I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)
Steel is my body,and fire is my blood.(血潮は鉄で、心は硝子)



 1. New romancer(理想を追う者)



 同調(トレース)開始(オン)
 その言葉で俺は線を引いた。衛宮士郎が人間である事と、衛宮士郎が魔術と言う神秘を体現する歯車の一つになる事を。
 だけど生まれながらにして魔術回路を持った俺に、その言葉がどれほどの意味を持つのだろう。
 遠坂曰く、普通の人間には魔術回路は生まれないらしい。つまり切嗣の本当の子供でもない俺に魔術回路がある事は、本来考えられないのだと言う。
 だから、衛宮士郎が線を引く事にどれほどの意味があるのだろう? そんな疑問が浮かんだが、集中の為に思考を止める。

 頭の表面に浮かび上がり、脳髄に直結した固い撃鉄を撃ち落ろす。
 毎晩土蔵で続けている魔術の鍛錬。聖杯戦争以来、激変したと言っていいほどに成功率の上がった強化をする。
同調(トレース)開始(オン)
 その言葉で手に持った鉄パイプの設計図を視る。その設計図の中から魔力の通る道を探し出し、魔力を少しずつ、溢れないように限界近くまで注ぐ。
「基本骨子、解明。構成材質、解明。構成材質、補強――」
 強化は成功した。鉄ほどの硬さから鋼鉄にも負けないほどの強度を持った鉄パイプは、穴の開いた魔力の通り道を満たされて強くなった。
 なら、俺はどうなのだろう? 衛宮士郎は強いと言えるのだろうか?
 そこで集中が散漫した。既に魔力を限界まで通されていた鉄パイプに魔力が流れ、罅が入って使い物にならなくなる。
「ダメだな、俺。なに変なこと考えてるんだ、ちゃんと集中しないと」
 意識をスライドさせる。スライスする。無駄な事はまず置いておいて、鍛錬の時は集中しないといけない。
投影(トレース)開始(オン)
 頭の中にぼんやりと浮かび上がる剣を認識して、その映像をはっきりとさせてから剣を介して頭の中に記憶された剣を意識する。
 頭に浮かび上がるのは、セイバーが使っていたエクスカリバーでも彼女が王になる時に手にしたカリバーンでも無く、何処かで見たような気がする二振りの中華刀。普通の剣と比べれば大きくも短いそれは、ひどく眼に灼き付いた。
 眼に灼き付いて視神経が壊れたのか、解析もしていないのにその二振りの中華刀の設計図が頭に浮かぶ。
 その設計図が、分かる。
 何処が如何なっていてどう魔力を通せば良いのか、理解している。効率的な魔力の構築方法が頭の中に浮かんで、思わず組み立てた。
 既に暗示にかかっていた俺は魔力を設計図に通し、二振りの中華刀を造っていく。落ちた撃鉄は火花を散らし、魔力が通る魔力回路を活性化させてF1マシンのように魔力が激しく魔力回路を通っていく。
「くっ――」
 勝利すべき黄金の剣を造った時よりも軽いとは言え、無視出来ない負荷が体を襲う。まるでジェットコースターにでも乗ったような感覚が体を駆け抜ける。負荷は数秒ほどで、神経か血管が内部から圧迫されるような感じが終わると、両手には確りとした乾いた布に巻かれている金属の感触が在る。
 単純に重い。日本刀は重心のせいで重く感じるなんて言うけど、この剣は純粋に重くて、尚且つ重心のせいで余計に重量がある気がする。パワーリストを付けたような負担じゃなくて、例えるなら両手に枷でも付けられたような、馬鹿げた重さで縛りつけられているようだ。
 それでも、この剣を振るえる。なんとなく、薄暗い闇の中に光が見えるとでも言うようなぼんやりとした感じだけど、その剣の振り方が解る。
 狭い土蔵の中で黒い短剣を振り上げ――振るった。唐竹から左切り上げ、袈裟に斬ってから、白い短剣で持って右から薙ぐ。
 剣を振って、文字通り身に染みて理解出来た。ともすれば振りまわされそうになる程重いこの双剣は、ひどく手に馴染んでいる。まるで一〇年来の愛刀か親友と言われても納得出来そうなその剣は、今の俺じゃ扱うには足りないけど、きっとこれから先長い付き合いになるのだろうと思った。その自然さ、まるで手に有るべきと言うほどに馴染んだ剣は、俺の鍛え方が足りないのか、腕が震えるほどに負荷を与えていた。

 聖杯戦争後から、桜は滅多にうちに顔を出さなくなった。慎二が死んだ事が悲しいのかもしれない。結構ひどい事をしていたとは言え、兄妹だったのだし。
 だから食卓に上る料理は和食一辺倒になりがちで、藤ねえは肉を食わせろと吼える。そんな理由で朝から鶏の照り焼きなんて作ったのだが。まあ、出来も悪くなかったからいいんだけど。
 時計が七時を指す少し前。八分ほどに満たされた腹にお茶を入れるぼんやりとした感覚の中で、昨日の深夜と今日の朝に考えた事を口に出すため、心の準備をする。
 試行錯誤は思考錯誤になる。つまり、何も分からないまま動いても仕方が無い。暗い闇の中ではライターかペンライト程度の光でも無いとどうしようも無いものだ。何かしらのヒントでも欲しいから、つまりはまあ、縋り付くわけだ。
「藤ねえ。その、剣を教えてくれないか?」
 朝食を食べ終えてTVを見ながらお茶を飲んでいる藤ねえに言った。
 俺が言った事が珍しかったのか、興味を持ったようにTVから目を離して上半身を反転させて言い返す。
「うん。士郎が剣道に興味を持つのは良いし、教えるのも良いけどなんでかなー?」
「強くなりたいから――かな」
 嘘だ。そんな曖昧な事じゃなくて、あの双剣を振れるほどに鍛えたいから。悔しいけど分かる。筋トレで鍛えたような体じゃ、アレは満足に扱う事が出来ない。剣を振るって剣を振るう為に出来た体じゃないと、満足に振るう事なんて出来やしない。だから、竹刀でも木刀でも良いから剣を振るいたい。
 そして、剣の遣い方を覚えたい。知識としては唐竹から突きまで全部の攻撃方法を知ってるけど、それではどうしようもない。あの双剣の理想的な振り方が分かったとして、理解しているとして、それではどうしようもない。力の入れ方、つまりは楽な方法でしか振れず、その剣線は常に理想。だから使い物にならない。
「そうかー、士郎は正義の味方になりたいんだもんね。だったら強くないとダメだよねー」
 藤ねえは納得したように首を縦に何度か振り、納得したように笑う。
「じゃあ、道場行こうか。お姉ちゃんがビシバシ鍛えてあげるんだから!」
 腹が満たされたままで動いて気持ち悪くならないのかと思ったけど、そこら辺はまあ、藤ねえだから大丈夫なのかもしれない、と思った。
 道場に行くまでに一度部屋に戻り、動きやすくて丈夫な服に着替える。
 着替えてから道場に行くまでを歩くと、冷たいのか温かいのか判別のつきにくい風を受けながら春を感じる。満開になる前に散って行く櫻の花びらが流れて、大気を薄紅に染め上げる。
 ……うん、幸先の良いスタートだ。悪くない景色を堪能出来た。
 気合を入れると、道場に入った。そこには胴着に着替えた藤ねえが竹刀を杖のようにし、その柄尻の上に両手を置いている。
「おっそーい、師匠より遅くに入るとは何事か!」
 言ってる事は正しい。正しいんだけど、頬を膨らませた子供っぽい怒り方はどうなのかと思う。
「悪い。ちょっと景色とか見てたら遅れた」
 礼儀として頭を下げて謝り、藤ねえに許してもらった。
 藤ねえは膨らませた頬を元に戻して、手を置いていた竹刀を片手に持つ。竹刀の柄は薄黒く手垢で汚れていて、年季が入っているのが分かる。虎のストラップはついていない。どうやらあの虎のストラップ付きの竹刀は、安全に厳重な管理を持って藤村組の人に封印されているようだ。
「うん、まあいいや。じゃあ始めようか」
 そう言って壁に掛けてあった竹刀を一つ取り、俺に投げて渡す。竹刀は弧を描いて、見事に俺の頭上を舞う放物線に乗る。
 それを跳んでキャッチすると、文句を言った。
「仮にも剣道家が竹刀を粗末に扱うなよ」
「あははは、そうだねー。でも士郎、ナイスキャッチ!」
 竹刀を持った手とは逆の手でサムズアップをこっちに突き出しつつ、ウィンクをする。うん、全く色気が無いところが藤ねえらしいと言うか。
「そんじゃ、やるよー」
 その言葉で竹刀を構える。竹刀は一本。一刀が使えない奴が二刀使えるとも思えないから、まずは一刀を使いこなせるなるようにする。
 藤ねえもゆっくりと正眼に構える。すると、圧迫感が襲ってきた。それが多分、剣道家としての藤ねえなんだろう。
 喉元に剣先を突き付けられたような、心臓の鼓動が否応無く速くなる。殺気にも似た雰囲気は竹刀が真剣にも見えるほど鋭くて、容赦が無いのだと分かる。
 一ヶ月ぶりぐらいだろうか、身が凍れるとも思える緊張感は。
 竹刀を握る手の力が強くなって、体が堅くなる。体が硬いのは良い。けど、堅いのはダメだ。
 目をつぶって心の中で呟く。
 同調(トレース)開始(オン)
 体のスイッチを切り換える訳でもなく、体を強化するわけでもなく、何かを解析するわけでもない。ただ、体を解す為の暗示を自分にかける。
 それで体の芯が熱されたように体が温まり、堅さが取れていった。
「オーケー、始めよう……藤ねえ」
 そう俺が言い終わった瞬間、藤ねえが動いたと思ったら、竹刀を構えていた右手に鋭い痛みが走り同時に弾けるような高い音がした。
「ぐっ!」
「士郎、気が抜けてるよ」
 そういう問題じゃない。見えないとは言わないけど速い。霞むような摺り足は地面を滑り、竹刀は迅雷のよう鋭く、疾風のように高速で迫る。弱冠二十数歳で剣道五段、冬木の虎の名前は伊達じゃないらしい。
 でも、見えないわけじゃない。つまり反応は出来てる。だから、遣り合えない道理は無い。
 仕切り直して、またも高速で振るわれる竹刀。上段からのバカみたいな速さのそれを、振り上げて弾くように防ぐ。ひどく軽い手応え。勢いよく上げた竹刀はまるで上段の構え、そして上げられた竹刀は剣先で弧を描き、回るように胴を薙いだ。
 横隔膜が収縮したままで停止でもしているのか、悲鳴も上げられないままその場にうずくまる。
 気持ち悪い。まるで、胃の中を掻き回されているような感覚。そのまま考えていて、ようやく分かった。上段はフェイクだったのか、と。
 なんて無様。手間のかかる面を本命で使うならそれまでの流れか素早い竹刀捌きが必要だと言うのに、まんまと騙された。いや、その異常なまでの速度があるから騙されたんだけど。
「うーん、士郎ってやっぱり才能無いよねー」
 そう、俺には剣を使う才能は無い。子供の頃の真似事のような剣道で分かっていた。だけど、衛宮士郎は剣を造る者なのだ。いや、それのみを許された極めて未熟な魔術使い。だから、少なくとも剣を振るえなければ話にならない。
 まだ気持ち悪さの残る胃に喝を入れ、収縮したままだったと思われる横隔膜を動かし、呼吸を整えて立ち上がる。丁寧に作られた泥を胸の中でかき混ぜられているような気持ち悪さはまだ抜けないけど、足はしっかりと床を踏んでいるし手を竹刀を握っている。
「――才能が無いから、一生懸命やらなきゃいけないんだろ……。大丈夫、オーケー。遣れる。まだ闘える。遣ろう」
 イメージは日本刀の剣先。心を冷ます。冷静に、平静に。体が剣ならば、心は透明な――そう、ガラスだろうか。それなら十分に冷静で平静。ただ迫る剣に反応する為に、心をガランドウにする。
 声も無く、床を蹴る音に僅かに遅れて竹刀が空気を切り裂いた。それに反応して弾く。手応えは軽くて、まるでさっきのフェイクを再現するよう。
 だけど、今回は違った。竹刀と竹刀で反発したような速度で弾いた竹刀は楕円を描いて巻き戻り、上がった小手を狙う。それを打ち下ろして防いだ。合わさったのは鍔元で、衝撃は手元に返る。
「く、おぉぉ!」
 思いっきり弾かれた藤ねえの竹刀は地面に叩き付けられる寸前で止まり、胴を狙う俺の一撃を下から押し上げ、力の方向を逸らしていとも簡単に崩した。
 そしてそのまま俺の胴を打ち、俺はまたも床にうずくまる事になった。
「士郎って才能が有るのか無いのか分からないなー。試合う毎に今まで以上に防いでくるし、うん、よく分からないねー」
 なんて、俺が胃から朝食を戻すまいと必死になっている時に、何時もの暢気な声で言う藤ねえの声が擦れていたような気がした。
 結局、擦れていたのは俺の意識だと分かった時は数分程気絶した後だったのだけど。



 三月の後半から藤ねえに剣を教えて欲しいと言って、既に四ヶ月が経った。最初の一ヶ月は数手で呆気なく気絶させられる事が多かったものの、二ヶ月目からは二桁ほど打ち合えるようになってきた。三ヶ月目からは防戦ながら打ち合う数は増え、四ヶ月目からは攻めに回る事も出来るようになった。まあ、そうなった所で俺の才能の無さは変わらず、基本に従うだけで閃きと言うものが全く頭に浮かばないのだけど。
 流石に七月ともなれば気温は高く、熱が篭るから暑い。打ち合っている最中に竹刀を振るだけで汗が飛ぶ事もしばしばである。汗が目に入ってその隙にキレイに面を入れられた事もある。それ以来頭にはタオルを巻いているが、それもホンの気休め程度で効果はあまり無い。
 近頃は剣道じゃなくて剣術に近くなっている。俺としては望むところなのだが、藤ねえは打ち終わった後で自分の暴走を反省する時もあったけど、最近ではそれはそれで良し、と開き直ったようだ。
 勝負のルールは既に一撃必殺。小競り合いで隙を作り、どんな方向からでも良いから強い一撃を打ち込む。それで勝負が決してしまうのだ。本当に死ぬ事は無いにしろ、実際の斬り合いに近いのではないだろうか。
 実際、袈裟や切り上げ、風逆のからの一撃も一本として見なされる今、剣道からはひどく遠い。
 それよりも困った事は、竹刀が軽いから動きやすくはあるものの、筋肉が鍛えられにくい事だ。夜に双剣を作りだし、振るう時に如何してもギャップがある。そして竹刀を振るう時にも軽いと言う理由でギャップが出る。本当はこのままじゃいけないのだろう。

