Flagment-0「ディスライク・ラヴァー」
Flagment-1「ストール・バーゲン」
Flagment-2「ホームズ・ミュージアムをついでで寄るな」
Flagment-3「ウォーク・ザ・ナイト」
Flagment-4「ハイ・サイト・ボックス」




   Flagment-0 「ディスライク・ラヴァー」

 朝の早いまだ静かな内に、ジョギングほどの速度で辺りを走りまわる。こうして走っていると、海外の建造物は日本とはまるで違う造りをしているのだと改めて判る。古いがしかしその時代の年月を感じさせるようなアパートから、まだ建って間もないのだろう一軒家まで、外の視界を意識して造られているのだ。海外で散歩して楽しいのは、他人が見て楽しい、美しい外見を持った建造物なりが立ち並んでいるからなんだろう。日本では塀などで周りを囲んでいてこうはいかない。
 適当に走りまわっているだけでも通路や面白そうな店を見つけるのは、ジョギングや散歩を趣味としている人たちのささやかな楽しみだろう。じゃあ店が開いたらまた来てみようか、この道はどこに繋がっているのかなど、考えただけで今日も楽しい一日を過ごせそうにだった。楽しみに耽っている内にけっこう時間が経っていたのか、まばらに人が増え始め、開店の準備や、俺と同じようにジョギング、朝の散歩などをしている。気がついてみれば額から汗が流れ、息はずいぶんと弾んでいた。
「おはよう、シロウ。今日も早いわね」
「おはよう、クララ。今日も凄いな」
 クララはいつものようにフリルがいたる所に取りつけられたパステルピンクのフレア・ドレスを身につけ、同じ色のヘッドドレスを身につけている。まるでミュージカルの役者がそのまま飛び出してきたような恰好をしていた。しかし今日はそれでもあまり派手ではない。一番派手なのはパーティ以外身につけていないらしいが、この人の感覚で派手とは一体どんなものなのか、幸いにも凡人な俺には想像もつかない。
「ありがとう。アパートのみんなにはもう慣れちゃったみたいで、誉めてくれるのはシロウだけよ」
 彼女にとって『派手』、『凄い』などの言葉は好意的にとられるらしく、笑顔で俺に応対している。初めて挨拶をかわした時は、そのメルヘンに目を丸くしたほどだったが、今ではずいぶんと慣れてきた。もっともそれは彼女の恰好にではなく、彼女がそういう性格なのだと認識しただけなのだが。
「ラヴリィ! 花たちも大喜びね」
 空を見上げて深呼吸をしてから彼女は言う。そういえばこの言い回しもけっこう馴染んだものだ。英国人はよくラヴリィを使うというが、この人は特別だろう。なにせ一日の発言の半分以上は付いている。天気が良ければラヴリィ、ご飯が美味しければラヴリィ、花が咲けばラヴリィ、YESやO.K.など、肯定的な返答の代替にラヴリィ。俺がラヴリィという言葉のニュアンスに慣れたのも、思えばこの人のおかげでもせいでもあったか。
「サーヴィスするからシロウもうちの花を買ってあげて。みんなあなたを待っているわよ」
「ん……じゃあ家に飾る分買いに行くから、良いのを用意しておいてくれよ」
「ラヴリィ!」
 言うと彼女は手を振って、ドレスのフレアを風でさらに膨らませながら去っていく。ピンク色の弾丸は自らの働く花屋へと嵐のように。
「さて、それじゃあ俺も朝飯を作りますか」



