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 目の前には一枚のルーズリーフ。そして脳の血管が破裂してしまいそうな緊張と疑問。何で? 何故? 如何して? 思考しても帰ってくるものはない。
 ただ一つ分かるのは、このルーズリーフには俺の知らない――分からない言葉で綴られた言葉が無数にあると言うだけ。
 文字は約コンマ五センチ程の大きさで綴られており、その文字数はビッシリ。位置関係で言う下にある同じルーズリーフはまだ殆どが白い。と言っても、ルーズリーフの線は引かれているが。
 ただ一つ言えるのは、吐き気がしそうなほどの頭痛の原因はこの文字がビッシリと書かれたルーズリーフにある、と言う事だけ。



エヌ・イー



「っくしっ!」
 自分のくしゃみで起きた。空から見ると、どうやらいつもより早い時間に起きたらしい。
 それにしてもまた土蔵で寝ちゃったから、見つかると桜に起こられそうだ。一ヶ月ちょっと前にも同じ事したな、なんて暢気な事を思いながら身体を起こす。変な体勢で寝ていたのか、妙に緊張したような感触が身体から抜けない。
 首を振って骨を鳴らし、同じように腰を捻って骨を鳴らす。その時に気付いたのは手の違和感。何かを握っているのにそれが手の一部だと認識しているような感覚が違和感だと思ったのかもしれない。
 手の中にあったのは切れ味は殆ど無いと言っていいほどのなまくらなナイフ。それを放り出す。複製は出来るけど創造はかなり難しいらしい。それが昨日の魔術の鍛錬で得た事だった。
 もう四月とは言えまだ風が冷たい。特に朝は。
 ぼんやりとした頭を覚ます為に、土蔵から出て一度冷たい空気の中で深呼吸をする。凍て付くようなとは言わないが、それでも日も満足に当たっていないで冷たいままの空気が身体と頭を覚ます。
 良し。朝食の準備でもするか。
 台所まで向かい、エプロンを付けてから冷蔵庫を覗く。
 主菜は昨日魚屋で良かったから買った秋刀魚で良いだろう。それに出し巻き卵と豆腐と長葱、油揚げの味噌汁に納豆と言ったところだろうか。後はぬか漬けで良いとして、問題は虎とセイバーがそれで足りるかどうかなんだけど――まあ足りなかったらご飯とぬか漬けのお代わりで勘弁してもらうとしよう。
 まず米を六合研ぎ、普通炊きで十分時間は足りるだろうと炊飯器のスウィッチをONにする。その前に蜂蜜を大さじで二杯入れ、掻き混ぜる。こうするとご飯は蜂蜜のせいではなく、蜂蜜の成分で甘くなる。これで後は小一時間も放って置けば出来あがる。
 秋刀魚を五匹、人数分取り出し、ヌメリを取ってから水洗いし水気を拭き、塩を振って冷蔵庫に戻す。二十分も置けばいいだろうか。
 秋刀魚から水が出る間に片手鍋に水をたっぷりと入れ、火にかける。沸騰したらその中にすり鉢で粉末にした煮干しと鰹節をたっぷりと入れ、出汁を取ったら鰹節を出す。これで煮干のカルシウムも取れる出汁が出来あがる。この出汁を出汁巻き卵の分ほど取っておき、その中に煮崩れないように二センチ角に切った豆腐、斜めに切った長葱、油抜きして細切りにした油揚げを入れ、五分ほど中火から弱火で味を染みさせる。五分経ったら味噌を出汁で溶きつつ入れ、豆腐が崩れないように掻き混ぜたら出来あがり。それを他に移し、そろそろ良いだろうと冷蔵庫から秋刀魚を出す。秋刀魚を焼く前に皮に等間隔で切り込みを入れ、秋刀魚から油が出たら皮がパリっと焼けるようにする。秋刀魚を焼く前にグリルの受け皿に水を入れ、少し余熱をしてから網にサラダ油を塗り、秋刀魚を五つ並べて焼き始める。一五分も焼けば出来あがるだろうから、その間に出し巻き卵を作る。
 卵を六つ程取りだし、ボウルに割ってから出汁、塩、砂糖を入れて空気が入るように掻き混ぜる。丁度フライパンが温まってその中に卵を薄く敷くように入れた。ある程度固まったら菜箸で周りをフライパンから放し、フライパンの握りのある方の卵の布を掴み上げて折り畳む。焼き色はキレイに黄色。それを素早く取っての向こう側に折り畳んだら、フライパンの黒地が見える場所に油を少なめに塗ってから卵を流し込む。それを何度か繰り返し、まな板に置く。一口サイズに切れ目を入れ、皿を五つ出して盛る。
 それを味噌汁同様脇において置き、台所の下棚に置いてあったぬか床を引っ張り出す。中から定番のキュウリを抜き、変わり抜いた分を入れて掻き混ぜてからまた糠床を下棚に戻す。キュウリをちゃんと水で洗い、包丁で一口サイズに切ってから手と包丁を洗う。家庭的とは言え、糠臭いのは堪ったもんじゃない。