 だから、夜に集中する事にした。
投影(トレース)開始(オン)
 創作する為に必要な工程は八つ。これは俺が弓道をしている時に覚えた八節を魔術用にしたもの。
 それぞれ、
 創造理念の鑑定、
 基本骨子の想定、
 構成材質の複製、
 製作技術の模倣、
 成長経験の共感、
 蓄積年月の再現、
 そしてあらゆる工程を凌駕し、
 幻想が剣に至り――投影魔術は成る。
 十分に時間をかけて練度を上げ、白黒の双剣は過度とも思える重量と確りとした感触でその手の中に存在する事を証明した。
 この四ヶ月で色々と分かる事があった。
 この双剣の名前は干将と莫耶。白い方が莫耶で、黒い方が干将。白いのに陰剣、黒いのに陽剣なんてまるで逆じゃないかと思ったが、次第に慣れて今ではそれが合っているのだと思っている。
 多分、想像だけで実際そうなのかは分からないけど、黒は血が目立たずに白は血が目立つから、黒は陽、白は陰なんじゃないだろうか。
 物騒な事を考えてから、そんなことを考えるのを止める。今はそんな時じゃない。
 二つ目に分かった事。いや、正確には思い出したと言うべきか。この双剣は、あの日――俺が一度死んだ日、赤い弓兵が使用して青い槍兵と対峙した時に使っていた剣だった。数秒か、数分か、たったそれだけの、しかも校庭の真ん中程と端まで離れていたのに、目を奪われた――魅せられた剣舞に使用されていた物である。
 あの皮肉屋のいけ好かない奴が使っていた剣が、どうしてこうも手に馴染むのだろうか。そして、何故あの時、あんなにアイツが羨ましくて、それよりも強大な存在よりも強いと思えたのだろうか。目に灼きついたその背中はひどく強くて、未だに目から、瞼の裏から、脳裏から離れようとしない。
 三つ目に分かった事は、この剣の性質。何度も投影する度、その剣に関する知識が増えて行く。その剣は命を使って作られた剣である事。その剣は夫婦剣である事。それ故か、引き合う性質がある事など、その剣の設計図を頭に浮かべ、八節で作り上げる(読み込む)度にその剣を分かっていく。
 そして、読み込む度に最も思った事は、あの弓兵がどんなに強いかと言う事。人間であった奴はこの剣を使うのにただ基本に従い、その技量を以って敵と対峙していた。その技量は一見、才能の無い人間には届かないように見える領域であるが、実際は『人間』の技量。つまりそれは、才能の無い人間が模索し辿り着いた努力の結晶だった。
 それが純粋に強いと思った。才能など欠片も無く、天性の才能には敵うはずもありはしない、ただそれでも剣の腕が必要だったから、剣しか無かったから努力して辿り着いたその技は、なんて強いのだろうと、それが俺の目指す先なのだと思う他無かった。
 あの皮肉屋の奴が、何処か俺に似ている気がした。才能が無い剣使いであると言う事が、剣しかないと言う事が、そして何よりも――心不乱に何かに打ち込むその姿が、正義の味方を目指す俺と重なっているようだと思った。
「まあ、俺はあそこまで捻くれてないし、あそこまで強くないけど」
 苦笑気味に言って、双剣を振り回す為に土蔵から出た。

 乾いた竹刀の音が弾ける。お互い全力で打った袈裟の一撃は交差し、その竹刀の弾力と一撃の反発力で間合いを取る。
「やるようになったね、士郎」
 弾んだ息を隠そうともせず、面白い玩具でも見つけたような表情をして藤ねえは言った。
 冗談じゃない。僅かに遣り合えるようになって、藤ねえは益々容赦が、手加減が無くなった。何が嬉しいのか、明らかに喜んでいる藤ねえは、一日毎に速さが、重さが、質が増してきているような気がする。ただでさえ技術では完敗だと言うのに、気分がノられては攻めようが無い。言わば、水を得た魚とでも言うような状態で藤ねえは更に強くなっている。
 対して俺は、ガムシャラに剣を振るうだけ。僅かに質の増した筋肉で多少の無茶をし、今のところ藤ねえの竹刀を防いでいるけどそれも何時まで持つか。今まで一度も勝った事の無いのだ。最近の目標が藤ねえ相手に何分持つか、と言うのはネガティブかもしれない。
 下らない考えをしている暇も無いほどに、藤ねえは息を弾ませ、足捌きさえも弾ませて高速で迫る。
 木の板を並べた床を蹴ったその音は、ひどく軽い。子供が軽くジャンプをして着地したようなそんな音は、まるで疾風のよう。
「く、ぅ――っ!」
 剣が疾風なら合わせて対峙しよう、剣が暴風なら力の限り捌こう、だが、自身が疾風であるならばどうやって防げと言うのだろうか。少なくとも、俺は考えつかなかった。
 下段からボクシングのアッパーカットのように上がってくる藤ねえの竹刀は、正眼に構えた俺の竹刀を上に弾いてそのまま柄で俺の鳩尾を打った。
 最初の日のように俺は床にうずくまり、鳩尾から伝播する痛みと気持ち悪さに体をもがかせる。だと言うのに、心地良い。別に藤ねえにやられ過ぎて痛いのが好きな人になったわけじゃない。ただ、今なら幾らでもやれそうなほど気分が高揚している。ああ、今ならさっきの藤ねえの気分が分かる。ランナーズハイみたいな状態なんだろう。
 痛みも気持ち悪さも底に沈めて立ち上がる。この良い状態を終わらせたくない。
「やろう、藤ねえ。俺も――気分が良い」
「うん、今日はとことんやりたい気分だね。ボロボロになるまでやろか」
 弾んだ息は同じ、気分は高揚中、痛みは少ない。不快は駆逐出来る。さあ、遣り合おう。
 竹刀が重なるように合わさって弾けた。既に汗が着ている服を濃く染めていると言うのに、体の反応は柔軟体操が終わって打ち合いが始まった当初よりも速い。足は止まる間も無いぐらいに動き、道場内を駆け回る、跳び回る。
 動いて間合いは既に十分に取り、芯から燃え出すような熱さは燻り気味で速く燃やせと叫んでいる。後は竹刀を振るだけで、体中、心中まで燃え上がるだろう。
 した事も無いアイコンタクトで藤ねえに言う。もう良いか? と。もう、燃えていいか? と。藤ねえも同じ気分なのか、返答はすぐに来た。汗で額にくっ付いた前髪をオールバックにするように掻き上げてから、――最後の一欠片まで燃え尽きろ、と。
 無意識に、凄く自然に、口端が釣り上がったような気がした。
 竹刀が打たれる。同時に袈裟から切り上げ、薙ぎにまで行き、俺が竹刀を潜らせる様に下に弧を描くと、対峙する竹刀は上に弧を描き上下に打つかり合った。普段ならそんな衝撃まともに受けたら竹刀を取り落としそうな手の痺れも、今は心地良くて体は次の一手を繰り出そうとする。
 反発した竹刀を背後に通し上から叩き付けるように振り下ろす。藤ねえは真下に向かう竹刀を横から逸らし、そのまま袈裟に移行する。俺はそれを避ける為に前に出た。
 足捌きなど無く、ただ肩からぶつかるような体当たり。それを予測していたのか、藤ねえの袈裟は下がりながら出されていた。当たったらいけないと瞬時に判断して、通常なら考えもつかないような諦める状況で、わざと体制を崩し倒れ袈裟斬りから逃れる。
 袈裟斬りが背中を擦って通るのを僅かな痛みで感じると、無理矢理足を踏ん張って竹刀を振り回し、藤ねえの竹刀を思いっきり叩いて追撃を防いでから間合いを取る。実時間はどのくらいか分からないが、長くもあり刹那でもあるような第一幕の打ち合いは俺が負けた。だがまだ終わってない。行けるとすら思う。普段にはない閃きがある。その攻撃に対して対処法が浮かぶ。そして、第一ラウンドから第九ラウンドは負けても良いと思っている。完璧に負けるまでは幕は開き続ける。最後に立って居た方が、ファイナルラウンドで立って居た方が勝ちなのだから――。

 燃えた。藤ねえのアイコンタクト通り、燃え尽きた。頭の中が真っ白になるぐらいに打ち合って、気付いた時には肺が収縮しているんじゃないかと言うぐらい激しくて浅い呼吸をしていた。打ち合っていた竹刀は今日だけで酷使されたのだろう、気のせいか妙にボロくも見える。意識が飛ぶぐらいに熱くなったんだろうけど、幸いにもまだ負けては無いらしい。俺も藤ねえも肩を大きく上下させながら正眼を取り続けていた。
 さっきまでキャンプファイアーでもしてたんじゃないかと言うぐらいに燃えていたはずの心の中は、ひどく冷静で落ちつき切っている。色々と仮説を立てて辿り着いたのは、これが正に燃え尽きた状態と言うやつなんだろう、という当たり前過ぎる結論だった。
「驚いたなぁ。士郎、今日は凄く抵抗してくる。それに、何時もとは違う――」
 そりゃそうだ。あんなに燃えたんだから、違わない方がおかしい。体をチェックする。まだ動けるのか、だとしたらどのぐらい動けるのか。
 驚いた、体はまだ普通に動ける。疲労はかなり溜まっているのに動けるのだ。そして、違和感を覚えた。体が言う。そうじゃないだろ、と。意識は奥底から揺り動かされるように体の言葉に同意して、剣を持つ構えを変える。
 体を左前の半身にして足を開く。竹刀を持った左手が前で、右手は後ろに。それは本来二刀により成り立つ構え。だが、これが正しい。衛宮士郎の構えはこれだと体と意識が言う。
「ああそうか、うん。違うんだ。何時もなら反応しないような事に反応するし、しないような事して、まるで戦い方が変わったみたいだと思ったんだけど、本当に変わってたんだ。お姉ちゃん気付かなかったなー」
 そう言って、藤ねえは嬉しそうに笑顔を作った。整髪料代わりの汗でオールバックにした髪型から前髪が数本前に出て額に張りついている。それが藤ねえを何時もと違う感じにしているのだと思う。でなければ、待ち焦がれた恋人が来たとでも言うような眼で俺を見るはずが無いのだから。
 頭の中で警告音が鳴る。疲れているはずの藤ねえは、最初よりもさっきよりも今が一番危険だと。それが自分の変化でなんとなく分かる。今の状況は燃え尽きたのではなくて、辿り着いたんだと。燃え切って後は邪念も何も無い、体は疲れきっているのに動けて、それでも頭の中は冷静だなんてありえないと思うべきだった。
 だけど、今は純粋に喜ぼう。こんな領域まで俺を連れて来てくれた熱を、そして衛宮士郎に眼に灼きついた構えをさせる無意識に感謝しつつ。
「行くぞ、藤ねえ」
 シンプルにそう言った。それ以外は必要無い。
 分かる。この領域にある今、体は剣であるように強い。けど、剣は硬いから血では動く事が出来ない。なら血の代わりに紅く灼熱した流動する鉄を血管に流し込もう。そして冷静な心の中は傷一つ無い、透明なだけのガラスであれば、まるで今の状況になる。強く有るべき理由は常に冷静である事なんて思わない。現に熱くても強くはなれる。けど、今は――冷たくある方が勝つ。
 待ちで構えていた俺に、藤ねえは飛び込むように激しく竹刀を打つ。俺は竹刀の方向を変えて流すように藤ねえの攻撃を防ぎながら、チャンスを待つしかない。二刀では無い俺では攻勢に出る事は難しい。ただ、待つしかない。
 無限にも感じるほどの攻めを捌き、そして、隙間が出来た。
「おぉぉぉ!」
 体が動くなんて言っておいて、もう実は限界なんじゃないかと思う。冷静な方が勝つなんて思ったばかりなのに、いざチャンスを掴むと獣のように吼えているのだから。
 僅かに出来た隙間に剣を捩じ込む。竹刀の剣先は藤ねえの胴を捉え、真剣ならば腹の中程まで斬れているほどの力で薙いだ。
「うー、すごく痛い。お姉ちゃん負けちゃったよぅ」
 そう、ふざけたような何時もの調子で藤ねえが呟いて、俺は初めて藤ねえから勝ったんだと理解した。
「っしゃぁー! 藤ねえから一本取ったー!」
 明日全身筋肉痛になる事確定な体で道場内を子供のように走り回る。
「むむむー、士郎なんてその何百倍も負けてるんだからー!」
 藤ねえの文句も気にならないぐらい嬉しくて、明日の筋肉痛がよりひどくなるだろうに、走り回るのを止める事が出来なかったところは、まだまだ俺が子供っぽいんだと言う証明なのだろう。



 天気は雨。視界は最悪だ。状況も最悪。そして俺の気分も低下気味。何せ、藤ねえが雨で、
「湿気がびっちょりでやる気でないー」
 などとほざいたのだ。
 冗談じゃない。こっちは時間が足り無いし、双剣と竹刀のギャップに悩まされるしで頭を抱えたい状態なのだ。やる気が出ないと言う理由で今日の試合は止める、なんて言われても困るのだ。
 まあ、実際は天気が悪くて胴着が洗濯できないからどっちにしろ止めるしかないんだけど、それにしてももう少し納得出来る言い訳を言って欲しかった。
「お姉ちゃん暇ー。お姉ちゃん暇ー。お姉ちゃん暇なのよぅ。士郎、何か芸してー」
 暇なら働け、と喉元まで出かかったけど、どうせ言っても無駄なんだろうと思い直して口を閉じる。当然、芸など出来るわけが無いからそれに対しても閉口する。
「掃除しよう、掃除。今日は普段やれないところまで掃除する事に決めた。藤ねえも手伝え」
「ただで働くほどお姉ちゃんの人件費は甘くないやい! 報酬を出せー」
「じゃあ、冷凍庫に隠匿しておいたフローズンみかんを進呈しよう。特別に二個」
 藤ねえは目を瞑って眉を顰め、三秒ほど考えこんでからしっかりと俺の手を掴んで振り回してから「雑巾、雑巾〜」と即席の歌を唄いつつ、今から飛び出すように出ていった。
 ……まあ、藤ねえなりの了解って事なんだろう。俺も雑巾を取りに居間を出た。