   Flagment-1 「ストール・バーゲン」

 毎週月曜は必ずと言っていいほど、遠坂と俺はコヴェント・ガーデンまで行く。普段は青果を売っているアップル・マーケットも、月曜日だけはアンティーク品を売っているからだ。大体の魔術師は古いものをありがたがり、そしてそれを探しては自分の物にする。魔術師限定の取引なども無くはないのだが、そういったものよりもこういう一般の市場から探す方が遠坂は好みらしい。まあ、金額的な問題もあるのだろうが。
 一度はセイバーも一緒に来たことがあるのだが、この大勢の人波で疲れたらしくそれからは一度も一緒に行こうとはしない。たしかに群のような露店(ストール)と、それを眺める人たちの数は少なくない。俺や集中すれば周りに目のいかない遠坂は平気なんだが。俺たちがコヴェント・ガーデンに行くときは、悪いがセイバーには一定のお小遣いを渡し、それで一日を過ごしてもらっている。最近はB.A.ロンドン・アイが気になるらしいが、所持金の関係でそれに乗るとあとは大したこともできないから乗らないらしい。今度三人で乗りに行ってみよう。
 基本的に俺の行動は付き添うだけなのだが、遠坂が目ぼしいものを見つけるあいだ、俺もその店のアンティーク品を眺めたりしている。古いものはなかなか面白そうなものだったりするし、よく手入れされているものは見ているだけで楽しい。それに自分自身が買いたいものもある。基本的に俺は魔術師用の装備が不必要だから、どうしても見るのは日用品などになる。その中で良いと思うのは、古い装飾皿だったりする。料理をより美味そうに見せるという目的で生まれた装飾皿は、長い年月を経て料理を美味そうに見せるという概念を蓄えているはずなのだ。これはけっこう魅力的なのだが、同時に自分の料理が皿に頼る程度のものかと思われると、やや眉をしかめざるを得ないのだが。ここらへん、乙女心よろしく複雑である。
 遠坂は楽しそうに一見フランクそうだがなかなか頑固な親父さんと言い合っており、こちらは絶賛暇を持てあましている。
「おーい。俺ちょっと回り見てくるからな」
 後ろ手でオーケイのマークを作ったのを見て、俺はそのストールを離れる。さて、遠坂は交渉こそ醍醐味と言っていたから、大分時間がかかるだろう。そのあいだに良さげなものを探すとしますか。
 お、この装飾皿ずいぶん綺麗だな。良い色使いしてる。
 むむ。あの包丁、なかなかの一品だ。持ち手と刃を溶接して腐蝕しない構造だ。
 やや、向こうのフォークとナイフの装飾はめったにお目にかかれそうもない一品ですぞ。
 ほほう。そっちの花瓶は華やかだな。食卓に置くといいかもしれない。
 ああ! ここのテーブル・セットいい感じに年を経てる。ちょっと枯れた具合は素晴らしい。
 うーん、今日は日が良すぎる。欲しいものがありすぎるな、そんなに余裕もないからなにを買うか決めないと。
「士郎、こっちはばっちりだけど、そっちはどう?」
「品物が良すぎてだめだ。買いたいものが多すぎる」
「ふぅん。それじゃあわたしが交渉してあげるわよ。案内して」
 遠坂はとても優秀で、店の人が泣き真似をするぐらい安く買い叩いてくれた。