 出汁巻き卵も出来あがり、秋刀魚も後一分ほどで出来あがるだろうからその間に大根を卸しておく事にする。台所から四分の一程に切られた大根の皮をかつらむきの要領で無くしてから、使い込んだ感のある幾つもの穴とその周りを囲むようにある刺がある摩り下ろし器に大根を置いてから、大根卸しを入れる容器の上で摩り下ろしていく。俺は秋刀魚には大根卸しは大量にあった方が美味いと思うから四分の一全部摩り下ろし、摩り下ろし器をシンクに置いておく。
 グリルから秋刀魚を皿に移し、汁をある程度絞った大根卸しを付ける。付けるのは大根卸しだけで、レモンもかぼすも付けない。
 出汁巻き卵には大根卸しも生姜もつけない。一応和食だけはまだ桜にも遠坂にも抜かれてないし、出汁巻き卵は自信があるからそのままで食べて欲しいのだ。
 ――っと、そんな事を思っている内に炊飯器からアラームのような音がする。どうやら炊きあがったようだ。本当は十分ほど蒸らした方が良いのだが、料理が完成している以上料理優先と言う事で、主食で本当は偉い筈の白米は蒸らす事も出来ないまま電源を引っこ抜かれて炊飯器ごと居間に運ばれる。まあ、蜂蜜を入れたんだから白米には勘弁してもらおう。
 出来上がった料理をテーブルに運ぶ。味噌汁は一度温めなおしてから運び、お椀にはまだ盛らない。全ての食器を並べ終える少し前に藤ねえがいつものように叫ぶような大声で朝の挨拶をしてから居間に入ってくる。
「おはよう、それからお静かに」
「あはは、ごめんねー。今日は特に良い匂いがしたからテンション上がっちゃってー。ってアレ? まだ桜ちゃん来てないの?」
「そう言えばまだ来てないな。まあ桜だって寝坊ぐらいするだろ」
「そうだね、そう言うこともあるかー」
 そんなことを言っている内に藤ねえでもないのに結構な速度で玄関の扉が開かれる音がする。同時に「すいません、先輩!」なんて慌てた声も。
「噂をすればって、本当にあるもんなんだね」
「そうみたいだな」
 何時もからは考えられないような慌しさで桜は居間に顔を出した。女の命と言われる髪は梳かす時間が無かったのか、少し跳ねているところもある。そんなに急がなくても、電話一本くれればいいのに。
「もう片付けちゃいました?」
「ました。用意できたから座っててくれ、セイバー呼んでくる」
 そう言って瞑想と言う事で道場で正座をしてるだろうセイバーを呼びに良く。
「セイバー、朝食が出来たぞ」
 道場の剣道の試合の開始線の片側辺りで正座をし、目を瞑って膝に軽く握った手を置いているセイバーは凛としていてキレイだった。それを邪魔するのも気が引けたけど、料理が冷めたらセイバーに恨まれそうなのでそんな心を押し込めてセイバーに言う。
「分かりました。すぐ行きますので、私の分をお願いします」
 つまり、すぐ食べられるようにご飯と味噌汁をよそっておいてくれと言う意味だ。俺は了解して道場から居間に戻る。戻った居間には俺が居ない間に着たらしい遠坂が座って待っていた。
「おはよう、遠坂」
「おはよう、士郎。今日は秋刀魚が美味しそうに焼けてるわね」
 流石に焼きたての油が音を立てるような食欲を刺激する視覚こそ無くなっているものの、切れ目からその周辺に狐色の焼き目がついていて、見た目にも美味そうに見える。まあ見た目だけじゃなくて味も良いはずなんだけど。
「良い秋刀魚だって言ってたからな。ま、それより早く食べないと遅れるから食べよう」
 そういってみんなの分の茶碗とお椀に白米と味噌汁をよそっていく。藤ねえの茶碗は山盛り。遠坂、俺、桜の茶碗には大盛り、セイバーの茶碗にはなんとエベレスト盛りだ。チョモランマ盛りと言い換えても良いけど、ようは日本昔話のご飯の絵に匹敵するぐらい盛る。まあそれでお代わりするセイバーも凄いと言えば凄いのだが。
 セイバーも道場から居間に来ていつもの定置に座る。時計は六時二〇分、いつも通りの時間。
『いただきます』
 全員で言って食べ始める。
 藤ねえは山盛りを三杯と味噌汁二杯、糠漬けを一本追加、セイバーはエベレスト盛りを二杯、味噌汁二杯、糠漬けを半分追加で終わった。で、遠坂と桜と俺も結構食べ、炊飯器はいつも通りに空になる。何時も思うけど、一食で六合が無くなると言うのは凄いものがあるなと思う。
 食べ終わって桜と後片付けをする。桜は一人でやると言ったが、結構な量になったから学校に遅れないように二人でやるべきだろうと言ったら渋々ではあるが納得してくれた。
 片付けを終えると時計は七時を少し過ぎた頃。食休みをしても時間はたっぷり有る。これだけ時間が有れば遅刻はまず無いだろう。