 ゲット、レディ。エンジンは筋肉と骨で、タイヤは足と手で構成された二台のマシン。燃料は食材であり、パイロットは脳が担当している。マシーンネーム、衛宮士郎と藤村大河は、道場清掃仕様雑巾装備改修型で来たるスタートを待ち構えていた。
 エンジンの調子は悪くない、タイヤも良い感じに温まっている。後はただ先ほどから良い感じに暗くなって来ている雲が、轟音と閃光を放つのを待つのみ。それがスタートの合図。
 テンションは上がる一方で、エンジン音を真似た二人分の声が道場内に響き渡る。そして、轟音が弾けた。
 ギアは最初からトップで、クラウチングスタートのような格好から数歩で最高速度に達する。スタート位置は道場の端と端で、ゴールは同じ場所。ただ経路とテクニックが違う。コーナリングは荒々しくも丁寧に、かつ速度を落とさないように注意して駆け抜ける。セカンドラップは真ん中から相手側のスタート地点を目指してそのまま続けられる。セカンドラップで求められるのはファーストラップで獲得したコーナリングの経験を使い、どこまでカーブを華麗に回れるか。最高速度は変わる事が出来ないから、せめてスピードが落ちる事を防がなければいけない。そして逆のスタート地点からファイナルラップ。ここまで来たら後はミスを無くして、何処まで最速で辿り着くか。そこまでは藤ねえと俺はほぼ同等、決着はミスで決まる。高速で、荒々しくも華麗に駆け抜け、ゴールに先に辿りついたのは、
「へっへー。お姉ちゃんが優勝だー!」
 藤ねえだった。僅差、本当に僅差で負けたのだ。具体的に言うなら雑巾の大きさで負けた。速度も技術も経験もほぼ同等だったと言うのに、雑巾の大きさで負けては正直悔しかったけど、まあ仕方が無いかと諦めることにする。優勝のお立ち台も無ければその上で撒き散らすシャンパンも無く、あるのは優勝カップ代わりのレモネードを一杯作ると言う約束とフローズンみかんが二つだけ。
 まあ、こんな日も悪くは無いかと思いながら、今だ雨を降らし続ける暗い空を見上げ、湿気が蔓延する空気を肺に取り入れた。



 行き詰まった。
 明確に言うなら、二刀剣術と一刀剣術のギャップが深くなり過ぎて、今のままでは成長し難い状況になってしまったのだ。それに竹刀の長さの事もある。剣先の位置と重心が違うから、なんと言うか扱いに困ってきている。そこで竹刀を作る事にした。
 作る竹刀は両方同じ大きさ、重さ、重心の、夫婦剣ならぬ姉妹竹刀。長さは干将莫邪を基準にして、柄と剣先の位置、長さを設定する。材料は壊れた竹刀を流用する事にした。何物も使える物は使うべきだ。ある程度の長さが残っている壊れた竹刀を分解して、ノコギリで切り、角張った剣先と柄柄を削り、ヤスリで丸める。
 工作は割と嫌いじゃないからと言うのと、過去に藤ねえの竹刀を自作するなんて無謀な挑戦を手伝った事もあり、作り方は知ってるから準備は順調に進んで行く。因みに自作の竹刀はと言うと、ほとんど俺が作った。が、まだまだ子供の頃であったからか、竹刀はバランスが悪く使い物にならない物だった。
 そんな事を思い出しながら工程を進めていくと、ほぼ出来あがっていた。無意識でも作っていると言うのは危ないのか便利なのか、まあいいけど。
 出来あがった竹刀二本は太めの小太刀風で、外見上はそっくりに出来ている。流石に細部まで一緒と言うわけにはいかないけど、材料もある程度似通ったものを選んだからそう悪くは無いはずだ……と思う。
 両手に持って数度振ってみる。やっぱり、軽いと言う印象がある。竹刀よりも軽いからその点ではギャップが広がったんだろうけど、戦闘方法ではギャップは縮まった。造りは中々良いらしくて、一応実用に耐えそうだ。
 外に出て構えてみる。そして、
投影(トレース)開始(オン)
 剣を作るわけではなく、その姿を、その技術を、その強さを自分と重ね合わせる。即ち、投影をすると言う事。
 構えは頭との中のアイツと同じ、技術は比べるべくも無く劣るが、真似る。投影が壊れる時、それはコピーがオリジナルと信じ切れず、コピーと認識した時。そしてオリジナルよりも劣っていると認識し、幻想が甘くなった時。ならば俺がオリジナルであるように、劣った技量であっても自身はオリジナルなのだと信じきり、成りきるしかない。
「――憑依経験、共感終了」
 想定するのは赤い槍がそれ自体暴風であるかのように襲ってきて、それを防ぐと言う状況である。手にあるのは二本の竹刀ではなく、黒白の夫婦剣であると自分を騙す。そしてその夫婦剣は硬く、槍を流す事など造作も無いのだと信じ込んで――想定の準備を完了させる。
 眼を閉じる。暗闇に浮かぶのは青いボディスーツにも似た鎧を身につけ、しなやかな筋肉を持った槍兵の姿だ。そしてその手にある真紅の死の槍が明確とも言えるほどに形になる。
工程完了(ロールアウト)全投影(バレット)待機(クリア)――」
 青い槍兵はその真紅の槍を高々と掲げるように構えると、暗闇が凍りついたように静まり返り、燃えるように揺らぎ始め、暗闇の中に俺の姿が浮き彫りになる。足は竦んでない。大丈夫、対峙出来ている。後は、
「――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)……!」
 その高速の連続攻撃に反応出来るかだ。
 真紅の槍はその暗闇の中、大気を貫くように奔り、俺を狙う。その一撃はただの突きだと言うのに、当たれば必殺であり避けるには難かし過ぎる。だから流すしかない。金属が連続して擦れる音が鳴る。それは一秒の隙間もなく、耐えず連続して鳴り続ける。楽器は真紅の槍と手の中の夫婦剣で、その音は子供が弾いたピアノみたいにデタラメのようで、一流のピアニストが弾いたように素晴らしかった。
 一撃毎に腕に走る衝撃は並みじゃなくて、数撃捌いただけで握力が無くなっていく。それを耐えなければいけない。体が作られて無いのは百も承知の事実であるが、それでも何とかしなければいけないのが現状だ。
 握力の無い手で必死に双剣を握り捌く事数十合、その時点で俺にとっては出来過ぎだけど、それを『当然』として受け入れなければならない。それが、アイツであるから。
 数十度繰り返された槍の高速連続攻撃は止み、青い槍兵は構えを取った。暗闇が蠢くほどに世界が変動する。辺り一面の魔力が暴喰され、真紅の槍は凶々しく胎動した。絶対の死の予感は抗う事も無くなる事も無くただ充填され続け、体の芯から、背骨の髄から恐怖が搾り出される。脳の一部が痲痺しそうなぐらい濃密な死は、十分な間を持って――放たれる。
刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)――』
 青い槍兵の声が、暗闇に反響するように聞こえた。
 真名を持ってその効力を発揮した槍は、因果の逆転を以って既に心臓に当たると言う事実に捻じ曲げながら槍の軌道を決定する、正に反則と言える宝具だ。俺は心臓の前に夫婦剣を構えるが、それをすり抜けるようにして槍は心臓を貫いていた。冷たい金属と高速の突きによる摩擦熱の感覚は、両方が合わさって温く感じられ、ひどく気持ちが悪かった。
「ハ、――ァ!」
 幻想から現実に復帰する。方法は簡単、目を開けるだけ。
 だけど心臓の鼓動は激しくて、全身に掻いた汗は夏だと言うのに冷たく、胸には貫かれた感覚が残っている。恐怖は今だ雑巾を絞るように生み出され続け、竹刀の柄は手汗で水を零したように濡れている。
 二度、あの槍兵に殺された。それで理解した。衛宮士郎はまだ赤い弓兵足り得ない。アイツならあの一撃を防げる、とは思わないけど、それ以前の問題だった。その手前の槍の連続攻撃だけで、俺はほとんど力を使いきってしまった。悪態を吐きたくなったけど止める。それは逃げであり愚痴で、自分の弱さを表すしかない無意味な行為だったから。
 熱を入れる。釜に熱を入れて俺を熱し、金槌で叩き直さなければいけない。それ程に今の俺は弱く感じられた。

「あれ? 士郎、竹刀変えたんだ」
 不思議そうに、それでいて納得したように藤ねえは言って、竹刀を正眼に構える。
 俺は左半身のあの構えで、今日は二刀を持って対峙した。
「今日は厳しく遣りたい気分なんだけど、良いか?」
「うん、おっけーおっけー。お姉ちゃん、フルパワーで行っちゃうからねー」
 準備し終え、始まった途端、そのフルパワーと言う言葉の意味が理解出来た。例えるなら、いきなりギアがトップスピードに入ったかのよう。瞬発力がまるで違い、今までは予備動作があったのに、今は無いかのように速いのだ。見えないわけじゃない。限界速度は今までと変わらないけど、タイミングが掴み難くて今までの何倍も速く感じる。それだけなのだと分かってるのに……処理が追いつかない。
 それに一撃一撃が重い。藤ねえが力を込めているのは分かるけど、それに加えて片手である事と竹刀が短い事が加わり、今まで以上に重くなっている。
 甘かった。
 アイツの技を真似れるからなんだと言うのだ。基本的に衛宮士郎は素人であり、才能など無い凡人でしかないのだ。それを思い知らされている。
 そしてまだ体の作られていない俺では、全力の藤ねえが放つ捌くべき攻撃、捌けるはずの攻撃も、流すだけで精一杯であり攻勢になど出れない。双剣であるだけ捌けるようにはなっているけど、それも何時まで続くかなど分からない。
「むむむ、二桁行っちゃったなー。すぐ決めるつもりだったのに」
 本当に冗談じゃない。
 何処にそんな余裕があるのか、藤ねえは何時もの軽い口調で言いながら俺を追い詰める。俺など欠片も無く、姉妹竹刀で攻撃を防ぐだけ。
「じゃあ、そろそろ本気で決めないと。まだまだ士郎に負けてあげるわけにはいかないんだから」
 そう言って、真正面に立った藤ねえは今だ正眼に構え、それを僅かに上げ高速で迫ってきた。俺はそれに反応して左手の剣を振り上げ、恐らく最速で来るであろう唐竹割りの盾にしようと思ったが、肝心の竹刀はまだ来ない。
 藤ねえは、高速で移動した後、強引に速度を落とし停止していた。
「隙あり!」
 その言葉と共に再度加速した竹刀は俺の竹刀を潜る様に入り、三ヶ月ぶりに面――唐竹で一本取られた。不意に可笑しくなって笑った。
 自惚れていたんだろう。本来ならば敵うはず無いだろうに、手加減してくれていただろうに、一本取って自惚れていた?
 なんて、無様――。
 道化じみた自分が可笑しくて笑う。笑っている自分が可笑しくて嗤う。嗤っている自分が心底ふざけていると思って、嘲った。
 藤ねえが突然笑い出した俺に困惑していたけど、もう良い。
 何が厳しく遣ろうだ、自惚れるな衛宮士郎。さあ、これでいいだろう、思う存分笑っただろう。なら、ここで終われ。甘い自分を、自惚れた自分を、下らない自分を終わりにして切りをつけろ。それが今出来る最大限の事なのだから。
「悪い」
「うん? んー、良く分からないけど、特別に許してあげる。優しいお姉ちゃんに感謝しろー」
 冗談めいて言う藤ねえの優しさに本当に感謝してから自分の状況を考える。さて、今俺は堕ちた。とことん落ちて最階層だ。落ちた際にケツ打って物凄い痛いから、次は落ちないように慎重に進むのだ。つまりは、気付いたから――これ以上落ちはしない。だから、見るのは上で、要らない事考えるなってこと。
「遣ろう。さっきの面、痛く無かったから今すぐでも大丈夫だ」
 僅かに痛みの鼓動を繰り返す頭を一度擦ってから言う。
 体の音を聞く。定期的に鼓動を刻む心音は分速約六〇回弱。筋肉のしなりや骨の擦れは聞こえないから放って置いて、板張りの床を摺り足で進む音を聞く。柄を握った時の音を聞き、全身の感覚を確か終わると、藤ねえを見る。さあ来るぞ、今来るぞ、床を蹴って空気を滑って竹刀で大気を切り刻むぞ。ほら、ちゃんと見てろ俺の目玉。そら、来た――!



 時間は星と月が輝く深夜。月は半月よりも多少丸めで、例えるならアメフトのボールかレモンの形をしている。春先の風は僅かに冷たくて、揺れた髪で撫でられる首の背がこそばゆい。
 手には黒と白のボストンバッグの取っ手が重ねられて握られている。中身はシャツやジーパン等の衣類と、その他生活必需品が最低限よりは少しあるだろうかという程度に入っている。
 今日、衛宮士郎は切嗣が藤村の爺さんから借りたこの武家屋敷から出て行く。何時かは出て行くと決めていた事で、それが今日になっただけ。
 正直に言えば辛い。藤ねえには心底反対されたし、俺だって切嗣の結界が張ってあるこの屋敷には思い入れもあるし、簡単に離れようと思ったわけじゃない。だけど、離れる事が必要だから、俺は出ていくことに決めた。例えば藤ねえが駄々をこねて何度竹刀で俺を打ち捲くり、全身打撲で痛くても出ていくだろう。
 ここは良い人たちが居て甘えちまうから、ここに居ると理想を追えない。衛宮士郎の夢は正義の味方になる事なのだから。
 門の前に立って目を瞑る。この屋敷では、今年は――本当に色んな事があった。

 何時もの暑い夏の一日、打ち合って体力を削りあった後で、床に大の字で寝転がりながら藤ねえが言う。
「士郎はどこに行くの?」
「どこって、何が」
 意味が分からない。ただでさえ打ち合いと気温で頭が火照ってると言うのに、想像力が働くわけも無く、主題が無い言葉には何も返せない。
「進路。大学に進学するのかな、それとも就職? あ、フリーターはダメだからね。お姉ちゃん、ぶらぶらしてるのは許さないから」
 ああ成る程、そう言う事か。
「進学は無いと思う。やりたい事あるし」
「そっかー」
 納得したように後頭部を床に付けたまま頷く藤ねえは、結構器用だと思った。

 秋になって、赤く乾いた、茶色く渇いた、黄色のまま朽ちた落葉を箒で掃く。葉が落ちて寂しくなった木は運が良ければ、冬に雪の花を咲かせるかもしれない。
 掃かれた落葉は一箇所に集めて、後でゴミ袋に入れるから今は掃く事に専念する。
 庭の一箇所には赤茶黄が纏まった一ヶ所がある。そこには何時の間にか来ていた藤ねえが居た。
「ねぇ士郎、やきいもしようよ。落葉一杯有るし、今日ちょっと寒いし丁度良いよ。家にさつまいも有るし。ね、士郎〜」
 黄色と黒いボーダーのトレーナーにスカジャンを羽織り、細身のジーンズを履いた藤ねえは、見かけだけなら童顔ながら、ボーイッシュの大人っぽい女性に見えるのに、喋るとどうしようもなく子供っぽい。まあ、それが藤ねえらしいと言えばらしいだけど、勿体無いなどと思ったりも。
「分かった分かった。俺は落葉を草の無いところまでやるから、藤ねえはさつまいも持ってきてくれ。あ、ちゃんとさつまいもはアルミホイルで包まなきゃダメだからな」
 既に五メートルほど向こうで背中しか見えない藤ねえに大声で言うけど、聞こえてるのか聞こえてないのかは分からなかった。
 落葉を運び終わって帰ってきた藤ねえが持ってきたのは、剥き出しのさつまいもと封の解かれていないアルミホイルだったのも、らしいと言えばらしいかもしれない。

