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 雨だって悪いことばかりじゃない。そりゃ今まで洗濯物が干せなかったりしてあまり良いイメージは持ってなかったけど、見直してみれば結構良いところもあったりするもんだ。
 ダムに降れば水が溜まるし、枯れ地に降っても渇きが癒える。カエルだって跳ねて喜び、好きなチームが負けそうな時の味方にもなる。昔の百姓さんは雨が無いと作物が枯れて嘆いたし、俺じゃ思いつかないにしろ、考えれば良い面がいっぱいあるのだろう。
 それに――……



 ついてないと思った。
 今朝見た天気予報では雨が降るのは一〇パーセントが精々だと言っていたし、空は快晴であり絶好の洗濯日和だったのに。なんともついていないことに、雨は快晴の空から零れ落ちてきている。普通の傘はもちろんのこと、折り畳み傘も持ってない俺は近くにあった喫茶店の屋根の下で雨が上がるのを待っている。財布には商店街で買い物をする分しか持ってきていないという節約法のため、喫茶店の店員から多少煙たい目で見られても我慢するしかない。
 溜め息を一つ零した。別に雨が嫌いというわけじゃないけど、少し困る場所で降ったなと思う。家までの距離は数分だけど、それだけあれば十分に洋服は雨で濡れ、肌に張りつくように重くなるだろう。そしてわりと気に入っているスニーカーのつま先から水が噴水のように溢れ出るのだ。いや、実際はそこまで豪雨と言うわけじゃないのだけど、簡単には止みそうもない。
 手にぶら下げたビニール袋に雨が入らないよう壁側へ寄せた。動くたびに枯れ葉を踏み潰したような乾いた音が重奏を繰り広げる、その音は嫌いじゃない。特にやることがないからなんとなしにビニール袋を何度も鳴らす。その度に枯れ葉は潰れる演奏と雨がアスファルトにぶつかる音のセッションが繰り広げられる。まるでツインベースのみのような派手さの無い演奏会。ゲストはなく観客は俺一人、なんとも寂れていて、まったくの新人でありしかも技術が素人以下のバンドが、公園で勝手に練習でもしているみたいだ。なんとも言い得て妙、もっとも楽器なんて言うにはビニール袋なんて安っぽ過ぎるし、雨なんて気まぐれ過ぎるけど。
 せめて買い物かごをすだれで擦って小豆で波音でも作らないと、なんてバカなことを考えていたら、藍色の紳士傘を広げてこっちに来る女の人が一人見えた。女性はあまり小柄な感じではないけど、シンプルであり装飾がない紳士傘を広げているのは似合ってなく思える。良く見るとそれは俺の知っている人で、雨が降ってきたから俺を探しに来たみたいだった。
「先輩、ちょっと探しちゃいました」
 わずかに笑みを浮かべて桜は言った、傘を差した片方以外に傘はなかった。