 藤ねえはなぜかロケットタイガーと化してギリギリに滑り込んだ。俺の家から歩いて学校に通うのが三〇分なのに、何故バイクではギリギリなのかと疑問に思う。
 まあそれは置いておき、藤ねえは今年も俺の担任になったようで、運が良いと自画自賛していた。見守られるほどもう子供じゃないつもりなんだけど、藤ねえにとってはまだまだ俺は子供扱いのようだ。俺から見れば藤ねえの方が子供に見えるんだけど、特に食事時とか。
 まあそれは置いておいて、俺たちのクラスの一限は英語の為、藤ねえは教室から出て行かず、そのまま教科書を取り出して授業の準備をする。俺も教科書を鞄から出して机に出して用意した。

「コレを――じゃあ、衛宮君訳して」
 突然差されて慌てて席から立ち上がって返事をするけど、裏声のような情けない声だったと思う。黒板を見て目を擦る。黒と言うよりは緑がかっているボードに白いチョークで書かれたアルファベットの羅列。それはこう書いてあった。
 Facing toward the human of the cat lover, it is difficult for the human of cat dislike to shake the cat lover.
 正直に言おう、全く分からない。僅かに分かる単語と言えば human――人間、cat――猫、lover――好き。ぐらいだ。それらの単語から推測して、文を適当に作って答えてみる。
「えーと、人間が好きです。でも猫の方がもっと好きです――かな?」
「はい、まるで違います。衛宮君の今度のテストの点数が楽しみですねー。じゃあ遠坂さんお願い」
 教師モードの藤ねえにバカにされて教室からは笑い声が上がる。そして藤ねえに指名された遠坂は優等生です。と言うように経ち上がり、軽やかな声で多分、正解なのだろう訳を言う。
「猫好きの人間に向かって、猫嫌いの人間が猫好きの振りをするのは難しい。だと思います」
「はい、良く出来ました」
 一〇〇点の答えを見せた遠坂を笑顔で見てから、藤ねえはその後に俺を見る。マジメな風に見えて目が笑っていて、教師の仮面が取れたら真っ先にバカにしてきそうな目をしていた。
 藤ねえから目を移して遠坂を見ると、こっちを見てから悩んだように頬に手を付き、考え込むような顔をしてシャーペンを手で弄びながら何かを考えているようなそぶりを見せている。
 流石に全く分からなかったのはマズかっただろうか。俺はそんな事を考えて授業どころでは無くなってしまった。

「士郎、帰ってから話があるんだけど良い?」
 一限が終わるなり遠坂はそう言った。なんと言うか、目が笑っているのに笑ってないと言うような感じがする。例えるなら何かを企んでいると言うのが一番適切だろうか。遠坂が『赤いあくま』してる時みたいな目だ。
「あ、ああ。良いけど何だ?」
「それは帰ってからの秘密よ。まだ、ね」
 怖い。笑うと言うよりも、ニヤつくと言うような表情をして口端を釣り上げた遠坂はかなり怖かった。



 放課後になって遠坂は早々に帰ってしまった。たった一言、
「早く帰ってきなさいよね」
 と言う言葉を残して。その時の遠坂は一限の休み時間の時のように何かを企むような笑みを浮かべていて、猫を被っているとは言え優等生には見えなかった。企みの楽しみのようなものが大きすぎて、猫は何処かに飛んでしまったのだろう。
 恐ろしい。怖い。けど、帰らなかったらもっと怖いのだろうと言うことは分かる。だから俺は今日ほど掃除当番であることを悔やんだことは無く、素早くしかし丁寧に掃除を終わらせてから全力疾走を維持したまま、通学路を疾走して帰った俺に対する遠坂の言葉は「遅い!」と一言だけだった。