   Flagment-2 「ホームズ・ミュージアムをついでで寄るな」

 世界で初めにできた動物園は、ここリージェンツ・パークにある通称ロンドン・ズーだという。過去には動物を集めすぎて存続すら危ぶまれたというが、なかなかどうして。現在では超巨大と言っていい規模になっている。十時の開園に飛びこんだとしても、閉園までに全部を観賞することは不可能なほどだ。まあその分入場料金は大人一人十二から十三ポンドと安くないわけだが。
 今日は空も良く晴れ、景色は良い。俺たちは最初に昆虫館――へ行くわけはなく、普通の動物園にもいるようなものから見て回ることにした。元々はブリテンに住み、自然に住む動物たちを見ていたセイバーとて、これほど多くの種類を見たことはないだろう。もっとも、ここに無くセイバーの時代に居た動物もあるだろうが。
 日が良かったらしく、動物たちは檻の近くにいていたために、快適に見て回ることができた。中でもセイバーの真名の意味である熊や、彼女自身が大好きなライオンを見た時はずいぶんと興奮していた。
 朝から歩き尽くめで少々疲れ、遅めの昼食を取っている最中に今回の事件は起こった。後にロンドン・ロンド・セイバー・ラプソディと名づけられたそれは、あまりにも突然に引鉄が絞られた。まあ原因の六割は俺にあるのだが。
「こんな様子じゃ、あんなこと絶対セイバーには言えないな」
 ベンチに座って、息を吐きながら呟く。おや、今日はずいぶんと雲の流れが速い。そんなに上空の風邪は強いのだろうか。
「あんなこととは一体なんです?」
「養子縁組制度のこと」
 さて、なにを言っているのか。遠坂も出かける前に絶対黙っていると誓ってたのに。
「養子縁組制度、ですか」
「名乗り出て養育費を払えば一年間だけその動物の親になれるんだ」
「ほほう。私が動物のお母さんに」
「そう。セイバーが動物のお母さんに……ってぇ!?」
 ――まずい。セイバーの様子も拙いが俺も拙い。あとで遠坂にこってり絞られる。雑巾が破れるぐらい。今後ハ気ヲツケマスと片言にしか喋れなくされるぐらいやばい。
 その爆弾化したセイバーさんは一直線に遠坂の元へ。さようならマイ・ライフ。そしてこんにちはヘル・アンド・ヘヴン。
「リン。私を獅子の子の母親に――」
「却下。昆虫ならまだしも、ライオンなんて高くて払えるわけがないじゃない。ただでさえ宝石で資金難だって言うのに。むしろこっちが養子縁組してほしいぐらいよ。セイバーのはむはむこくこく制度とかどう? 食事代を払えばご飯を食べる様子が見れるとか。グッド・アイディア!」
「ノーです。ノー・グッド! 士郎なら判ってくれるでしょう! けして裕福でないものを救うためには必要なことだ!」
 正義の味方――見習いだけど――としては救いたいんだけどね。しかしまったく先立つものがない状況なわけで。こういう時俺みたいな魔術使いはまったく役に立てないなあ。
「うん。話はわかる。しかしまずは落ち着こう。俺たちは裕福じゃない。ライオンの養育費は高い。つまり養育費を払っちまうと、こっちがむしろヤバイんだ。そうすると、まず削るものとして食事が悲惨になる。そうなるとセイバーも困るだろ?」
 セイバーは顎に指を当て、しばらく考えてから後ろ髪を掃除機で吸われるように名残を見せて諦めた。
「ああ、許してください私の子供たち。いつか、いつの日か私がお母さんになってあげますから!」
 閉園になってロンドン・ズーから出るまで、セイバーはライオンがいた方向を見ていた。



   Flagment-3 「ウォーク・ザ・ナイト」

 俺たちは久々に外食することになった。と言っても単に料理をしている暇が無かったから買いに行くことになっただけなのだが。最初は一人が買い出しに行くという話だったのだけど、作業しながらの会話が終わると全員の仕事が終わっていて、することもないからそれじゃ全員で外に食いに行こうということになった。しかし食事の予定は変わりなくプレタマンジェのサンドウィッチである。ファスト・フードの中では値段がやや高目だが、ボリュームもあるしジャンク・フードはお気に召さないセイバーもそれなりに満足する味である。
 遠坂は無難にB.L.T.サンドとマッシュルーム・リゾット・スープに塩とヴィネガー味のクリスプス、オレンジ・ジュース。俺は寿司にも惹かれたけど、スーパー・クラブ・サンドとイタリア風ミート・ボール・スープと同じクリスプスで。セイバーはスモーク・ロースト・サーモンとホースラディッシュのサンドにマレーシア風チキン・スープ、フレッシュ・フルーツ・サラダを注文した。
 適当に雑談しながら食い終わり、このまま帰るのもなかなか味気ないということで街を散歩することにした。いまさら地下鉄に乗るような時間でもないし、バスカーの居そうなところへ向かう。
 イングランドにはバスカーと呼ばれる大道芸人が多い。地下鉄駅内の演奏場所(ピツチ)にはオーディションをパスしたそれなりに上手い人が必ず居るし、ぶらぶらと街をあるけばそこら辺に座ってギターを弾いたり、立ってバグ・パイプを吹いたりしている。普通に芸を楽しみたいなら、地下鉄の駅に行くのが一番だろう。地下鉄一日券を買い、五十ペンスでも一ポンドでも投げ入れて回れば、下手なコンサートよりも面白いに違いない。
 しかし街のバスカーたちは混沌としている。やや極端にはなるけど、ジャグリングさえおぼつかない道化師(オーギユスト)もいれば、なぜプロになっていないのか不思議なぐらい上手いのもいる。俺は下手な奴を見れば頑張れと思うし、上手い奴を見れば俺も頑張ろうと思うから街のバスカーの方が好きなのだが、普通の人は上手い人だけを見れば満足なのだろう。
 夜の時間帯は見辛い見世物系よりも、音楽系の多い場所がいいだろう。やや彷徨うように歩くと、そこそこの数のバスカーが演奏している場所に出た。アコースティック・ギター、エレキ・ギター、トランペットなどのメジャーなものから、見たこともないような楽器を奏でている人もいる。
 一通り聞いたところ、ギターなどを弾いている人はあまり上手ではなく、トランペットはやや主張が大きいが、ちょっと齧ったアマチュアぐらい。一番上手いのは見たこともない楽器を演奏している人だった。その人に俺たちは五十ペンスずつ放り、十分楽しんだところで帰った。



