季節は夏、紛れもないほどの夏である。高く上った日は渇いていると言うのに、日本の夏は湿気が多くてジメジメとしている。
 今年も例に漏れずその湿度の高い夏であり、暑い気温は額から肩から腕からと節操なく汗を出す。
 後、数時間もすれば肌は汗によってべとつきより不快になるだろう。考えただけでも暑くなる。
 野球帽を取って蒸れた頭を手で数度掻き回し、その野球帽で顔を扇ぎながら歩いていると、見なれた電柱に違和感を感じる。何時もより色彩が派手だと思った電柱は、チラシが張られていた。
 チラシには『燃えたっていいじゃない、夏だもの! サマー・ナイト・ラヴァー、恋なんてありえねーよ・夏』と書かれていた。思わず溜め息を吐きそうになったけど、商店街のオヤジさんたちががんばって作ったかと思うと涙が出てくるから色々な感情と一緒に喉に流し込んだ。
「もう夏祭りの時期か」
 聖杯戦争から半年が経過して学生最後の夏休みを過ごす中、俺は今必死に脳裏で忙しそうにチラシを印刷する商店街のオヤジさんたちの姿を思い浮かべないようにしていた。



浴衣と夏祭と花火



 セミが僅かな一週間を謳歌する中、俺は暑くて弛れた頭を復活させるために洗面所で水を頭に被っていた。ふやけるかと思うほどに意識の混濁していた頭はスッキリとし、液体窒素で冷やされたCPUのように働かせる事が出来るようになった。
 さて、頭を冷やしたところで考える。どうやって遠坂とセイバーを夏祭りに誘おうかということだ。普通に誘って「いいよ、オッケー」なんて簡単に上手く事が運ぶと言う都合の良い展開は、頭の中からスッキリ爽やか冷えたコーラとでも言うように排除した方が良いだろう。今現在、俺は魔術の師匠である遠坂と、剣の師匠であるセイバーからみっちり扱きを受けて、少しでもまともに正義の味方が出来るようにしてもらっている最中なのだ。だというのにそれをサボって遊ぼうなんて言ったら、どんな怒り方をされるか分からない。
 案外、三人でデートしよう。なんて言えばオーケーされるのかもしれないけど、残念ながら俺はエスコートの仕方なんて知らないし、遠坂から「セイバーに気があるんだ、衛宮くん」なんてからかわれそうで、とてもじゃないけど言い出す事が出来ない。それにそんなに上手く事が運ぶなんてことあり得なさ過ぎる、希望的観測だろう。案件一は残念ながら却下である。
 ここで案件二の出番なのだが、案件二はお世辞にも良い出来とは言いがたい。案件とは言いつつ、その実まるで考えなど無く当日いきなり行こうと無理矢理誘うだけなのだ。愚かと言うよりもバカそのものな案かもしれない。搦め手よりはこう言ったシンプルな方が俺は好きなんだけど、女の子には色々準備が有るとかで前日に言わなかった事を怒られそうだと言うのも、この案件に気が向かない事の一つだろうか。
 ここまで考えたところで思考回路がオーバーヒートしてしまうような気がしたから、休憩をするために冷蔵庫からスイカを一切れ取り出して食べる事にした。遠坂とセイバーはなんでも用があるとかで俺は留守番だから、藤ねえが襲撃でもしてこない限り平和か退屈そのものだ。
 赤い中身は果汁をたっぷりと含んでいて、食べれば僅かに固くて心地良い触感があるのだろう。水で冷やしたと言うのに温くなったを頭を冷ますため、俺はスイカの一切れを持って真ん中から齧りついた。いや、もちろん、頭を冷ますためだけじゃなくて美味しく食べたけど。
 スイカ一切れを食べ終えて扇風機を固定状態にし、強風設定で浴び続けつつ思考を再開する。扇風機を浴び続けると危ないと言うどこかで聞いた話はこの際頭から締め出した。
 大気を泳ぎ僅かな羽音が人を不快にさせる吸血生物が頬に止まった途端、自分に頬を撲る勢いで吸血生物を潰した。羽音を出すのはオスで血を吸うのはメスだと聞いた事があるけど、残念ながらそれが本当なのかも分からない俺は両方とも叩くべき対象でしかない。 
 次々と細かく痙攣するビブラートのような音を撒き散らす吸血生物を退治していく途中で、ふと気付いた。
「飛んで火に居るなんとやら、か。いやさ、目的の変換作用的なものとか」
 思考の邪魔になるからと言う理由で蚊を叩いていた俺は、何時の間にか蚊を叩く事が目的になっていたことを反省し、考えるべきことに向かって思考をフル回転させると一瞬で答えが出た。なんて簡単な答えだったんだろう、つまりは、