 疲れた。肉体的には少々乳酸が全身に回ったか? と言うぐらいなのだが、遠坂の言葉のパンチが精神的にクリティカルヒットしたのだ。
 精神的にダウンしてから遠坂に引っ張られるように家に入り、落ち込んだ気分を持ち直す為にお茶を入れる。最高級の玉露――と行きたいが、流石にそんなものは家には置いてないので、今有る中では最高の物を出来る限り丁寧に入れる。もちろん、俺と遠坂とセイバーの三人分を。
 そういえばセイバーが見当たらない。魔力維持の名目で寝てるのかもしれないけど、遠坂がマスターになったんだから、十分な魔力供給がある筈だ。多分。ではどこに居るのだろうか。考えて商店街で買い食いでもしてるのかもなんて思っていたら、あっという間に茶葉を蒸らす時間は過ぎ去っていった。
 見た目と匂いにも良い緑色の湯は三つの湯のみに注がれる。始めに俺、次に遠坂、最後にセイバー。最初に俺に注ぐのは最初が濃いからなんて理由ではなく、茶葉についているゴミを遠坂たちの湯のみに注がない為だ。
 本来なら遠坂もセイバーも紅茶が良いのだろうけど、生憎と俺には紅茶を美味く淹れる技術が無いから緑茶で勘弁してもらおう。それに家には紅茶と言ったってティバッグぐらいしかないのだ。当然、遠坂やセイバーが求める味になりはしない。なので衛宮家で美味しいお茶と言えば、緑茶になるのは有る意味必然的なのだ。
「遠坂、セイバーが何処に居るか分からないか?」
 台所からテーブルで何やらしている遠坂に訊くが、遠坂はそれに夢中になっていて俺の声に気付かない。魔術師は常に冷静たれじゃないのか、なんて思いながらお盆に湯のみを三つとお茶菓子――深山商店街に有る、和菓子屋のどら焼きをお盆乗せてテーブルに置いた。
 それで遠坂は俺と言うかお茶に気付いたみたいで、「ありがとう」と言ってから一度息を吹き冷まし、啜り感想を告げてまた没頭する。感想が「美味しい」だったのは良かったけれど、何をそんなに没頭しているのかと気にかかる。が、それよりもセイバーを先に探すべきだろう。お茶が冷めて不味くなったらセイバーも淹れた俺も嫌に違いないのだから。
 セイバーは道場に居た。先ほどの俺の考えは訂正しておこう。彼女は買い食いで欲を満たしていたわけでも暖かな昼寝を楽しんでいたわけでもなく、己を鍛える為に道場で正座をし、瞑想していた。声をかけそれを崩すのが惜しくなるほどキレイだと思ったけど、そんな理由でお茶を冷ましてしまうと俺がこっ酷く怒られるだろうから、一歩踏み込むようにしてセイバーに声をかける。
「セイバー、お茶が入ったから休憩にしないか? お茶請けはどら焼きだぞ」
 一瞬、セイバーの耳が動いたような気がしたのは気のせいだと思う。多分。
「そうですね。何時間も張り詰めてばかりよりは、適度休憩した方が集中力が持続するのは道理。すぐに行きますから、先に行っていて下さい」
 そう言って急かす様に俺を道場から追い出した。正座で足が痺れて無様な姿を晒すのが嫌だから追い出したのだろうか? と言うよりも、サーヴァントは足が痺れるのだろうか? 謎は尽きないまま積もる。とりあえず最初の目的のお茶を飲んで落ち着こうと思った。
 すぐ行くといった言葉通り、セイバーは俺が居間についてから一分もせずに来た。そして席に着き、一口お茶を啜ってからお茶請けのどら焼きを手に取り包装を解いて齧る。彼女は顔に美味しいと書いてあるのだろうか? と思うほどに素直に表情を浮かべる。それがなんとも微笑ましくて、なんと言うか、爺さんが孫見るような感覚と言えば凄く近いかもしれない。そんな気分になる。
 対して遠坂はそんな素直な表情はしない。美味しいと口端を少しだけ上げて分かりにくい笑みを作るか、ただ単に黙々と食べるのだ。が、黙々と食べる時はなんと言うか、目がいつもと違う。星のようなキレイな輝きかと思うと、酷く鋭利な狩人のような光を灯す事もある。真剣に食べていて味わっているのは分かるんだけど、正直怖い。まあ、それも慣れれば分かって面白いなと思うのだが。まあ、今は没頭していてそれどころじゃないみたいだけど。