「ダメダメダメ、絶対ダメー! そんなの許しません! お姉ちゃん士郎が行っちゃったら泣いちゃうんだからー!!」
 そう言い残して――叫び残してだろうか――藤ねえは居間から出ていった。玄関のドアを開ける音がしたから、家からも出て行ったんだろう。
 予想はしてたけど、やっぱり想像と実際じゃまるで違うらしい。まあなんて言うか、胸が痛いのだ。タイガーとか虎とか呼ぶと怒って泣くけど、今回の泣くって言うのはそれとは別物なんだろうな、なんて想像しただけで落ち込みそうになる。藤ねえ曰く、ここで近所の人の正義の味方になれば良い。とか。それはそれで正義の味方なのだろう。けど、俺はもっと沢山の人を、出来るなら、やれるなら世界中の人を助けたい。それが衛宮士郎の正義の味方の理想なのだから。
 見知った一を助けるんじゃなく、知らない九を助けるわけじゃなく、全部合わせて十を助ける。衛宮士郎が目指す正義はそれでしかない。
 頭に過ぎる声をする。
 ――ここで藤ねえを置いていけば、それは見捨てる事になるんじゃないか?
 そんな事、無い。藤ねえは俺が居なくても生きていける。だから見捨てるわけじゃない、それに、ただ困ってる人を助けに行ってくるだけなんだから。帰ってこないわけじゃない。
 そう自分に言い聞かせて、殆ど何も無い自分の部屋で荷物を纏めた。
 呆としていたら時計は既に一一時を回っていた。あぁ、そろそろ行った方が良いだろう。藤ねえに会ったら罪悪感で胸が痛みそうだから、今日出て行く。

 そして門の前。まだ胸が痛いぐらい、時間の進みは遅い。いや、呆然としていて自分の心にけじめをつけなかったのが悪いのか。
 一歩を踏み出す。その何気ない行動が今は呼吸を一分間止めているよりも苦しくて難しい。目を瞑って深呼吸する。僅かに春前の冷たい空気は乾いていて、口内を僅かに乾かすがその温度の低さが濡れていると言うような錯覚を起こし、気にならない。余程深かったのか、肺も冷えるほどの呼吸は痛みを伴なったけど、それが何故か心地良かった。
 ……さて、行くべきだ。
「ちょっと待ったー!」
 足を踏み出そうとしたら、聞きなれた声が夜中の空に響き渡る。音量はCDプレイヤーのボリュームを上げ過ぎたと言うほどに大きく、辺りに家があったなら確実に近所迷惑になるだろう。だけど幸いここら辺の家はうちを除くと、坂の上の藤村の屋敷ぐらいしかない。まあ、そう言う問題ではないんだけど。
「そんなのお姉ちゃんが許さないんだから! 士郎はずっと一緒に居てわたしに美味しいご飯作ってくれるの!」
 無茶苦茶だ。それ以上に今の藤ねえを適確に表す表現は無いだろう。既に確定事項で事実として――或いは未来の像として決まっているのか、もしくは単に駄々をこね続けているだけなのかは分からないけど、俺が思っている以上に衛宮士郎を必要としていて、そしてこれからも必要としてくれている藤ねえに嬉しくて、悲しくて、どうしようもなくなった。
 行かないわけにはいかない。藤ねえが俺を如何に必要としてるか、周りが如何に俺を必要としてるか、そんな事を藤ねえが説明する度、出て行かなくてはならないと思う気持ちが固まっていく。ああ、今こそ認めよう。衛宮士郎には救いようが無い。バカにつける薬は無い、全くその通りらしい。
「悪い、それでも行きたい。行かなくちゃいけない。それが俺の夢だから」
 所詮、借り物の理想と何人が貶むだろうか。下らない子供のユメだと何人が嘲笑うだろうか。
 本当は許せない。俺の、切嗣の理想を嘲笑うなんて何にも知らない奴が言える事じゃない。けど、構わない。衛宮士郎に出来るのはただ十を救うと言う理想を追いかけるだけなのだから、気にしている暇なんて無い。
「ダメ、絶対ダメー! 士郎なんてすっごく弱くてへろへろのひょろひょろなんだから! 鉄砲とかで撃たれて死んじゃうんだから……」
「じゃあ、約束する。絶対帰ってくる。それに書ける時に手紙を出すか、電話する。それじゃダメか?」
 間が開く。何時もの一緒にTVを見ていて会話が無くても気まずい微睡みのような沈黙ではなく、肌に刺さる程、緊張感のある間隙。
「ぜったい?」
「ぜったい」
「ぜったいのぜったい?」
「ぜったいのぜったい」
 言い合う度に「ぜったい」の増える遣り取りは二桁になる直前で止められ、藤ねえは俯きながら震えている。それが何であるかは明確には分からないけど、俺が想像している通りじゃなければ良いと思う。
「バカ、バカバカバカバカバカバカバカバカバカ。士郎のバカ! 何処にでも行っちゃえー!」
 そう行って背を向け、五〇メートル六秒ハーフを切るほどの速度で藤ねえは出て行った。
 唖然として思考が停止していた。慌てて電源を引っこ抜いて再起動して考え直したら、つまりは行く事を許してくれたんだろうと思う。前向き過ぎる捉え方かもしれないけど、少なくとも今はそう思いたい。
 藤ねえらしい言葉に今更強張るように筋肉が動いて、顔が笑った形になったのが分かる。
「ありがとう」
 肝心の言いたい人に聞こえない感謝は夜の闇に消えていった。

「行くんだ」
 歩いている途中、突然に話しかけられた。聞きなれた俺の魔術の師匠の声は何処となく怒っているようで、同時に呆れているようにも思える。
「行く、やっと行かなきゃって思った」
 また、気まずい沈黙。今回は長く止まる事はなく、向こうからすぐに破られる。
「本当に呆れる。バカは死ななきゃ治らないって言うけど、死んでも治らないからバカなのね」
 そう言えば何度か死にかけた事があった。三途の川渡り切る一歩手前まで。あの時近くに転がっていた紅い宝石は今でも手元にある。
 バーサーカーに体を半分吹き飛ばされた時も死ぬんじゃないかと思った。今でも生きてる方が不思議なぐらい、死にかけた。
「ごめん」
 それしか言えなかった。言いたい事とか色々あったはずだけど、今は頭に浮かばない。
「一つだけ約束してくれる? 一方的にでもさせるけど」
 その言葉に苦笑しそうになりつつ頷き、言葉を待った。
「生きて帰れなんて言わないから、せめて死なないようにして。死んだら殺すから」
 死んでる奴をどうやって殺すのかと思ったけど、魂の消滅とか輪廻転生の否定とかなら死んでても殺す事になるのだろうと思った。そしてそれをやり遂げそうで怖い。
「分かった。うん、死なない。心配してくれてありがとう――遠坂」
「お礼は言いから最大限努力しなさい、へっぽこ」
 別れの言葉にしては随分とキツイと思ったけど、まあ仕方が無い。それは否定しようの無い事実だったのだから。
 それだけ言って、暗闇に隠れていたような遠坂の姿は何処かに行ってしまった。
「ありがとう」
 そして、
「行ってきます」



† † †



I have created over a thousand blades.(幾たびの戦場を越えて不敗)
Unknouwn to Death,(ただの一度も敗走はなく、)
Nor known to Life.(ただの一度も理解されない)



 2. Night ride + R(夜を越えて)



 どうして俺は戦っているんだろう。
 目の前には武装した軍人が数えるのも面倒になるほど部隊を揃えている。まるで砂糖に群がる蟻のようだと思った。
 その軍人たちの銃口は何を目指していて、その軍人たちの心は何処を目指しているのかなんて解らない。解りたくない。だから話し合おうと思ったのに、その銃口はよく見れば、俺を捉えていた。
 一生懸命勉強して拙い英語を使えるようになったのに、それを使う事が出来るのは僅かな間だけ。荒れ果てた地域の人たちとのコミュニケーションの時に駆使して、拙い拙いと笑われるのだ。
 その拙い英語は、肝心な所で役に立たない。
 高速で話される言葉を何とか理解して、専門用語を前後の文章から何とか理解すると、つまりは、「衛宮士郎は大量虐殺犯だから始末しろ」と言われているらしい。
 なんて単純な答えだったんだろう。衛宮士郎は――ただ奪うだけの殺害者。

 日が熱い。それは当然の事として、太陽が近づいてるんじゃないかと思うほど気温が高い。正確な温度は分からないけど、三五度は明らかに越えている。日本の夏みたいに湿度が高くないから不快感こそ少ないものの、乾いた温度は汗を掻かせ体内の水分を奪い、体を干していく。
 拙い。ボストンバッグに入っている水は後ペットボトル一本分だけ、食料は喉の乾きそうなパン一つのみ。地平線の如く続く道に果ては見えない。状況的に考えると、明らかに死にそう。ロールプレイングゲームだったら食糧不足で死ぬと言う最悪の結末になるだろう。でもこっちは現実的に危ない。
「……もうちょっと歩くペース速めるか」
 唇を舐め、ひび割れるのを防いでから呟いた。
 歩くペースを速めると、やっぱり体温の熱は上がっていく。そうなると自然に出る汗の量は多くなり、着ているTシャツは体に張りついてひどく動き難い。それだけならまだしも、細身のジーンズの中は汗と気温で蒸れて散々たる状況だ。一刻も早く町か村か国に着く必要がある。
 ボストンバックから500mlのペットボトルを出し、開いてない蓋を捻って一口分を含む。すぐには喉に流さないで口内に浸透させた後、胃酸を薄める為に胃に押し込んだ。温いミネラルウォーターはあまり良いものじゃないけど、飲まなきゃ死ぬんだからそうも言ってられない。
 水分補給を済ませて再び歩き出す。
 連なった石が、乾いてひび割れた地面が、若いままに枯れた草が、子供が軽く押しても折れそうな細い朽木が、全部が死を連想させる。それを通過して歩き続ける。怖いのは死じゃなくて、まだ誰も助けてないのにそのまま終わると言う未練があること。怖いと言うよりも悔しいと言った方が正しいかもしれない。
 汗は洗面器に入った水を被ったかのように頭を濡らし、Tシャツを濡らす。垂れて目に入ろうとする汗が大群を率いて来て流石に鬱陶しいからタオルで拭った。髪の方の汗は手で掻き混ぜる事で飛ばし、Tシャツは一度脱いで絞る。それをまた着るのは嫌な気分になったけど仕方が無い。
 一度風にはためかせてある程度冷まされたTシャツは刹那の冷却剤になった。

 数時間ほど歩き続けるとペットボトルの水が無くなった。日はまだ数時間は有り続けるだろう。パンは既に胃の中で胃酸に溶かされている。つまりはまあ、かなりピンチであると言う事だろうか。町は見えず、村の匂いはせず、生活している雰囲気も無い。
 それでも、歩くしかないから歩く。喉が乾いて唇がひび割れて汗さえ出なくなっても、出来る事はそれだけなのだ。
 そう思った数十分後、頭の痛みで俺は意識を閉ざした。

 頭が痛い。定期的に膨張するような痛みは心臓を連想させて、頭が痛みで鼓動する感覚が気持ち悪い。
 痛みがあると言う事は幸いにも生きているみたいで、その事実を理解した瞬間だけは痛みに感謝してやっぱり恨んだ。
 痛みに細めた目を開くと、薄暗い空間がある。空は茶色い麻布のような物で閉ざされていて、麻布は半径一メートル半程を包むように広がっている。
 喉は火傷した後のように痛むほど乾いていて、一度でも深く呼吸をすれば喉がくっ付いてしまいそうなほど唾液は糊じみているだろう。だから上から下に力の働く重力に喉を晒しているわけにはいかず、痛む頭を抑えながら上半身を起こした。
 それだけで体は限界だと悲鳴を上げるように骨と筋肉が軋み、間接の位置がズレているんじゃないかと思うほどに痛む。
 それで、苦笑した。なんて脆弱なのだろうと、自分の体は目釘が緩んだ刀のようで、一度振るえば分解してしまうほどに弱っている。
「――、――、――」
 声が擦れていた。正確には、声を出そうとすると声帯が悲鳴を上げ、それをすれば崩壊すると拒否するとでも言うように空気を振動させる事も出来ない。第一、口を動かすだけで頬と顎の間接が、接着剤でくっ付いた指を離すような嫌な感覚で動く。それは骨と骨が硬直した筋肉を無理矢理動かしているのだろうと思って、体を動かす事を止めた。どうせ頭が痛くて満足に考えれず、体は奇跡的に形を保っている燃え滓のようなものなのだ。何が出来るわけでもない。
 日中の熱を腹一杯に飲みこんだような体熱が自身を燃やすようで、日に焼けただけの褐色の肌は体が中から燃え尽きていっているようだと幻視をして――眼を閉じた。今あるのは俺が生きていると言う事と、体が渇いているという事実だけ。それだけを認識して沈む。いや、沈もうとした。
 声が聞こえた。人に言えない俺が言うのもなんだけど、僅かに拙いような言葉で誰かが話しかけてきた。軋む体を折るように動かすと、麻布のテントの入り口と思われるところに小さな子供が居る。年齢にして八つほどだろうか、髪は黒く、質は天然パーマで肌も日に焼けて茶褐色である。乾いた土で汚れたようなTシャツと半ズボンが子供らしい。恐らく、この土地の子供なのだろう。
 その子供が発した言葉は僅かに訛りのある英語。分からなくは無いけど、多少分かり難くて理解に時間がかかる。
「――、――」
 ようやく言葉を理解して、返事をしようとしたら喉が燃えた。火は声に引火して、燃え終わった炭のように風化していく。
 なんて情けない。「大丈夫?」なんて問いにも答えられないなんて、心配してくれてるのに声も返せないなんてことが悔しい。
 子供は餌をねだる小鳩のように口を動かす俺を見て何かを理解したようで、子供はテントから出ていった。そしてすぐに戻ってきて、手の中にある銀の塗装が剥げたカップを俺に差し出す。中には底が抜けるほどの透明な液体が注がれている。つまりは、水が入っていた。
 声を出せないから頭を下げ、礼を示してからカップを受け取った。水を口に含み、濃い唾液で粘度の高くなった口内を濯ぐようにふやかして喉に流す。その工程を何度か繰り返し、喉の渇きがある程度取れて声が出せるようになってから、今度は口でお礼を言った。もちろん、英語でだ。
 子供は俺の拙い英語でも何とか意味を汲み取ってくれたみたいで、太陽みたいに明るい笑顔で返事をしてから元気良く外に出て行った。
 ああいう笑顔が守れれば、救えれば良いと思う。あの子供を見て、素直にそう感じた。

 なんとか動くようになった体を引き摺って麻布のテントから出た。日はとっくに沈んでいて、赤い残り火が世界を照らしている。
 夕日のせいで灼熱した鉄板のようにも見える大地はまだ太陽の熱を含んでいて、遠くの山はさながら作り過ぎたチキンライスだろうか、なんて下らない事を考えつつ、人が居る場所まで歩いて話しかけた。その人は過剰に伸びた髭を蓄え、黒よりも白が大半になった髪は額から後退しているというのに、眼は生き生きとしているし体は締まっていると言う、エネルギッシュな人物である。恐らく、その人がこの村――だろうか? の長のような役割をしている人なんだろうと言うのがなんとなく分かった。
「助けて、いただいて、ありがとう、ござい、ます」
 まだ喉が慣れない。それに加えて拙い発音だから伝わっているのかすら怪しいが、長らしき人は僅かに口を笑わせてくれた。言葉と言うか、伝えようと思った事を解ってくれたんだろう。
「この村は貧しいが、それでも行き倒れた者を無視するほど人を失ってはおらんよ」
 僅かに訛った声が、何処か温かかった。それが嬉しくて、もう一度「ありがとう」と言った。今度はキレイに発音出来て、ちゃんと伝わったようだった。