   Flagment-4 「ハイ・サイト・ボックス」

 一九九九年、ロンドンに一つの建造物が完成した。それは当時のものとしてはあまりにも高く、そしてひどく目を引いた。B.A.ロンドン・アイと命名された世界最大の観覧車は、翌年の二〇〇〇年に営業を開始した。それからたった二年で合計乗客数八百五十万人を突破するほどの人気を集めたB.A.ロンドン・アイは、現在でも人気のまま注目を集めている。
 ただし、このロンドン・アイを単なるデートで使い、個室で二人きりになろうというのは甘い。何しろそのカプセルでさえ大のおとなが数十人が乗れ、乗用車程度なら丸々一台入ってしまうほどの大きさだからだ。当然、良いムードなど狙おうとする方が間違えている。もっとも、それから良いムードへ誘うための前菜としてなら有効かもしれないが。
「シロウ、まだでしょうか」
 セイバーは肩を弾ませ、待ちきれないとばかりに興奮を隠せずにいる。俺も乗るのは初めてだから割りと楽しみではあるのだが、さすがにそれほどかと言われると大してそうでもない。乗れればいいけど、乗れないなら別にそれでもいいかというぐらいでしかない。遠坂に至っては並ぶ時間も面倒臭そうに新聞の隅の記事にまで目を通している。さすがに三十分近くも待っていれば、そうなるのも仕方がない。
「あと二、三分じゃないか? ほら、一度に二十人ぐらい入るみたいだし」
 俺たちの前にはあと十人ほど。一周するのに約三十分ほどだから、大体それぐらいだろう。およそ二分ほどでカプセルが回り、中にいた人たちが出てからカプセルに入りこむ。やや平べったい透明な卵が規則正しくひび割れたとでも言うべきこの空間は、動き回れるのもあってなかなかに快適なものだった。
「わぁ……!」
 幸いにも空は澄んでいる。頂上近くへと来て、セイバーは堪えきれず声をこぼした。興奮を抑えきれないようにカプセルの中を歩き回り、ロンドンの景色を堪能している。
「へえ。たしかに悪くないかな」
 遠坂も実際頂上まで来てみればその光景には心を動かされたらしく、セイバーほど動き回らずともゆっくりと辺りを見回し、普段とは違った視点のこの街を楽しんでいる。そして俺も高い場所からの眺めというのはなかなか面白いものなのだと知った。しかし一周約三十分という中で頂上にある時間はそんなに長いわけもなく、上がってしまえばあとは下がるだけだった。
 十五分の下りをゆっくりと味わいながらカプセルを出ると、セイバーはまだ興奮しているのか自分の感じた素晴らしさを伝えようと、上手く回らない口で一生懸命に喋っていた。ただ惜しむらくは、その弁を百度重ねようと、実際目にしてしまった俺たちにはやや効果が薄かったぐらいだろうか。



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