 で、俺はと言うとごく普通に食べる。お茶を啜りながらどら焼きを食べれば、気分は落ち着いて三毛猫でもいれば撫でて過ごせるなーなんて思う。遠坂や美綴辺りに言うと爺むさいと言われるかもしれないが、それで落ち着き、日常の幸せが得られるのだからいいじゃないかと思う。
 そんな事を思っている間にセイバーは二つ目のどら焼きの包装を解き口にする。お茶請けというよりもどら焼きのついでにお茶があると言った方が正しいかもしれないような食べっぷりのセイバーは、一口齧る毎に満足げな表情をして頷きながら咀嚼を進めていく。まあ、幸せなのは良い事だ。食費の心配はともかく。
 遠坂は半分ほどどら焼きとお茶を残している。そこまでして何に没頭しているのかと気になり遠坂の手元を覗いてみると、一枚のルーズリーフとそれに走る一本のシャーペン。シャーペンは長く止まり、そして書かれる時は淀みなく書かれていく。
 何をしているのかまるで分からない。学校の宿題をするならプリントかノートだろうし、簡単な事なら遠坂の事、既に済ましてしまっているだろう。ならそれは遠坂でも難しいと言う事。なら俺が簡単に分かるはずはない、か。
 で、諦めた。考えて俺が分かることでもないだろうし、そう言う事ならゆっくりとお茶を楽しもうなんて思った瞬間、「そんな事させるかよ、ベイビィ」なんて悪魔が耳元で囁いた気がした。或いは虎の雄叫び。それぐらい、何か緊張するものを感じたのだ。遠坂の叫びと言えるのではないか? と思うほど大きな声に。
 遠坂はシャーペンをルーズリーフの右端辺りで滑らせるのを止め、「出来た!」と大声で言ったのだ。それにはセイバーも何事かと批難の目を向ける。口には三つ目のどら焼き。菓子置きの上にはどら焼きはもう一つしか残っていない。一人二つ計算だったのに、セイバーの食欲はそれでは収まらないようだった。
「何が出来たんだ、遠坂」
 俺がそう言った途端、遠坂の目に怪しい輝きが浮かんだのは気のせいだと思いたかったが、間違いではなかったらしい。
「ふふふ、まあコレを見なさい」
 そう言って遠坂は先程まで書きこんでいたルーズリーフを俺に見せる。そのルーズリーフには遠坂の手で書きこまれたアルファベットの文字がビッシリと並んでいる。……全く分からない。この無数のアルファベットに遠坂が悩んでいた理由も、遠坂の目に光が灯った理由も。
「これが一体何?」
「やりなさい、英語のテストよ。衛宮くんがどれだけ英語が出来るかって言うテスト。今日の授業は酷かったから」
 本来なら遠坂が俺に気をかけてくれて嬉しいと思うべきなのだろう。だろうが、全く嬉しくない。何しろ英語は駄目なのだ。五段階評価で毎回二を貰ってしまうぐらい駄目なのだ。
 それに、呼び方が衛宮くんになっている。それはある意味恐怖の象徴になっていて、俺をからかう時や本気で怒る時に遠坂が使う呼び方なのだから。
「えーと、やらなきゃ駄目?」
「駄目。理由がいるなら、そうね、今の衛宮くんの英語力が分からなきゃ教えようが無いからよ」
 どっちにしろ、英語の特訓が始まるのは間違い無いらしい。まあ、そう言うことならおとなしく従っていた方が傷は少なくなりそうなので、英語のテストをやる事にする。
 遠坂の手からルーズリーフを取り、もう一枚ルーズリーフを受け取り問題用のルーズリーフを見て頭を三回半捻じれ狂わせながら、解答用のルーズリーフに――書き込めない。何しろ、何一つ分かる気がしないのだから。
 落ち着け、落ち着け、何か一つぐらい分かる筈だ。流石に一つも分からないんじゃ遠坂が怒るに違いない。正解が一つも無かったりしたら極限まで深い溜め息を吐かれるか、ガンド撃ちでもされるに違いない。頑張れ、頑張れ俺。こんな時こそ集中力だ。
 三つ目のどら焼きを食べ終え、お茶を飲み干して満足げな顔をしているセイバーに気を取られている場合じゃない。落ち着け、頑張れ、集中だ――!
 俺は二〇分でルーズリーフにテクニカルノックアウトされた。