 息を吐いて長袖のシャツで額の汗を拭いた。太陽は高く上っていて乾いたものを更に干し、干されたものは渇いていく。それを感じながら、何度も繰り返し使っているミネラルウォーターのペットボトルから水を一口飲み、作業を再開した。
 今やっている作業はテントの解れた所を縫い、破れたところを当て布で合わせる、つまりはまあテントの補修である。何故こんな事をやっているかと言うと、俺を助けてくれたお礼に何か手伝わせて欲しいとお願いしたところ、出来る事をやれる事になったからだ。俺が居ると迷惑になるのかもしれないけど、助けてくれてありがとうでそのまま去ると言う事は、助けてくれたお礼が出来ないからしたくなかった。だから今は村人の人たちの普段する事を手伝っている。それが今はテントの補修であるだけで、時には狩りに行く事もある。
 テントの補修を終えると、村の子供たちが数人駆け込んできた。恐らく追いかけっこでもやっている最中なんだろう。そう思って見守っていると、俺を中心にして回るように子供たちは背を追いかけ続ける。なんて言うか懐かしいような温かさを感じる。そう言う事もあったな、と言う何処か遠くに来てしまったような感覚が子供じゃ無くなったんだと言う気がして、少し寂しく感じる。
「直したテントが破れるから外に行こうか」
 相変わらず拙い英語でそう言う。子供たちはその褐色の顔を不満げに膨らませて、一度直されたテントを見た後、素直に頷いた。
 うん、藤ねえよりもよっぽど聞き分けが良くていい子だ。いや、比べるものでもないけど。
 俺も直したテントを村長の奥さんのところに持って行き、渡してから子供の輪に混ざった。単純なだけの追いかけっこは妙に楽しくて、日に焼けた褐色の肌が汗まみれになっても日が暮れるまで続けていた。

 瞬きをするほどの暇も無かった。惨劇は、既に始まっていた。
 目が覚めた時に聞こえたのはコンマ数秒間にも連続する軽めの小気味良い音で、軽めだと言うのに大きな音は酷く不快な悲鳴を伴なって悲劇の幕を開けた。外を見れば乾いた大地が黒く染まっていて、そこに褐色の人型が転がっていた。まるで異常過ぎる大きな処理を叩きつけられたパソコンのように一度フリーズして、再起動したように状況を把握した。何故か知らないけど、この村は襲撃にあっている、と。
 せっかく直したテントには数ミリの穴が開き、もはや補修出来る状態じゃない。人型からは命が零れ続けて、乾いた大地を濡らしていく。
「しっかりして下さい! しっかりして下さい!」
 何度も叫んで倒れている人の止血をし、まだ立っているテントに運ぶ。まだ無事な人も手伝ってくれて、作業は順調に運んだのだけど、すぐにテントは満杯になって空きが足りなくなる。傷を負った人の中には村長も居て、その力あったしなやかな肉体は左肘から先が欠損していた。苦痛に歪むその顔には悲壮感が浮かんでいる。
「何があったんですか?」
 相変わらず拙い英語が怨めしい。早く自分の思っている事が伝えきれなくて、無意識に舌打ちを零した。
「排除だよ。気に入らない村を武装して攻め入り、自分たちは無駄を消した善意の戦士、排除する村民は地球上の物資を無駄に消費する悪人と決めつけて、自らの欲求を満たす奴らだよ。色々あったが、君には関係無い。早く逃げなさい」
 そんなこと出来ない。出来るわけが無い。今も降り続ける弾丸の雨をどうにかする事なんて出来ないかもしれない。出来るか出来ないかで言ったら、出来ない方が可能性が大きいだろう。それでも村の人たちを見捨てる事が、ただの虐殺行為を見逃す事なんて出来るはずが無かった。
「逃げない、逃げたくない、逃げる事なんて出来ない。俺は――正義の味方だから」
 呟くように言った。慣れてしまったのか、出た言葉は英語。村長にも村の人にも理解出来るはずが無いだろう、正義の味方なんて、ヒーローなんて子供の内だけの幻想なのだから、普通ならば。でも衛宮士郎は違う、魔術と言う手段を以って救うと言う行為で正義の味方を体現する、体現出来る可能性が少しでもある俺は、子供の幻想そのままに――大人の理想を受け継いでそれを体現しなければいけない。その為に、村の人達を救うのだ。
 頭の中では既に設計図が浮かび上がっている。後は魔力でそれをなぞれば完成するのだけど、その前に一度だけでも話をしようと思った。
 銃口が一斉にこっちを向く中、俺は両手を上げて言う。何故こんな事をするのか、何故宣告も大義名分も無く虐殺を行うのかと。薄汚れた迷彩柄の長袖長ズボンと編み上げブーツ、それに迷彩柄のヘルメットをつけた小隊ほどのメンバーの一人は、俺のこの地方の訛りの無い英語とジーパンと長袖のシャツを見てこの村の人ではないと判断したらしく、言葉少なに教えてくれた。
「この村の奴等は全員強盗団なんだ。わが国で窃盗、殺人を行い、高飛びしてここに隠れ住んでいるのをやっと見つけたのだ」
 軍人らしい硬質とも言える発音のその言葉で、頭の中の設計図が霧散した。村長の言葉と彼らの言葉、どちらが正しいのかなんて判断がつかなくて、思考がメチャクチャな手順を踏んだあやとりの糸みたいになっている。今日二度目のフリーズに陥りそうになって、なる手前で処理をし終えた。声から判断するに、どちらも本気で正しい事を言っていた。ただ、その感じ方が違うだけなのだ。真実、強盗団であったのだろう村長は、他の『村』が壊滅したのを知り、こんな荒地まで来たのだろう。そして犯罪を働かれた国が動くほどの被害は、軍と言う武力を以って今、制裁されようとしている。
 理解し切れない。強盗団であろうと何であろうと、俺を救ってくれた事は事実なのだ。俺は彼らに礼を果たすべく彼らと交渉する為にここに来た。けど、それは本当に俺がして良い事なのだろうか? 何の関係も無い俺が踏みこんで良い問題じゃないのだ。けど、それでも今から死ぬと知っている人たちを見逃すなんてこと、とてもじゃないけど俺には出来ない。
「あの、なんとか出来ないんでしょうか? あの人たち行き倒れてた俺を助けてくれて、それで悪い人たちだって言われても見捨てる事なんて出来なくて――」
 頭の中を掻き混ぜながら言う。それに続けようとして、障られた。
「我が国では既に数百と言う数の人間が殺されたのだ。老若男女訊わずな。その中には悪人も居ただろうが、遥かに一般市民の方が多かった。その人たちを殺しておいて、盗賊団が助かる道理は無い。君は見逃そう、保護してもいい。だから盗賊団たちを助けろなんて意見は取り下げるんだ」
 どちらも被害者で、どちらも加害者だった。どちらにも正義なんて無かった。あるとしたらそれは、罪は罰に帰ると言う理論であり結論である一つの主張に過ぎない言葉だけ。その言葉が罪を犯した強盗団を裁くべきものであり、軍人を復讐者とするものだった。
 たったそれだけの考えと理論と主張と戸惑いで、俺は、何十人と言う命を見殺しにした。正確には、彼らを止めれるほどのことを考えつく事が出来なかった。
 唇を強く噛む。犬歯は前歯には無いから唇が破れることは無かったけど、血の流れが止まったように白く変色する。玩具のように連続して飛ぶ弾丸は何度も補修されてボロくなったテントを易々と突き破り、中から赤い染みを滴らせる。何か、大事なものを無くした気がした。
 水をかけられたように固まっていた砂は乾いて干され渇き、元の性質を取り戻して手から零れていく。零れていくと言う感覚は背中に氷柱を当てられたようで、体の芯から冷え切りそうなほど寒くて、頭の中をミキサーで掻き混ぜられるのかと思うほど気持ち悪かった。
 名前も知らない無骨な機関銃を乱射する軍人の顔は酷く歪んで見えて、実際歪んでいた。口端は切れたのかと思うほどに釣りあがり、目は新しい玩具を買ってもらった子供のように輝き、その指はゲームのコントローラーでも扱うかのように軽々しく引鉄を絞っている。
 ――違うだろ。そうじゃないだろ。人を殺してるのに、命を奪っているのに、なんで、愉しそうな顔をしてるんだよ……!
 頭の中が沸騰でもしたように熱くなった。気付いた時には頭の中の霧散した設計図を掻き集めて再構成、そして手には慣れ親しんだ冷たい金属を巻いた布の感触があった。
「投影、完了――ッ!」
 右手の白い短剣は乱射している機関銃を半ばから半分に断ち、弾丸の乱射を止めさせる。左手の黒い短剣は更に続けられ、半ばで断たれた機関銃を三つに分断する。弾丸も送られなくなった機関銃はただの鉄片と化し、二つは乾いた大地に、一つは顔をひどく歪めた軍人の手中に残った。
 攻撃、継続。突然の事で唖然としている軍人の銃を斬る。機関銃は引鉄と胴体を放し、自動小銃はチャンバーに弾を送れないように壊し、マシンガンはその銃身を折り曲げ、撃てば暴発する状態にした。
 もちろん、そう簡単にはいかなかった。二人分を破壊した所で、軍人たちは日ごろの訓練の賜物か銃口をこちらに向けて威嚇する。激昂したような表情でそのひん曲がった口から出る言葉は聞かない。ただ、武力を排除して無効化する。それだけ。
 威嚇されたから――銃が突き出されたから酷く遣り易かった。まず、銃身が長く伸びて無効化し易いマシンガンを刃の方では斬れるから、峯で打って銃口を破壊した。止まる可能性が無いとして発射された弾丸を干将莫邪を盾にして防げるものは防ぎ、行動に支障が無い部分は最低限に掠らせる。避けるよりもまず、壊す――。
 残り六人分の武装無効化を再開する。マシンガンの次に壊しやすい自動小銃を斜めに砕いて胴体ごと銃身を無くし、撃てば何処に飛ぶか分からないようにした。飛び交う銃弾を受ける事は止めた。威嚇のそれぞれ一発だけならともかく、残っている連発式の銃から出る多数の弾丸を受ける事なんて出来はしないのだから。
 自動小銃を二つ破壊して、次は機関銃を壊す事に決めた。その威力は目に見たし体験したから、怖いと分かっている。まず始めに壊すべきだったのはこれなのだろうけど、壊し難いそれに手間取っている間に他から撃たれれば死ぬのだから危険と知りながら放置しておくしかなかった。その銃身からばら撒かれる弾丸は防ぐ事なんて出来ないから、干将莫邪を投擲した。投擲された夫婦剣は銃身を貫くように二つの機関銃に突き刺さり、発射する事を防ぐ事に成功する。残り、二つ。
 唯一の武器を投擲して丸腰になった俺を侮ったのか、その迷彩服に手が届くほどまでに近づいてきた二人の軍人の銃を掴み、頭に浮かび上がった二つの撃鉄を落とす。
 衛宮士郎が得意としている魔術は投影である。しかし、得意では無いものの使用出来る魔術はもう一つある。聖杯戦争を経験する前、成功率が一パーセントを切っていた、使い物にならない『強化』と言う初歩的な魔術だ。俺の属性は剣だそうで、軍人たちが使っている銃とは縁が無い。だから、解析もせずただ無茶苦茶に魔力を通した。
「――同調(トレース)開始(オン)
 魔力を通すことが出来る隙間の限界を超えて行き場の無い所に入りこんだ魔力は暴走し、銃の構成材質を修復不可能なほどに壊した。
 二メートルほど先で機関銃に突き刺さっている干将莫邪は偽者であるとイメージし、硝子のような儚い音を奏でて砕けた剣に呆気に取られている軍人を尻目に新たに干将莫邪を投影し、さっきまで同じ剣が突き刺さっていた銃を今度こそ完全に破砕する。
 胸に残る嫌悪感も気持ち悪さも消えない。単なる俺の自己満足は周りに大きく迷惑をかけ、迷惑じゃ済まないぐらいに広がってどうにもならなくなっていく。スキー場の一番上から雪玉を転がしたみたいな状況は、胃の内容物を全部吐き出したくなるほど最悪だった。
「君は何をしようとしている。いや、何をするかなど、もう関係が無いな。君が反逆をする以上、我が勢力は君を排除する」
 そのエラそうな口調が、誠実ぶった口調がひどく不快で、軍人はどいつも口が歪んで見えた。
 軍人たちが何処からか取り出した大型のナイフがやけに凶々しくて、その在り方が黒板を爪で引っ掻くようで精神を逆撫でる。その手付きは軍人と言うよりもむしろ殺人鬼に近く思えて、人を殺し慣れその快感を忘れられないような雰囲気が惜しげも無く表される。
 結局のところ、俺も同罪なのだ。だと言うのに直接手を下したから許せないなんて感情、なんて自己中心的でまるで独裁者。
 何が何でも救うべきだったと今更後悔する俺は、一体何になれるのだろう……。
 手の中の刃金は日に晒されているというのに冷たくて、意思も持たずにただ道具で在り続けていた。故に俺は誰の意思でも強制でもなく、迷彩服を来た殺人鬼を、人を殺した。
 殺し終る時に僅かに聞こえた言葉と機械音は黒犬の慟哭のようであり、狼の悲鳴のようにも聞こえた。
 初めての人殺しは絶望のように黒く、無念のように苦くて、嘔吐のように酸っぱい、まるでこの世の中で最低に不味いコーヒーのようだった。