「無理。もう考えなんて浮かばない」
 有り体に言えばギブアップと言うやつなんだろう。一度脱線しかけたことはそう簡単に直らないようだ。俺は案件一と案件二をじっくりと比べ、迷った挙句、両方を合わせて三人で夏祭りへ遊びに行こうとチキン極まりない誘い方をする事にした。サボるのかと言う言葉は無視することに決める。いや、良いんだ。俺は間違ってない。無難サイコー、無難イェー。人間ってやっぱり安定性を求める生き物だよ、うん。

「ただいまー」
「シロウ、ただいま帰りました」
 随分と解りやすい差がある二人の声を聞いて、麦茶を二つのグラスに注いで持って行く。遠坂は語頭と語中と語尾に「暑い」と言う単語を入れそうなほど、暑さで茹だっているのが分かる声だった。
「おかえり。ほれ、麦茶」
「ありがと、地球温暖化って言うのもあながち嘘じゃなさそうね」
「シロウは気が利くのですね。ありがたく頂きます」
 二人はグラスを持って麦茶を一息で飲み干すと、停止していた呼吸を再開させて手に下げたやけに横に広い紙袋を両手で持ち、居間へと歩いていった。二人の持っていたグラスは俺の手の中にある。言うべきタイミングが分からなくてひどく難解な問題になりそうだと思いながら、俺も追いかけるように居間に戻った。
 固定状態から首振りに設定し直された扇風機の及ぶ範囲には、海に浮かぶクラゲのようにだらける遠坂と扇風機に加えて団扇で自身を扇ぐセイバーの姿がある。初めて見た時とか会った感触で、絶対人に情けない姿とか見せないんだろうなーと思っていた遠坂の今の姿は、堕落なのか丸くなったのか俺には判別がつかない。まあ、安心してくれてるんだと分かるから良いんだけど。
 さっき俺の手の中にあった二つのグラスは既に洗い終わり、かごの中で乾くのを待っている。さて、そろそろ覚悟を決めるか。
「あのさ、二人とも」
 そこで一端切り、注目がこちらに向いたことを確認して覚悟完了、言葉を続ける。
「今度近くの神社で夏祭りがあるんだけど、一緒に行かないか?」
 言い終わって反応を待つ。
 遠坂は一度興味無いような素振りを見せて扇風機に向き直ったが、近くにあった紙袋を手元に寄せてから再度こちらに振り向き、妙な笑顔を浮かべている。不敵と言うか不思議と言うか不気味と言うか、なんとも言いようのない――例えるなら皮肉った笑みと言うのが一番近いだろうか。つまりは悪いこと思いついたような、待ってましたと言わんばかりの表情だ。
「ふふ。ホント、士郎ってステレオタイプって言うか、ありきたりよね」
 余計なお世話だ、なんて本当に口に出したら睨まれることになるだろうから、心の中でぶちまけること幾星霜である。きっとこれからも幾星霜。俺の家なのに立場が弱い俺は、ある意味希少種なんではないだろうか。だとしたら、あるかもしれない人類保護機関的な存在に俺の権威を証明して欲しい。あ、そうしたら普通の人になるからダメになるかもしれない。
 結局、何も言えないままに楽しげに紙袋の中から何かを取り出す遠坂を見守る。セイバーはそんな遠坂をの方も見ず、暑さが堪えがたいのか扇風機の前で目を閉じて涼んでいる。腕の中の団扇は忙しなく動かされていて大活躍中だ。数本跳ねた前髪――なのだろうか――は風に流れつつも、頑固にその存在を主張してる。
「ほら、コレ見て何か分からない?」
 そう言って遠坂が紙袋から出したのは、着物とは言えなさそうな薄手の和服。薄紅を基調としていて、深紅の花が咲いている模様の印象がひどく鮮烈であるそれは、和服と言うよりも浴衣と言ったった方が正しいのかもしれない。浴衣とは逆の手に持たれた帯は、藍よりも黒に近い青色で反対色の取り合わせ。
「浴衣に見えるけど。うん、遠坂に似合うと思う」
 そう、遠坂がわざわざ暑い日に出かけて選んで買ったと言うのに似合わないわけが無いだろう。印象の強い赤色は遠坂が好きな色で、気に入って買ったのだろうから。
 遠坂は俺がそう言うと、わずかに顔を赤くしてから溜め息を吐いた。……なんだと言うのだろう。まるでお前は予測以上にダメな野郎だ、とか無言で暗に言われてるような気がする。多分、気のせいだということにしておこう。
「鈍い鈍ーい、象の百倍ぐらい鈍い衛宮君に定規で字を書くぐらい丁寧に説明してあげると、夏祭りに誘われるのは予測済みだからセイバーと一緒に浴衣を買ってきたの。分かった?」