「全々駄目ね。〇点なんて初めて見たわ」
 遠坂は深く溜め息を吐いて手で顔を覆った。
 俺は無情にも全ての解答に跳ねた赤い線が付いているのを見て落ち込む。精一杯頑張って埋めた解答全てが間違っていたと言うのは流石に辛い。どのぐらいかと言うと、マラソンで一〇キロ程走ってから呼吸も整えずセイバーと剣の鍛錬しながら、遠坂と魔術の鍛錬をするぐらい辛い。と言うかキツイ。
「まあ、余計な癖が無い分良いとポジティヴに考えるべきね」
 遠坂は目頭とこめかみを揉みながら自分を励ますように呟く。
「えーと、どう言うことだ?」
「鈍いわね。だから、無駄に和製英語に染まってない分、今からネイティヴ・イングリッシュを自然に覚えれるでしょ、って事」
「えーっと、ネイティブイングリッシュと言いますと、現地英語の事ですか? と言うか何故ネイティブイングリッシュが出てくるんだ?」
 流石にネイティブイングリッシュと言う言葉ぐらいは知ってるけど、それがどう結びつくのかが分からない。英語の勉強と言うと発音よりも書きこみだと思うし。
「貴方、ロンドンで英語辞書片手にマズい片言英語で生きれると思ってるの?」
 そうだ、二ヶ月も経ってないのに、もしかしたら既に若年性健忘症の気があるのかもしれない。――いや、そうじゃなくて単純に忘れてただけなんだけど、あんな出来事忘れるなんて、俺どうかしてるんじゃないだろうか?
「そう言えば後一年でロンドンに行くんだよな、うん」
「……もしかして」
 低く、小さく、這う様な声で遠坂は呟く。
「ごめんなさい。毎日が急がしくて忘れてました」
 これは本当だ。なんと言うかフルマラソンを七割ほどの速度で、一気に駆け抜けたような気がする日々だった。セイバーと剣の鍛錬をしては打たれて打撲ができ、遠坂と魔術の鍛錬をしては精神が追い詰められ、朝食と夕食は毎日が宴会のように騒がしい。
 楽しいと言える日々なのだろうが、疲れる日々でもあった。
「言い訳しない! 全く、後一年しかないんだからかなり厳しく行くわよ?」
「よろしくお願いします、遠坂先生……」
 遠坂先生は魔術の鍛錬よりも厳しく英語を教えてくれるらしい。その事を聞いて俺はなるべく優しくして欲しいと思ったが、それでは到底間に合わないのだろうと分かって従う他無かった。