 全体の過半数以上を枯草が占める草原に潜むように寝転がってから数時間が過ぎた。草原は半径で二十数メートルはあり、かなり大きな規模で存在している。間違い探しのように前に潜んでいる野草の花は、ある種の清涼感が味わえて心が和む。
 その中で、俺以外に草を鳴らす音を聞いた。僅かだけ動いて音のした方を見ると、暗い世界にも浮かび上がる多数の人影がある。
 当たり前なほどに暗い夜に、闇を散らすような光が見える。散らされた闇は光の上で僅かに揺れ、まるで茹だっているよう。それもあながち外れてはいないか。なにせ、光の正体とは見るからに古めかしい松明などと言う物なのだから。何の思惑があって松明なのかは知らないけど、初めて見るその光は案外嫌いじゃなかった。数秒前までは。その多数の人影は、この草原にその松明を放り投げたのだ。
 一瞬、思考が凍った。余りにも適当で乱雑に行われたその行為は、俺の過去を蘇えらせる。つまりは、俺が初めて人を見捨てたあの日、衛宮士郎となるきっかけになった大火災の日だ。トラウマとも言えるその赤い光が広がることを想像すると、胸が掻き毟りたくなるほどに気持ち悪くなった。
投影(トレース)開始(オン)――!」
 八節を今までに無いほど高速に済ませると、手に夫婦剣を作り上げると火が放たれた場所まで一気に走り抜ける。きっとそのままのペースで一〇〇メートルを走ったら七秒台が出ているだろうほどの加速をし、火をつけた連中は突然の草を鳴らす音に驚いている間に草を斬り払う。
 地面を蹴って土を転がっている数本の松明にかけると、そのまま踏み付けて火を消す。幸い風が無かったおかげか、草は半径一メートルほども焼けないで済んだ。直後、汚いスラングと共に耳に入ってきた『殺人鬼』を意味する言葉で全てを理解した。つまり、一般的な旅行者にも見えるこいつらは、俺が殺した国の人なんだろう。
 そして言葉の後、幾つもの殺意がこちらを向いた。全員の手には黒い鉄隗があり、無骨なようで洗練されたそのデザインは殺意が具現化したもので、鉛の粒を高速で吐き出すそれは、何も抵抗しないのなら俺を数秒で地獄に突き落とす凶器と機能するのだろう。だから、引鉄を絞られる前に両手の夫婦剣で二つの拳銃を壊した。死にたくないわけじゃない。もちろん、死にたいわけでもないけど。ただ、理解が出来ないままで、あの凶々しく歪んだ口の意味を知らないで終わりたくなかった。
 その為には次の瞬間死亡確定と言う状況をどうにかするために、衛宮士郎が殺人犯となった日の再現をする。もっとも、機関銃やマシンガンが無い分危険は少ないし、拳銃である分狙い難いから難易度は幾分違うが。
 血に濡れた手は先日よりも素早く振るわれて、血を帯びた夫婦剣は熟れたように先日よりも易く凶器を破壊した。微かに乾いた炸裂音が数度鳴る中、服と皮膚程度を裂かれながら全ての拳銃の無力化を終えた。
「さて、幾らか聞きたい事があるんだけど――」
 そこまで言った時点で、それ以上の言葉が今は無駄であると分かった。殺意は銃だけではないようで、ひどく鋭利であり獰猛な獣の牙にも見える大型ナイフが全員の手の中にある。
「――その前にもう一度無効化した方が良さそうだな」
 生憎と俺の腕前は平凡か普通と呼ばれているものよりも下である事が分かっている。才能が無い故に努力して扱うしかない剣の腕はある意味頼れるものでもあったけど、しかし未熟でしか有り得ないから的が小さいとひどく苦労する。特にナイフみたいなものだと手を斬り飛ばしてしまわないように注意して慎重にならないといけないから苦労する。
 ナイフは本当に壊し難い。鋭利な刃は軽々と食い込ませてくれず、度が過ぎれば過剰に深く斬り、斬れる条件が揃わなくては強い力で相手の手を破壊してしまうのだから。
 結果から言えば俺は一人の腕を一センチほど斬り、二人の手首を壊してしまっただけに収まった。俺の剣の腕前から言えばその無力化は上等と言えたものじゃないだろうか。
「今度こそ聞きたいんだけど、答えくれる気は――」
 無さそうだ。
 誰一人として凶々しい口を開こうとしない。飢えた猛獣のような目は今でも健在で、僅かにでも気を抜けば逃げ出すか襲いかかってくるのだろう。
 正直に言えば衛宮士郎は冷静でもなんでも無く、知る事がある、知る必要があると言う意味で焦っていた。だからという言い訳ではないが、眉間に僅かに食いこむほどに干将を付き付けた。皮膚が破られて浮かんだ血が肌を伝い、一筋を引く姿は呆気ないほどに儚く見えて脆そうだった。
「聞くんなら一人残っていれば十分だよな。さて、喋る奴を一人選んでくれ。それ以外は」
 もう少しだけ干将を食い込ませる事で、続きの代わりにした。パフォーマンスが過ぎるかと思ったけど、今は黒い干将じゃなくて白い莫耶の方が血が映えて良かったかなんて思うほどだから、俺も錯乱しているのかもしれない。
 眉間を突き刺した奴から聞こえる喉が痙攣するような声で、僅かにでも竦んでいると言うのが分かった。後は幾らか待てば良いだろう。
 一〇分ほどそうしていたら、流石に手の力が抜けてきた。ただでさえ重い干将をずっと手で伸ばして支えているなんて、筋トレにも近い。空気椅子を腕でやっていると言えば解り易いかもしれない。五ミリほど食い込んだ刃は重力に従い、腕の力で多少の抵抗はありつつもゆっくりと鼻筋をなぞる。もちろん、食い込んだ部分はそのままだから縦に皮膚、及び肉を斬られて中から出る血は思った以上に大量で、その顔に血化粧をしていく。鼻先まで捌き終えた干将は滑るように落ち、変わりに莫耶を別の奴の眉間に付きつける。まだ食い込ませない。
「――そろそろ待つのも限界なんだけど、まだ決まらないのか?」
 ここ数ヶ月切っていなかった髪が揺れた。手で抑えても額の半ばまでだった髪は瞼にかかり、僅かに鬱陶しい。些細な事に気を向けれるほど余裕があるのかと思って、自分を嘲るように口を歪ませた。或いはこいつ等のように凶々しく。
 それで停滞が終わった。莫耶を突き付けた奴――よく見れば手首が赤黒く腫れている――が、血化粧をされた奴を見て抵抗する気を失ったようで、「話すから助けてくれ」と懇願してきた。元より殺す気なんて無い俺は、突き付けていた莫耶を腕に垂らすような状態に戻し、話を聞く。
「我が国は治安がひどく悪い。いや、治安など無いと言って良い。なにしろ全ての犯罪行為が犯罪にはならないのだから。人を殴るのも殺すのも売るのも全て自由、物は基本的に奪うことで手に入れる。奪取が出来なければ強奪――人を殺して手に入れることも日常茶飯時。もちろん、ほとんどの国のものが他の国から奪ったもので、国で売られている奴隷も他の国から連れてきた奴らだ」
「白人の顔立ちなのにやけに色が黒い人たちが居た国を知らないか?」
「――ああ、思い出した。知ってる、ありゃあ傑作だった。追いかけるとヒィヒィ言いながら逃げるんだ。女も子供も大人も男もよ。武器をちらつかせて歩けば悲鳴が上がってすぐ逃げ出してよ、追いかけて殺した時はすげぇ快感――」
 少し自慢げな声で言うそいつの言葉の一つ一つが胸糞悪くて、気がつけば莫耶は無意識の体の命令にしたがって水平に構えられ、殺意を零すように言葉を喋っていたそいつの首に突きつけられていた。命を奪わないと約束をしたから左手を制し、莫耶を止める。
「お前、もう喋るな」
 喉が凍っているんじゃないかと思うほどの低い声で言って、左手を下げる。干将莫耶を偽者と認識して壊してから、こいつらの荷物を漁って地図を見つけた。それを薄明るい月明かりで見る。ご丁寧にそこから来たと思われる国周辺の地図がある。それによると、意外にも遠くないようだ。
 多分、この国の奴はこれを見越してこいつらを使ったんだろう。俺が話を聞き出してそれを無視出来ないと思い、罠にする。随分と手軽で効果的且つ、頭に蛆でも沸いてるんじゃないかと思うほど命を軽く見た作戦。
 ご名答、俺はお前らを無視出来ない。罠に乗ってやるから晩餐会の準備をしておいて欲しい、その国で虐げられている人たちの分を。
 こんな事をして理解できた事と言えば一つだけ。もう、あの太陽みたいな笑顔は見られないのだということ。