雨中賛美歌



 傘が二本ないことを指摘すると、桜は少し困ったような笑みに変化して「あはは……」と声を漏らした。ようするにうっかりと言うやつなのだろう。八兵衛と女性のうっかりは許してやれと言う切嗣の言葉もあった気がするし、それにも元々俺が遅くなったんだから怒るはずもない。だからまあ、ここで雨宿りを続けることにした。桜はそれに付き合ってくれるようで、喫茶店の壁と十数センチ離れて背を向けている。
 ここいらで演奏会は雨のソロパートに移行する。ビニール袋の演奏は一先ず終了して舞台裏に引っ込ませた。雨は灰色の舞台から飛び降りて白い糸のようにアスファルトに突撃していく。しかし固いアスファルトに弾かれて濃く染めつつも白を混じり、地面は対極のように白と黒が混じる。銀糸は上から下まで見える限り続いていて、一向に止む気配はない。降り出したばかりだからやむ気配がなくても当然なのだけど、それでも止んで欲しいと思うのが人情というものだ。主に細くなったビニール袋を支えている俺の両手の為に。ビニールが紐のように細くなって手に食い込み、正直に言って疲れるというレベルから痛いと言うレベルになっている。恐らく手を開いて見れば白く変色していることだろう。
 僅かにビニール袋を支えている移動させて雨の激しいソロパートに邪魔してから、トレーナーの首周りから入りこむ冷気に気づいた。高気圧がナイフで切り取られたように雨であっさりと下がった気温は、細められたティッシュのように俺の鼻を刺激するが、くしゃみは出なかった。かわりに桜から出たからだ。
 桜は少しだけ体を震わせて手で二の腕を擦っている。長袖のシャツと膝下のスカートなんて格好では流石にそうだろうと思い、何か貸せるものはないかと体を探ってみたけど何一つ見つからなかった。ジャンパーを着ているわけでもなければカイロを持っているわけでもないし、首にマフラーを巻いているわけでもない。手袋なんて持っての他、自分のことながら気が利かないな、なんて思いつつ苦笑する。季節は秋、なにか用意があっても良いだろうに。
 ああもう、と思いながら上を見上げた。喫茶店の屋根は以外と前まで幅があり、人が二人ぐらいなら少し詰めれば前後に並べそうだ。
「桜、ちょっと」
 クラブハウスサンドを作るようにもう一度ソロパートを邪魔して桜を呼ぶ。弓の弦のように震えたビニール袋は、雨の中に音を消されながら少しだけ自己主張をする。小首をかしげるようにして少しだけ白い顔を見せた桜をもう一度呼んで、近くに寄ってもらってから、本当にかすかな声で桜の耳に声を零す。
「その、なんだ。寒いなら、さ。もうちょっと近寄れば温まるんじゃないか、って」
 桜は一瞬わけがわからないような顔を浮かべてから、言語機能が破壊されたように「あ……」と一言だけ呟いて白い顔をわずかに赤くし、俺と同じような小さく零す声で「はい」と呟いた。
 桜は雨の中に背を向けて俺と真正面に向かい形になり、そのまま動かない俺に歩み寄って体の表同士をくっつけるように密着した。頭の中の計算機がオーバーヒートしたみたいに一瞬頭の中が停止した。なんて言うか、ヤバイのだ。色々と。冷たい柔らかさとか優しい髪の匂いとか体に密着していて俺は動きも取れないのに、桜は俺にくっついて「先輩、温かい」とか言ってるんだからどうしようもないし、なんというか――そう、例えるなら大好きなバンドのギグが大当たりだったみたいな感覚で、片手を突き上げて叫びたいような興奮が胸の中にあると言うか胸のあたりに当たっていると言うか、そんな感じなのだ。
 耐えろ、耐えろ俺。ニール・ヤングだ、バイトザブレットだ。弾丸もないし痛みもないけどとにかく抗う状況だから頑張れ俺、むしろ頑張るな俺。頭の中にお経を無限にリピートさせ続け、精神を落ちつかせる。グルグルと回る世界は見事に空回り、低気圧が噴き出して耳元を撫で――違うって。耳には桜の呼吸が聞こえて妙な気持ちになるというか、かなりくすぐったい。
 耐えるようにそれを忍んでいれば、ソロパートに久しぶりに混ざるのは喫茶店のドアが開いた鈴の音だ。それにつられるようにビニール袋も鳴り一瞬のセッションが完成したけど、雨の存在感が強過ぎてビニール袋の音はあまりにも霞んでいた。高く転がる鈴の音は雨の中でも響いて俺の意識を凍らせる。
 中から出てきたのは知らない人だったけども、それが俺の中の熱を飛ばして別の熱を押しこみ、更に冷たさまで詰め込んだから。思い出す。ここが何処であるかを、そしてどんな状況であるかを。静かに顔を背ければ、後ろには透明な板を隔ててテーブルが一つと椅子が二組、そして深い色のカウンターに高い背の椅子と、雨宿りのように中でコーヒーやジュース、紅茶を飲んだり、ケーキや軽食を食べている人が数人と、シックな制服を着た店員が数人居た。背筋に気温とは違う寒さが走る。背骨の下から、それこそ尾骨からうなじの上の上まで、妖艶な舌を以って丁寧に丁寧を重ねて舐められあげたような嫌な感覚。それこそ、手術をする際ののメス代わりに刃毀れしたハサミを使うぐらいに嫌な感覚は、背筋から広がって喉をゆっくりと締めつけてから脳に達する。それが恥ずかしいという事だと気づくまで、たっぷりと一〇秒はかかった。
 思わず締めつけられた喉から悲鳴が出そうなほど顔が茹って氷水に突き落とされ、背筋にはあまり掻きたいとは思わない種類の汗が浮かび上がり、寒いと言うのに妙な熱さが額から言語機能に達して痲痺し、壊滅し、声が出なくなる。声も出ないのにやたらと動く口から出た空気が近くを掻き回し、桜の耳元をくすぐったみたいで痙攣のようなそれに感電し、言語機能がシャットダウン状態から復帰する。無意味に開閉していた口は意味を取り戻したようにようやく声を取り戻し、情けなくひらがなの単音を呟く。桜はまたも痙攣したように震えながら、こっちを向いて俺の顔を見上げる。
「その、ん、なん、だ。……うん」
 実に言いにくいことを言おうとしているのだけど、接着剤で固められたように喉仏から先に出てこない。喉から出ないそれを諦めて飲み下し、その代わりに背中をあやすように軽く叩いてから窓ガラスの方へ目を向けさせる。そうすると桜も言語機能にトラブルが発したようにひらがなの単音をメチャクチャに区切って発し、窓ガラスから目を背けて手で軽く俺の背中を叩く。
 流石に気づいてしまってこれ以上その場に居れるほど、俺の神経は太くなく、鈍くもなかった。桜とくっついている一秒ごとに視線は束に重なって背中を刺すような気がするし、その視線は明らかに好奇の色を含んでいることも解る。とりあえず離れようかとも思ったけど、まだ冷たい桜の手が背中から腰の辺りを押さえていて離れることも出来ない。とすると、解決方法は多分、きっと、一つしかなかったんじゃないかと思う。
「帰るか」
「はい」
 だから、相合傘がしたかったとかじゃないんだよ、本当に。