† † †



「Unlimited playback is not permanent life. はい」
「アンリミテッドプレイバックイズノットパーマネントライフ」
「発音がなってない、やり直し!」

「Ich bin der Knochen meiner Klinge はい」
「それ英語じゃないって!」

「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ・ぐあ なふるたぐん いあ! くとぅぐあ! はい」
「いや、それもうまるで違うって!」



† † †



 一ヶ月間遠坂の暴走等有りつつも、毎日最低二時間以上の勉強でそこそこは出来るようになった。
 と言ってもたった一ヶ月だから、まだ基本の基も成り立ってはいないんだけど。それよりも大変なのは毎日二時間の勉強はやったと言う充実感があるからいいんだけど、学校の通学途中、帰宅途中や休み時間にヘッドフォンでラジオを聞かせるのは勘弁して欲しい。放送内容はもちろんと言うべきか、ロンドンで人気のラジオ番組らしい。つまり、ネイティブイングリッシュで何と言っているか全く分からないのだ。遠坂は何よりも先ず日本語英語ではなく、ネイティブの発音に慣れる事から始めろと言うので、仕方なく分かりもしないラジオを真剣に聞いている。
 ま、そんなこんなで少しは英語力が上がったか? と言う事でテストをやる事になった。もちろん学校のテストではなく、遠坂自作のテスト。それには通常あり得ないだろう発音の問題も入ってるから酷く難しい。本当に難しい。
 つまり、俺はまた遠坂の期待にそぐわない点を取ってしまったのだ。いや、〇点ではないが。
 と言うか、今まで勉強しなかった範囲が入ってるのは反則だと訴えたのだが、遠坂は「たった一年しかないのよ? なら普通の勉強に加えて予習もするのが普通じゃない?」と返されてしまっては言うべき事も言えなかった。遠坂の言葉は尤もなのだから。

 予習したくせにその次の週のテストも低得点取っちゃった俺は、遠坂にまた深く溜め息を吐かれる事になるのだが、それはまた別の話。



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