 二日ほど移動すると、『国』が見えてきた。形だけ真似られて作られたような王城風の建物はひどく滑稽に見えて、厳かな雰囲気など欠片も無い様はいっそ哀れにも思う。
 時刻は空で見るなら四時を少し回ったぐらいだろうか、丁度良い。深い夜よりも浅い朝の方が集中力は落ちるものだ。俺はそのまま『国』に入ることにした。
 入ってすぐに目に付いたのは散乱するゴミ類。清潔と言う言葉とは無縁の風景――いや、風景と言う言葉ですらないほどただ汚いと言う印象を抱くだけの世界が広がっている。そして次に目に入ったのは今だ明るい家屋と、暗く濁った目。奴隷としか言いようの無い格好をしたまだ歳若い少年が、背は高いが肥えている男に乱暴をされながら連れられていく姿は酷く理性を削っていく。今すぐその丸太のような腕を切断してやりたい。そう思った頃には行動は終わっていた。
投影(トレース)開始(オン)
 壊れたスプリンクラーのように赤い液体を撒き散らす巨体は、腕の一本を失って呆けたように転がったそれを見て絶叫した。いや、しようとしたが、俺が腕を口に押し当てて防いだ。
「逃げろ」
 暗い目をした少年にそう言う。が、少年は赤い血を浴びて拭いもせず、俺に顔を向けて呟いた。
「生きてる事だけは出来たのに……」
 そう言って少年は汚れた素足のまま何処かに歩いて行った。
 そんな生き方があるなんて知らなくて、動揺した腕は振るえて落ち、巨体に剣が突き刺さった。落ちた剣は肋骨ごと心臓を貫いた感触をリアルに伝え、人を殺した罪とそれに対してあるだろう罰が背中にのしかかる。そして罪と罰は剣になり、体を突き刺して行く。心臓に達するような痛みは生きている感覚が、許されているような感覚がしたから受け入れた。
 体に命を刻み付けることで衛宮士郎は進んでいく。罪と罰の数は殺した分だけ体を突き刺す。それはキリスト教の十字架にも似ていて――まるで墓標のよう。
 ああ、また一人救い逃した。転がるように繰り返される思い。それだけが胸の中にあり、頭の中に反響している。
 衛宮士郎は罪を背負って墓標を作り、幾多の命を体に刻みつけ、手から血の匂いが取れないほどに命を奪った。それは救うと言う大義名分を持って暴力を振るうこの国の奴等や悪人と酷似していて――思考を停止させた。
 腕を斬った。足を斬った。腹を捌いた。耳を殺いだ。口を広げた。鼻を斬り取った。指を切り離した。間接ごとに分解した。内臓を解剖した。爪を剥いだ。皮膚を剥いた。骨を折った。眼球をゼリーみたいに潰した。脳をバターのように地面へ擦り付けた。
 覚えている事はそれをしたと言う事実だけで、心は何も感じず頭は何も理解せず、ただ殺人する機械のように大義名分を振るった。
 国は鉄臭い液体で溢れて、格好だけの王城を死に染め上げた。その姿は旧時代の戦争状態みたいで、酷くリアルに思える。
 気付けば息が上がって肩が上下している。両手の干将莫邪は赤く濡れていて、日に焼けた褐色の肌にも血が染み、乾いた大地のように赤茶色になっていた。手を動かすたびに乾いた血が肌を強張らせるような感覚があり、なんとも動かしづらい。
 見上げれば死臭の王城。その中に足を踏み入れて、腐臭を嗅いで床を鳴らす。家を出る時は新品だったニューバランスのスニーカーも随分と磨り減って、靴底の模様は浅い。随分と目立つ埃はある程度端に追いやられていて食べ物のクズと混ざっている。
 ゴム底のスニーカーだから高い靴音はならないが、階段を上がると薄汚れた国が一望出来る。随分と鮮烈な赤黒い花が咲いた。それ以前に煙で薄汚れたような街は灰色に濁っていて眺めたく無くなる。
 さて、もうそろそろだろう。腐った作戦を思いついた奴が居るのは大抵高いところの奥と決まっている。灰赤色の歩くたびに埃が舞う絨毯を踏みつけると、仰々しいまでに大きな扉の前に出る。巨大でともすれば畏怖しそうな扉だが、清掃もされず、光沢の無くなり悪趣味な細工がされて台無しになったそれは畏怖するに当たらない。いや、元より扉なんかに畏怖するほど衛宮士郎は弱くなどない。
 扉を強く蹴りつける。うっすらと膜のように張った扉の埃は靴底型に穴を抜かれ、勢い良く開く。
「随分と無作法だな、君は」
 沈澱した空気が扉を開かれたことで外の空気と入り混じる。内部の悪臭とも思える匂いは僅かに薄くなったが、それでも尚不快である。
 似合いもしないシルクハットを被り、黒い燕尾服を来た中肉中背の中年が言うが、その言葉に返答するつもりは無い。たっぷりと畜えた髭は、艶やかな光沢があることから城や街のように不潔ではなく、大事にされているらしいことが分かった。そのシルクハットと燕尾服も上等なもので、俺みたいな奴じゃ一生着ることも無いだろう服。
「無口なのかな。まあそれはいい。だがね、私もここまでやられていて黙っているほど大人ではないつもりだ」
 ――腐った頭の持ち主が、よく言う。
 後ろに居た数人の軍人服を着た頑強そうな奴等が銃口をこっちに向ける。その距離までは、離れ過ぎていて、ああ、なんて遠い――。
 数十の弾丸を掻い潜るなんてこと出来るわけもなく、体を弾幕が薄い方向に寄せてから致命傷になりそうなものを干将莫邪で防ぐ。肩を、腕を、足を掠っていく弾丸に皮膚を抉られながら、床に落ちることはしなかった。いや、出来なかった。落ちればすぐさまに体中に空くだろうから動きが鈍る事も許されない。
 皮膚を、肉を抉る銃弾は幾数と弾けて、射手が訓練されているのか正確に俺を狙う。抉られた個所が熱と痛みを訴えるけど気にしない。今はただどうやって致命傷を避け近寄るか、それだけを考えなければいけない。
 思考する合間にも銃弾は尽きる事が無く、半数が乱射すれば半数は銃弾を補填するような状態。弾切れなど狙う事は出来ない。いや、狙っていれば既に死んでいるだろうか。なにしろ弾丸は的確に俺を狙い嬲るのだ。それがわざとでないなど有り得ない。
 皮膚を抉られる、肉を抉られる、ハリセンボンのトゲみたいにあちこちから血が出る体は熱と命を喪失していく。冷えていく体は柔軟さを失っていき、次々と弾丸は致命傷に近づいていく。
 腕に灼熱を埋め込まれ、腿に発熱物質を穿たれた。それは確かに熱を持っていると言うのに体は温かみを失っていき、まるで錆びた歯車のようにぎこちない。
 ぎこちない体は呼吸さえも閉ざし始め、頭には白いもやがかかり始める。迫る弾丸はあまりにも現実感が希薄になって、死の存在さえ疑わしくなる。けども痛みと熱を訴えるそれは紛れも無く死で、眉間を打ち抜くコースのそれは紛れもなくその具現だった。
 複雑な思考など出来なくなった頭ではそれが何か分からなくて、次に思ったのは怖いと言うこと。死ぬなんてどうでもいいはずなのに、白く曇った頭ではそんなことも思わないはずなのに生存本能と言うのが壊れた俺にも少しだけあったのか、或いは――何も救えなかった未練からか。複雑なことなんて分からないからただ一つ、衛宮士郎はまだ死にたくないと思っている。それだけが真実だ。
 咄嗟に頭を逸らした。ブリキの玩具みたいな油を差していない金属製歯車を動かす音がして、こめかみが裂けた。骨は砕けていない。肉ごと散った血が盛大に吹き出る。太めの血管でも切れたのかもしれない。
「ァ、ハ――」
 喉が冷え切って凍った。白いもやは赤い恐怖に塗りつぶされる、手は冷え切って感覚が無い、灼熱はまだ埋まったまま、動かし難い体はブリキの人形。流れる命も温度もあまりにも寒過ぎて、灼熱で良いから全身に受けたいと思って――ダメだ。
 何を考えた、何を考えた、何を考えた。衛宮士郎は何を考えやがった。それはいけない。絶対にダメだ。未練がある? なら縋れ。醜く縋って足掻いて救えるようになれ。喉が凍った? 好都合、それ以上呼吸が狭まる事は無い。手足の感覚が無い? 幸運じゃないか、人殺しをする感覚を感じなくて済む。体が冷たい? なら温めれば良い。お前にはその方法がある――。
同調(トレース)()――()……!」
 衛宮士郎は正義の味方になるのだから。多少の無茶など造作もなく、多少の不利などひっくり返す。
 撃鉄を落として体中に魔力を流す。銃弾で穴の空いた体だ、流す余地など幾らでもある。鉄臭いと言うよりも鉄そのものの味がする血を舐める。口の中にその味が広がって苦味が思考と舌を支配する。その不快感を胃に突き落とし、体中のスイッチをオフからオンに切りかえる。流れる血は灼熱した鉄に変わり、体は強くあるべく、剣になった。
 冷えた体は灼熱の血で温まった、諦めた気持ちは自ら()が斬り捨てた、壊れた体は魔術で補った、血が抜けて醒めた頭は勝利の算段をするに相応しくなった、もう何の問題があろうか。
 衛宮士郎、準備はいいか?
 思考が加速していく、体のギアがトップに入る。思考はドライブ状態を超えて臨界点を突破、そのまま引鉄に手をかけて撃鉄をスタンバイにし、速度を上げていく。体の調子もバカみたいに良い。いきなりトップに入ったと言うのに体はそのまま回転数を上げ、全開地点を無視して通り過ぎオーバードライブ。なんて暴走状態、収拾がつかない。
「――投影(トレース)開始(オン)
 口からまだ飲みきれなかった分の血が零れて上手く言えなかったけど、魔術を扱うと言う暗示は体を支配していく。
 制止をかけたままだった引鉄を思いっきり絞り、数個の撃鉄を鳴らした。暴走状態の魔力は決壊したダムみたいに魔力回路を流れ、設計図通りに激走していく。頭に思い浮かべたのは複数の剣。特徴も面白みも無い剣が礼儀良く並んだ姿そのままに魔力は走り、それを構築していく。
 裂けたこめかみの辺りにハンマーでぶっ叩かれたような痛みが走ったけど、気にしない、してる暇なんてない。
 速く速く速く速く速く――!
 思考はそれだけに収束して、過去最高速度で剣を投影する事に成功した。特徴も何も無い剣は空中に生み出されて、目標を貫くために飛ぶようなこともせずそのまま落下してフローリングに絨毯を敷いた床へ俺を囲むようにして突き刺さった。俺はその円を作る剣の中に沈みこみ、両手の干将莫耶を持ちかえる。剣を生み出した直後に放たれた弾丸を剣は防ぎきり、堅固な鎧になる。
 数度剣が弾丸の軌道を変える音を聞くと、甲高い金属の音は一斉に止んで銃弾を装填する音に変わった。俺はその隙を狙い、背筋を目一杯反らし腕の力を振り絞って干将莫邪を投擲した。
 何か堅いものを砕くような貫くような音がしたけど、既に剣の中に沈んだ俺にはその瞬間を見る事は出来なかった。その代わり敵から背後にある剣を二本取り、さっきの干将莫邪同様に背筋を反らし、腕の力を最大限に使って投擲する。また、同じ音。断末魔は聞こえないから、銃にでも刺さってるのかもしれない。いや、そうしたら舌打ちでも聞こえるだろうか。
 剣を投げる瞬間にひどくブれた視界を覗く。曖昧過ぎて全体に湯気がかかったような感じでよく分からなかったけど、紅い花が二つ咲いていたから全部が外れているわけでも無いらしい。壁や床に投げつけた剣は計八本、残っている剣は後八本、剣で作られた壁は前面だけを隠し、後二本投げてしまえば壁としての役割すら出来なくなってしまうだろう事が分かった。そして、新たに剣を生み出しても異常に命中率の悪い今の方法では通じない事が分かっているから、状況としてはこっちが完全に不利である。
 湖の底みたいに冷えた思考をフル回転させる。歯車が強烈な負荷で火花を吐いても氷水をかけて冷やしながら思考を続ける。考えて得た結論はなんてつまらなくて当たり前過ぎた答え。何故か分からないけど、何故か知らないけど――衛宮士郎は中華風の夫婦剣を以ってこの状況を打破すると言う確信的な答えが胸の中にある。最初にこの剣を投影して得た感覚が重ねられる。この剣は一〇年来の親友のようだから信用出来ると、この剣は俺が目指した剣の使い手が持つ剣だから出来ないはずが無いと。
「――投影(トレース)開始(オン)
 錆びついて動きそうも無い撃鉄をハンマーで殴るみたいに無理矢理落とす。今までにないぐらいの衝撃を伴なって魔力は荒れた回路を通り、慣れた設計図に沿って形になる。夫婦剣、干将莫邪はいつも通りの確りとした感触を俺の両手に与えてくる。でも、それでは足りない、足りないのだ。いつもと同じではいけない。もっと強く、もっと硬く、もっと鋭く、確固たる意思の上でこれをより深く認識して解析して理解した物でなければいけない。
投影(トレース)開始(オン)――」
 干将莫邪を再度投影するわけじゃない。線を重ねるように、色を重ねるように、陰をつけるようにして干将莫邪をより深く識っていくために投影する。赤い騎士がこの剣をどう使ったかなんて事が識りたいわけじゃない、ただこの剣でどんなことが出来るかを識るためにより深く理解していく。脳裏には鮮明過ぎる姿が映し出されていく。理解出来ないほどの使い方もあったけど、その中で俺が使えてこの現状を打破出来るものを発見した。
 脳裏で描かれるのは夫婦剣が飛ぶ光景、それを再現しようと俺は手の中の夫婦剣に力を込め、魔力を込める。何で気づかなかったんだろうと思うほど簡単な答えがそこにあった。この夫婦剣の性質は互いに惹かれ合う事だと分かっていたのに、それを利用したものもそれを利用する方法も考えつかなかったことは余りにも鈍いと言えるだろう。自分で自身を嘲りながら魔力を込め続ける。
 攻撃が止んだ事が引鉄になったのか、既に円を描いていない左右に銃を構えた男たちが走る。攻撃が止んでいる間に銃弾が装填されていたのか、威嚇を混ぜながら走り、左右に三人ずつ彼らは集まり、銃口をわき腹に、背中に、頭に、足に、体中に狙いをつけながら汚い発音で何かを言う。汚過ぎるし、そしてヒアリング能力の高くない俺にはなんて言ったのか分からなかったけど、行動から大体の意味合いは分かる。でも、従う理由は無い。
 手の中の干将莫邪を左右に向かって思いっきり投擲する。撃たれる弾丸を必死に寝そべって出来る限り避けてから、地面に埋まった剣を蹴ってその場から脱出する。流石に寝そべっただけで全てが回避できるわけも無く、二の腕とふくらはぎを弾丸が抉り取っていく。他の部屋と比べればの話でキレイである絨毯は滑りが悪いけど、でんぐり返しで移動すればある程度の距離は得られる。途中、甲高く金属同士がなる音が響くのを聞きながら、でんぐり返しで数回転がってからヘッドスプリングの要領で立ちあがり、反転して膝を曲げ、バネを溜める。見えたのは紅い花が左右に三つ並んだ光景。その花を咲かせるための肥料になったのだろう頭の無い筋骨隆々とした体は無骨な銃器を布団にして寝ている。僅かに斜めに投擲した干将莫邪は斜めに突き進み、三つずつ頭を貫いて空中で合わさったようだ。
 最低限すら怠っていた呼吸を再開して埃っぽい空気を少し取り入れる。かすかに喉を擦る埃に咽せて、シルクハットと額の隙間から汗を落とす燕尾服のオヤジを見た。滲む汗が冷たくても熱くても関係ないし、その細い目を剥き出しにして睨まれても怖くなんてない、埃で汚れた燕尾服は滑稽だと思うし、手の中で震える拳銃はあまりにも役立たずに見える。
 薄くなったゴム底では威圧的な靴音は出ない。絨毯が敷いてあるわけだから立つ訳も無いが、映画のワンシーンなら会場内全てに響くような靴音でも出るんじゃないだろうか。ゆっくりとした足取りで転がった干将莫邪の元まで近寄り、両手に持つ。そしてまたゆっくりとした歩きで僅かに震える燕尾服の前で止まる。
「パーティもたけなわ、そろそろ終わりにしないか?」
 乾いた唇を舐める。刺さりそうなほどに乾いた唇で舌を引っ掻いたけど、痛みはない。手に持った干将莫邪は生温い体温と液体でかすかに温かく冷たい。気を抜いたら頭から崩れ落ちそうな体を、干将莫邪を垂らして重心を取る。僅かに柔らかい絨毯に磨り減ったゴム底が沈む、赤い液体が染みこんでより赤が濃くなった絨毯からは硝煙と鉄の匂いが漂う。閉じきった部屋の中で充満する二酸化炭素が意識に霧を吹く、空気清浄機は傷から昇ってくる痛みと熱の協奏曲。いい加減、力が抜けそうになる。掌に掻いた汗を布が吸う、指先が痺れそうな重さに血の塊みたいな息を吐き出して確りと夫婦剣を握り直す。
 僅かに感じる微炭酸のような二酸化炭素過多の空気と埃のカクテルを吸えば、乾いた喉をくすぐっていく。
「見事だよ、見事だ。実に素晴らしい、スタンディング・オベーションを捧げても良いくらいだ。だがね、私にも脳があれば思考があるし、考えがあれば心が存在する。その心は君を憎いと感じ、同時に素晴らしいと評価している。そして実に不思議だとも」
 たっぷりと畜えた髭の中の口を愉快そうに動かしながら、シルクハットを手で弄りまわしている。シルクハットに巻かれたリボンは乱暴な力で破られて、深紅の絨毯に白を描きこむ。シルクハットは手の中で形を変えて、まるでウェスタンハットのようになって頭に戻った。
「その辺の映画の悪役のように仲間になれなどとは言わない。あくまでも喧嘩を売ったのは私、そして買ったのは君。どう言う経緯がありどんな道を辿ったとしても、キッチリと終わらせるべきだ、どちらかの勝利としてね。そして、私は君の知っている通り――手段を選ばない」
 不恰好なシルクハットをかぶった奴は部屋の奥に行き、鋼鉄製のドアを開ける。重厚そうな音は錆びついたような不快な音とミックスされ、埃を更に舞わせる。
 追いかけようとしたのだけど、足が動かない。それどころか剣を握っている指一本動かすのも億劫で、擦り切れるような呼吸が浅く繰り返される。冷たいと言うよりも凍てついたような意識は霧を氷壁に変えて思考回路を停止に向かわせる。エンジンの回転数は一速まで落ちこみ、エンストになるかならないかと言う一線で攻防を繰り広げている。……なんて呆気ない幕切れだろうか、後少し、もう少しでなんとか出来たかもしれないのに、衛宮士郎の体は既に限界だと、蝋燭に灯った最後の輝きはもう終わりなのだと言う。まるで死後硬直のように固まった指を確認してから腕に力を入れる。まるで石柱のように曲がろうとしない腕を折ると、肘から先が軋むように曲がった。それだけだけど、衛宮士郎はまだ動けると言う認識は、次の個所を動かす。腕が動けば肩が、肩が動けば首が、首が動けば腰が、腰が動けば足が、凍りついた間接を砕くように伸ばし、曲げ、乾いた喉に粘ついた唾液を流すと、水を錆びた螺子で掻き混ぜたような味が胃に落ちた。
 革靴が絨毯を踏む。それに続いてキレイに磨かれた白いパンプスと、使い込まれたバスケットシューズが絨毯を微かに沈ませる。落ちた目線を上げれば引き攣った顔の少年と唇に薄い笑みを張りつけた少女の姿があり、少年には小さな銃の銃口が向けられていた。
「先程言った通り私は手段を選ばない。だから」
 大気を震わせる音が埃混じりの空気を撃つ。
「このように、私は君に対して人質を取る。もちろん、君とは無関係の人間だから人質になるかも分からないが」
 少年の明るい茶色をした髪が絨毯に数本舞い散った。焦げた匂いは辺りに薄く広がって、俺は眉を顰め歯を噛み締める。十分に、十二分に役に立ってるよ畜生め。
「君が動くと言うなら――いやいや、それは条件が厳し過ぎるな。君が私を殺そうとする度、私は一度人差し指を動かそう。それならば十分に緩いだろう?」
 僅かに黄ばんだ歯を見せて笑い、変形したシルクハットを揺らして笑う姿は紛れも無く道化である。だけど、その道化に手も足も出せない状況にある俺は何に値するのだろうか? 道化の使うマリオネットか、そんな上等なものじゃないだろう。せいぜい見事に騙される客だ、しこたま騙されて喜び、一ドル札を畳んで道化に投げつける程度の。
 絨毯が終わり、革靴が強く石で作られた廊下を叩く音が高く響く。追うように続くパンプスの音は僅かに鈍くて、バスケットシューズの音はしない。後ろに、斜めに遠くなっていく靴音が無くなってから、体に残っている力を振り絞って叫びと共に地面に干将莫邪を突き刺した。
 緊張の糸が切れるように、張り詰めた弦が弛まるように、俺は赤い絨毯に倒れ込んだ。