 雨とビニール袋がツインリードで周囲の音を霞ませる中、その間に入ってきたのは傘と言う新しい楽器だ。ベースやドラムのようなリズム隊のような音だけども、複雑で早過ぎるそれはノりきることが出来ないから、まだまだに未熟であると言えるだろう。いや、そもそもそういう状況じゃないんだけど。二つ持っていたビニール袋の一つは桜が両手で持ち、俺は傘とビニール袋を持っている。曰く、女の勘は鋭いらしく、ビニール袋を持っているのが辛いというのが見抜かれるまでに時間がかからず、寒さとは別の理由で白くなった手を見て何故か睨むように見つめられ、ビニール袋の片方を奪われたのだった。
 雨が踊る。それこそブレイクダンスよりも派手に弾けて砂を流すような音を撒き散らし、空から続く銀糸で視界を覆って数メートルも離れていない人と人を隔離していく。だから余計に桜と近いと言うことが際立って、肩が触れる度に意識が傾いて桜に向かう。……ああきっと、俺の顔は赤いのかもしれない。寒さで赤いのか、顔に血が集まっているのか、理由はともかく。今、俺の顔は赤いに違いない。
 一際強いアピールをするビニール袋の演奏を聞くと、桜が中を覗いていた。
「今日はおでんですか?」
「ああ、うん。こんなに寒くなるとは思ってなかったけど、今なら肌寒いから丁度いいよな」
 味を染みさせるのに時間は必要だけど、と付け足して桜に言うと、「そうですね」と寒さで赤白くなった顔で笑いながら言う。ああそう言えば、と思い出した。紙を丸めるようなビニール袋の音が雨にかき消される。水が溢れているアスファルトを踏むと、カエルが跳ねたような音が波紋と共に雨に潰された。
「桜の味付けはやっぱり関東煮みたいな感じか? 俺はちょっと薄味が好きなんだけど」
「そうですね、どっちも好きですよ。関西の薄味のも、関東の濃い目のも。でも、先輩が作ったのが一番です」
 会話が続いていく。とりとめない、他愛ない、下らないとも表現できるような、何処にでも転がっている会話が、花いちもんめをする時のように、握手で繋がれていくように会話が続いていく。料理をする時のポイント、昨日あったことTVで流れたニュース、好きなアーティストの話題とか、本当に普通なことだけを繋いでいく。指切りのように特別じゃないそれは、何にも代えがたいほどに幸福感があった。
 それが終わっていく。電車が走れば終着駅があるように、物語のプロローグがエピローグに繋がるように、全ての物事は経過を作りながら終わりに突き進んでいく。ああ、なんだ。と、苦笑を浮かべそうな心境になる。必死に自分に言い訳してたのに結局は相合傘を楽しんでいて、それが終わるのが寂しいのだ。見ればもう銀糸の隙間から家が見えている。ビニール袋を持っている冷たく動かしにくい手は真白く、血の気がなくなっていた。

