずにのどを鳴らし、渇いた口腔から無理矢理に唾液を吸い上げ嚥下していた。
 ざらざらとした欲望が少ない堰止めを削り取りながらその牙を突き立てていく。少しずつ、けれどたしかしかに食い込んだ牙は、ダムを決壊させるには十分すぎた。既に熱に浮かされた脳は思考能力を奪い取られ、あるのは一握りの理性だけ。それすらも膨らんだ本能の前には足止めにもならない。士郎は急な曲線を描いて盛り上がった胸に手を伸ばそうとして、
「ほれ、早く話を始めぬか」
 その声に止められた。
「はな、し?」
「なんだ、話の一つも聞かせれぬのか? だから言ったであろう、なにか持たずによいのかと」
 士郎は急激に脳を冷やされ、間もなく思考能力が戻った。同時に伸ばした手を引っ込め、必死に赤い顔を隠しては自分の欲望を理性で押さえこんでいる。
「いや。話せるのはいくつかあるけ、ど」
「なら話せ。疾く我を寝かせろ」
 士郎は少しのあいだ指を顎に当てて考え、思い至って苦笑してから記憶の本棚を探る。
「それじゃ一つ、御伽噺というのを語らせてもらおうか」
 夜が深ける中、話が一室に舞っていた。



† † †



   月姫

 雲一つない風の止んだ夜、星々はおぼろげにきらめいていた。月はやけに大きく、まるで引力で引き込まれたように丸々と輝いている。
 木々はざわめかず、草花は数時間後の朝日を拝むために眠り、周囲の家は灯りもない。端から世界が閉じたようになんの音もしないこの場所は、スポットライトを浴びているかの如く月の灯だけで柔らかく明るかった。縁側にはお盆が一つ、冷めた湯呑みと一切れの羊羹が残っている。
 それは一つの芸術だった。あるべき場所は美術館の彫刻の群に他あるまいと思われるほど、彼女は美しく造られていた。風景をあわせるならば、一つの絵画となるべきものだった。吹くものはないがゆるやかに巻かれた髪は揺れ、装飾の少ないワンピースへ広がっている。
 桜は緑色の葉が広がり始めていた。すでに花は落ち、また来年を期待できるような生長を遂げようとしていた。濃く鮮やかになり始めた緑が彼女の足元をくすぐる。
「しまったな。酒の一つでも用意するのだった」
 風のない夜、大きな月を見ながら呑めばすぐにでも酔い、気分は高々と浮かび上がろう。おぼんにあるのは冷めてしまった飲み差しの煎茶と羊羹が一切れ。これでは酔うこともない。
「仕方のない。こんな良い夜だ、我が狂うこともあろう」
 耳のなるような静かな夜だから、月の気がまわるのだろうか。お盆の羊羹を手で口に運び残っていたお茶を飲み干すと、サンダルを脱いで台所へ行く。食器棚からお銚子とぐい飲みを一つ取り出し、一升瓶から酒を注いだ。溢れる前に一升瓶を元に戻し、おぼんにお銚子とぐい飲みを乗せ、冷蔵庫から珍しく残った夕餉の主菜や漬物を乗せて縁側へと帰った。そのままぐい飲みへしずくをたらし、きゅうりのぬか漬けを齧ってから呷る。
「――はぁ」
 お茶や清涼飲料水では味わえない、アルコール独特の感覚が落ちた胃から湧き上がる。
 鋭く研がれた、しかし人を斬る冷たさを持たない日本刀のような外気に慣れていた体がゆるやかに温まりだす。茶湯などではない、細胞一つから踊りだすような熱がじんわりと体を巡ってゆく。冷えたこんにゃくの弾力を楽しんでから、もう一献喉を通る。
「……はぁ」
 ため息一つ漏らして、厚揚げを頬張った。染み込んだだしが口内で隅々にまで届く。まだ酒を呷らずに、そのままごぼうを口に放り込む。柔らかく煮えつつ歯ごたえが弾け、香りが鼻から抜けた。たまらず、また一杯で体が熱を帯びていく。
 そうする内にお銚子から落ちるしずくは、ぐい飲みに残った一杯だけになった。冷えた煮物はまだ残っている。幾許かのぬかづけも残っている。
 そのどちらかに手をつけようとしたが、そのままぐい飲みだけを手に取り、最後は空へ向けて。
「瞬く星に。輝く月に」
 しずくは消えた。



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