 目覚めてまず感じたのは嘔吐感だった。ほぼ空であるはずの胃から突き上げるような気持ち悪さはとてもじゃないけど耐え難く、四つん這いになって胃液とそれに混じった粘液状の食物を赤い絨毯にぶちまけた。何処かのマーライオンのように胃の中にあったものを全部吐き出して強酸性の胃液に痛みを覚えてから、自分で出しておいてなんだけど悪臭を感じてその場から立ち上がる。床に突き刺さった干将莫邪は今でもその存在を保っていて、すっかり暗くなった部屋の中で更に暗い影を生み出す。
堅い石の上で寝たからか体が少し痛むが、重い頭に意識を集中して干将莫邪を破砕した。ガラスのように割れて飛び散った欠片は煙か幻かと消える。
 力の抜けた体で絨毯を踏みつける。まるで綱渡りでもしてるかのような途切れ途切れの意識を必死に繋ぎとめながら、鉄の匂いが充満する部屋を後にした。血が抜け過ぎて重い体を引き摺って、元々磨り減っているゴム底を石の廊下で更にすり減らす。歩いている途中に足の力が抜けて何も無いところで転びそうになるけど、すぐに一歩前に出して体を安定させる。階段で転びそうになった時は流石にそんな対処は出来なかったから、数段ほど転げ落ちた。あちこち打撲が出来ているはずなのだけど、低体温動物のように体の痛みは鈍い。
 城から出ると暗い空が広がっていた。星だけは変わらずに輝いていてまるで幻想のよう。風に乗って鼻に届く血の匂いが俺を現実に引き戻し、胸に浮かぶ霞がかった思いがまだ退かない気持ち悪さに拍車をかける。
 ――本当に俺は正義の為に動いているのか?
 鈍い頭にやけに鮮明に響く言葉を咀嚼して紙くずのようにして胃に突き落として溶かした。今考える事じゃないからと理由づけて。
 ……立ち上る胃液は苦く、鉄臭さが混じっている気がした。
 体を引き摺って滑稽な城から立ち去る。いや、もう既に城は滑稽ではない。王の居ない国は国に非ず、道化でなければ滑稽で非ず、その城は血と死で塗ったくられた本物の城だ。だけど、国としては終わっていた。最初から最後まで。



 景気良くばら撒かれる銃弾を眺めながら手の中に夫婦剣を作り出す。既に何百と行なった行為、練度と速度は俺が作る中でも最高を誇っている。乾いた布の感触とその中から伝わる冷たい温度を感じながら岩蔭に隠れる。
 一週間。あの城が本物の城になってたった一週間しか経っていないのに、体はまだ癒えきっていないと言うのに岩蔭から出れば弾丸は俺を掠めていく。銃弾が放たれる炸裂音と手榴弾が爆発する爆裂音に鼓膜を震わせながら、微かに聞こえるトランシーバーからの受信音や音に負けないように大声で喋られる言葉に耳を傾ける。
 あぁ結局、衛宮士郎はそう言う存在なのか。
 トランシーバーから聞こえてきた高速で交わされる言葉を理解すると、衛宮士郎は大量殺人犯となったと言う事実だけ。
 思わず空を見上げた。夫婦剣を落とし、掌で顔を覆う。隙間から見える空は土煙で茶色く濁っていてとてもキレイなんて言えないけど、空に浮かぶ白い真円がとてつもなくキレイに見えた。鋭利に冷たくて不器用に整っていない表面は温かくて心底恐ろしいほどにキレイだと思った。気付かなかった。月がこんなにキレイなんて、所詮、俺は殺人犯に過ぎないなんて――。
 覆った両手で髪を掻き毟った。最近混じってきた白髪と赤い地毛が数本地面に落ちて交差する。それを莫耶で分断した、干将で切断した。心に突き刺さっている幾数の剣に手を合わせる。けれども、けれども、衛宮士郎はそんな言葉じゃ止まる事が出来ないから、これからも殺人犯で在り続けます、と祈るように言葉を落とした。
 干将莫耶に魔力を込めて左右に投擲した、偽者の軍人を壊した夫婦剣は本物の軍人さえも駆逐する。遠くで鋼の交差する音を聞いてから即座に夫婦剣を再投影、双剣を確りと握って一瞬停止した戦場を駆ける。重厚な金属が落ちる音が連続して炸裂音が停止した戦場によく響く。大鐘を叩いた後のような音が耳の中に篭り、聞こえる音を実際よりも小さく聞こえさせる。耳が治るよりも早く怒号が一つ響き渡り、銃弾は再度ばら撒かれる。舌打ちをしてから大き目の岩に再度隠れた。
 銃の製品名なんて知らないけれど、随分と性能の良いものだと言うのは解る。高性能のサイレンサーでも内蔵してるのか発射音が殆ど聞こえない銃だったり、一撃で握り拳ほどの岩を抉る威力を持った大口径の銃だったり、剣と言うともすれば時代遅れな武器で立ち向かうには難し過ぎるという事も解っている。けれど、相手が高性能の武器を持っていたって衛宮士郎が退く理由にはならない。もう既に、何人も殺しているのだから。
 岩蔭から飛び出て走る。一斉掃射で方向違いの場所を撃っている間に右手首を切断し、機関銃を破壊する。近くにいた軍人に左腕の肩と二の腕を抉られたけど、行動に支障が出るほどじゃない。耳元で獣のような叫びを聞きながら反転し、その勢いを利用して莫耶を投擲する。軍人が銃で防いだところで接近してすぐさまに干将を振り下ろすと逆手で持ったサバイバルナイフに防がれる。流石本物、そう簡単にはいかないらしい。
 サバイバルナイフと干将が打ち合わされている間に莫耶を拾い上げ、同時にホルスターから抜かれた拳銃に向かって斬り上げる。拳銃をは跳ねあがっただけで、手からも抜けず以前、原型を保っている。ここが勝負所だろう。離れれば拳銃で撃たれる、攻めあぐねていれば他の軍人に撃たれる、無理に押し切れば拳銃のグリップでも打ち下ろされるのだろう。四面楚歌ならぬ三面楚歌か、苦笑でも漏らしそうなほどつまらないことを思ってから迷い無く呟く。
同調(トレース)開始(オン)
 撃鉄を一つ落とした。金属が撃ち合わされる音が耳の奥で鳴り響き、魔力回路から魔力が体に流れこむ。まだ容易とは言えない自身の強化をすぐさまに完成させると、今までよりも軽く感じるようになった莫耶を反転させ、真逆のベクトルに落とす。銃を持っている腕を肘の半ば程まで斬りながら、痛みに呻いて崩れる体勢を狙って干将で手首を両方とも切断し、空中に浮かんだ拳銃をそのまま穿つ。食いこむまでには至らなかったが、形状は歪んでもう撃てそうに無い。
 剣から僅かに滴る血で尾を引きながら、適当に見つけた岩蔭に隠れる。途中、右腿と頬を掠めた銃弾に奥歯を噛み締めながら力を入れる。反応が鈍くなった左腕に懐から取り出した傷薬を塗って染みる痛みに目を細める。銃弾よりも薬が痛いのかなんて、苦笑を噛み殺して息を吐く。頬と右腿は霞めて皮膚を切ったぐらいだから大した事は無い。せいぜい、また着れる服が少なくなった無くなったと言う程度の事だ。
 土煙が舞い上がる空気の中で一つ深呼吸をして頭の中を空にする。
「全く……疲れるよなぁ」
 本当に。噛み殺せもしない苦笑を顔に張りつけて、衛宮士郎は疲れきったように鈍く歩き出す。銃弾は腕を、肩を、足を、頬を、体を掠めながら後方へ飛んでいく。銃弾はほぼ確実に掠っていく。それでも直撃は無い。着古して随分とくたびれたトレーナーを赤く染めて、着古して白く変色したジーンズを赤く染めて、両手の剣を振るって戦場をなお赤く染め上げる。それが真意で無くとも、不器用過ぎる俺は、方法が拙過ぎた。
 手に持った夫婦剣は死神の鎌のように人から手首の先を奪い、鉛をばら撒く無骨な鉄を壊す。死神が被るボロいフードとは言わないまでも、赤く濡れて破れたトレーナーは尾を引き、外套には見えたかもしれない。
 体を傷つけられながら剣を振るう。きっと、そうとしか出来ないから。俺がが選んだ道とは少し外れてるけど、歩き続けるために必要だから、俺は剣を振り続ける。そう信じて、信じるしかなくて、衛宮士郎はそう在り続けます。
 見れば戦場が赤いけれど、体から血の匂いが取れないけれど、きっと、衛宮士郎は『セイギノミカタ』で在り続けます――。
 それが引鉄だったんだろう。衛宮士郎は、歪によって完成した。そして唐突に理解をする、自身がどれほどに異質な存在であるのかを。自身がどれほどに不器用であるかを。投影魔術なんて得意魔術じゃなかったのだと自嘲する。衛宮士郎が本当に使えるのはたった一つの要素しか持たない、たった一つの用途しかない、汎用性など欠片も無い不器用過ぎる魔術。きっと俺は、そんな形でしか心を表せないのだろう。だからこその魔術、衛宮士郎が生まれた時に持っていたものは、自分の命とそれだった。
I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)
 例えるなら、整形されていないパズルのピースのよう。それが俺で、そうとしか在れない自身の性質だから。ああ、正義の味方を目指してるからなんて言い訳に過ぎない。衛宮士郎は端っからそういう奴だったのだ。
Steel is my body,and fire is my blood(血潮は鉄で、心は硝子)
 衛宮士郎は剣である。正しい、それ以上ないぐらいに正解だ。そう生まれたから、剣である事を運命付けられたなんて言わないけど、衛宮士郎は剣を持って生まれてきたから、それしか持てないほどに大きかったから、きっとそれを捨てる事が出来ないのだ。
I have created over a thousand blades(幾たびの戦場を越えて不敗)
 切嗣にどれだけ守られていたのか、セイバーにどれだけ守られていたのか、遠坂に、桜に、藤ねえに、俺が出会ってきた人々に、どれだけ守られていたのか知った。これからも守られていくのだろうと知った。思えば、思えるならば、俺が切嗣と出遇ったことが、俺が死にそうになった事が運命なのだと。
Unknouwn to Death(ただの一度も敗走はなく、)
 俺と言う剣は今までセイバーの鞘に閉じ篭もって居たから今まで歪に成り切らなかったのだろう。だから、俺でも普通の生活が出来たんだろう。でも、鞘はもう無いから、俺が目指す理想郷は俺が安全に生きていく事じゃないから鞘はもう、求めない。
Nor known to Life(ただの一度も理解されない)
 衛宮士郎は剣である。けれども、正義の味方を目指したことは事実なのだ。それがどんなに不可能で無意味で空想かつ幻想であり叶わない夢だとしても、衛宮士郎は正義の味方に成るために、その方法のために生まれ持った大き過ぎる剣を振るう。重過ぎて満足に振れやしない剣を。
Have wtihstood pain to create many weapons(彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う)
 きっとそれは暴走するのだろう。いや、既にしたと言おう。事実、俺は求めない殺人をしているのだから。だけれどもう、迷えないところまで来ているから、きっと迷うことは許されないから。心に剣を突き立てる。
Yet,those hands will never hold anything(故に、その生涯に意味はなく)
 その剣は罪の数、その剣は罰の数、その剣は無念の数、その剣は背負わなければいけない十字架であり、自らを許さんとするための逃避である。手を合わす事なんて許されないんだろうけど、それでも手を合わせなければ何かが零れてしまいそうになるから。
So as i pray,unlimited blade works(その体はきっと剣で出来ていた)
 大き過ぎる剣で手では持てないから、体と心に突き刺して運ぶ剣をけして忘れない。忘れたら衛宮士郎はその時点で終わってしまうから、だから忘れない。今その罪の数を、罰の数を曝け出そう、そしてこれから背負う罪と罰さえも……。
 赤過ぎる荒野に火が走る。油の切れた歯車が嫌な音を立て日の届かない場所で回り続けている。赤過ぎる荒野は、円を描く火と剣の群れに包まれた。
「無限の剣製……」
 唯一許された魔術が今、手に持った大き過ぎる剣の形が今、ハッキリと見えた。
 体がバカみたいに痛い。無理矢理魔力を通した魔力回路から暴走した魔力が体を灼いている。まるで全身の神経を剥き出しにして数百の針で突き刺したような感覚。針は灼熱に燃やされていて、痛みと熱さを織り交ぜながら脳髄に奥深くまで感覚を突き刺す。眼球の奥深くが点滅するほどの痛みは吐き気を伴なうが、痛みで吐き気さえ駆逐される。頭の頂辺から足のつま先まで痛みと熱で包まれて、ようやく開放された頃にはまるで体中が掃除されたように脱力感が残っていた。
 倒れこみそうになる体に喝を入れ、歯を食いしばる。だんだんと酷くなっていく脱力感に危機を覚えながら、荒野に広がった剣を一斉に飛ばし、地面に穿たせた。

 抜けきらない脱力感の中で目を覚ませば明け切らない夜の下にある。倒れこんでいた場所には白い髪が数本と傷から落ちたらしい血の塊がある。なんとなく覚えた違和感に髪を伸ばしてみれば、見える範囲全てが白い。ああ、ここまで侵食したかと苦笑を浮かべた。
 僅かに痛みを訴える体と軋む間接に鞭を打って歩き出す。地面には大量の乾いた血と大量の切り分けられた肢体と大量の穿たれた傷痕がある。歩行器も無い赤ん坊のように一歩一歩体勢を崩しながら歩くと、見覚えの有る場違いな格好が目に入った。まるで結婚式に出るかのような黒い燕尾服と、握りつぶされたような形のシルクハットは呆れるほどに覚えている。うつ伏せになった死体をひっくり返して見れば、見覚えのある顔とまた見覚えの有る背中姿。長袖のシャツの上からバスケットボールのユニフォームを着た格好に、脛までのカーゴパンツと使い込まれたバスケットシューズの靴底。その体の下から見えるのはまたも場違いな黒いレース。少年だったそれを退かせると、今度は仰向けになってそのまま息絶えた死体がある。それは初めて見た時とは違い、凄絶な表情を浮かべていた。
 何かが落ちたのか、軽い金属音が燕尾服を着た死体の方から聞こえた。振り向いてみると輝きなんてとっくに失った楕円形のシンプルなペンダントがある。それを持つと、何かが動いて楕円形が二つに割れた。中には本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた女の子が見覚えのあるドレスを着てこっちを見ている。顔の作りこそ幼かったが、紛れも無く二人の男の下に居た彼女だった。卵のように丸いペンダントには不釣合いな手触りがあり、その部分を見てみると拙い細工で小さく彫られていた。『My angel.』と。
 女の子の辺りを探してみると、同じような楕円形のペンダントがある。二つに分かれた中からはまだ整っているシルクハットと畜えられた髭を生やした中年の笑顔があり、不釣合いな手触りの場所には『My father.』と同じように拙い細工で彫られていた。
 思い出してみれば、不自然なほどに落ちついた彼女の笑みと少年だけに向けられていた銃口が記憶に有る。……少しだけ、少しだけ理解したくないと思って――諦めた。想像したそれはきっと事実であり、真実なのだろう。
 奥歯を噛み締める。なんてことは無い、これは俺がこれから背負う十字架の一つに過ぎないのだと。
 三人の体を元々あったように三つに重ね、脱力感の抜けない体で面白みの無い西洋剣を一つ投影すると近くに突き刺した。ただの実体化した十字架を地面に突き刺しただけ、何の事は無い。
 見上げれば暗みはもう僅か、まだ明けないと思っていた夜はもう明けようとしていた。



† † †



 Have wtihstood pain to create many weapons.(彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う)
 Yet,those hands will never hold anything.(故に、その生涯に意味はなく)
 So as i pray,unlimited blade works.(その体はきっと剣で出来ていた)



 3. Bite on the bullet(あの日の背中に届かない)



 Coming soon...



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