 重いビニール袋の中身を片付けてから、洗面所で手を洗う。よく冷えた水は末端神経からすぐさまに体の芯までに冷たさを浸透させていく。背筋まで駆け上った冷たさに身震いをしてから石鹸を手に取り、よく泡立ててばい菌を落としていく。手を洗い終わったら傍にあったプラスティック製のコップを取り、チープなデザインのそれに水を注いで何度か流してから口に含み、うがいを何度もして水を吐き出す。すっかりと冷たくなった口の中にまた寒気を覚えてから、タオルで手を拭いて台所に戻った。交代のように「洗面所に入った桜に先準備してるから」と言い残し、買ってきたばかりの材料の下拵えを始める。
「さて、やっつけ始めるか」
 ご期待にそえるよう頑張らないといけないしな。

 よく味の染みた大根を嚥下している途中だった。ライダーは気になることでもあったのだろうかと、早めに食事を終えてすぐに自室に戻ってしまうのを眺めながら、別に不味くないよな、と思いつつ、一つのことを思い出したのは。近くにそう離れた場所じゃない所で、俺が好きなバンドがライブをやるんだよな、と。本当に突然に思い出したのだ。
 ……うん。と心の中で頷いて、大根が胃に落ちたところで桜に声をかける。
「あのさ、今度俺の好きなバンドがライブやるんだけど、良かったら一緒に行かないか?」
 そう言って、菜箸を使って鍋の中からちくわを取り出す。桜は突然声をかけられてびっくりしたように箸が止まっていて、箸で摘んだつみれが昆布や卵が置かれている皿の中に落ちた。中に入っていた少し関西風のおでんのだしが跳ねて、テーブルに水滴を浮かばせる。俺は端からふきんを取るとそれを拭こうとして、桜の大音量音波攻撃にやられた。
「行きます! 行かせてください! 何が何でも付いて行きます!!」
 珍しく大声を出した桜の声は、僅か数十センチしか離れていなかった俺の耳を劈く。耳鳴りがするほど震えた耳は少しばかり使い物にならなくなったが、桜の喜んでいる顔をみたら、まあ良いか、なんて気分になった。少しだけ冷めたつみれの味が、桜に解かったのだろうか、それが今の悩みである。
 そして、自室で聞いていたらしいライダーがその後に今に戻ってきて律儀にわたしの分もお願いします、なんて言ったのが今後の悩みである。
 代価として雨が少しだけ好きになれたのが良かったことだろうか。まあ、同時に恥ずかしくもあったわけだけど。



雨中賛美歌



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