 オーケー、ジャストモーメントプリーズ。頼むから睨まないでくれと思いながら、曰く懇切丁寧な説明を誰が決めたか分からない規定通り三〇回ほど咀嚼して飲みこむ。
 つまり、夏祭りに行く事を了解してくれたってことになるんだろう。サンキューマイゴッド、難関な問題を即座に解決してくれてありがとう。そして俺の悩んだ時間を返しやがれ。
「ん。って事はセイバーも買ったのか」
「はい。まだ来ていないので似合うかは分かりませんが、綺麗な服だと思います」
 相変わらず扇風機ラブとでもいうような様子のセイバーは、上半身を回転させて顔をこっちに向け、額から汗を耳の方へ滑らせながら生温い風を受けて良い表情をしている。うん、ちょっと危ない人に見えるからポーカーフェイスの方がいいよ、せめて上辺だけでも。
「へぇ、どんな浴衣なんだ?」
 声を出そうとしたセイバーを手で遮った遠坂は、人差し指を立てて舌打ち音と共にメトロノームの如くそれを左右に振る。
「それは見てのお楽しみってやつよ。せっかくの晴れ姿なんだから」
 お楽しみは取っておけってことなんだろうけど、遠坂は既に見せちゃったじゃないか。なんてツッコんだら何を言われるか分からないから、「楽しみだなー」とあたりさわりの無いことを言っておいた。紛れも無くそれも本音だし、嘘をついたわけじゃない。ただちょっと遠坂たちに苛められて処世術を学んだだけなんだ。俺は汚れてないんだ、うん。



 さて、あっという間に日が暮れて日が昇ってを数回ほど繰り返し、楽しみは早く来るものという理論のせいか、毎日がエブリディな感じで過ごしている内に夏祭り当日になった。ぶちまけて言えばほとんどぐーたらにも近いのだが、剣の稽古と魔術の鍛錬のおかげで密度は異常、体に打ち身、痣、打撲は当たり前になっている。血こそ流れないが、生傷が絶えないと言うやつだ。
 そんな毎日がエブリディではあるが、ホリディはまずないような日の中、一つのやり取りがあった。遠坂がわたしたちが浴衣なんだから、俺にも浴衣を着ろと言ったのだ。生憎と俺は浴衣を持っていなかったし、切嗣の浴衣じゃ俺には大きいから着れないし、直すには時間が無いなどと言ったら無理矢理買いに行かされた。渋々買った藍色のそれは、浴衣と言うよりも作務衣に近い印象を覚えたけど、四、五〇分ほど悩んでから買ったのだが、意外と気に入ってしまったから結果オーライと言う感じである。まあ、普段は面倒臭そうだから着ないと思うけど。
 日は暮れていてわずかに遠い空が白いものの、全体的に広がったオレンジ色は見事に鮮やかである。もう少しすれば白い方とは逆から暗い黒が侵食してくるのだろうけど、夏祭りと言うのはやっぱり夜で無いと雰囲気が出ない。ちょうちんとか安っぽい蛍光の腕輪とかは特に。
 着なれない浴衣はあまり良い形にならず、何度か着ては解いてを繰り返してやっとのことで何とか見れるようになったら、日が暮れているその時間だった。まあ、遠坂とセイバーはそれ以上に時間がかかっているようなのだから、時間的には許されるかもしれない。
 藍色の浴衣は寒色の為か涼しげに見え、枯草色の帯は一応、形になって腰に巻きついている。自分を見下ろしていると、遠坂の声が聞こえた。
 要約してもしなくても、意味合いは準備が出来たからさっさと来い、という言葉だった。それはあまりにも理不尽ではなかろうか。いや、女の人を待たせることが失礼ってことは知ってるけど、わたしたちが準備出来たからあんたもさっさとしやがれというのは、傲慢以外の何物でもないと思うわけだ。思うだけで口には出せないあたりが立場を下げ続ける理由だとは分かるんだけど、いらない怪我を負わない方法がコレだから仕方が無い。それにまあ、もう終わってるからいいんだけどさ。
 俺はすぐ行くと同じ程度の大声で返事をし、サイフを帯の中に突っ込んで部屋を出た。
 蛍光灯がその使命を果たしている天井の下に二人の姿が見える。遠坂は先日見せてもらった赤い浴衣と藍よりも黒い青色をした帯の姿。いつも二つに分けている髪は今日は一つに纏めてあり、いわゆる小型種馬の尻尾型に変形させてある。二身合体だ。違った風で新鮮だし、何時もよりも僅かに大人っぽく見える。いや、普段でも大人っぽいのだが。少なくとも見た目は。
 セイバーは浅葱色の浴衣を着て、髪を何時もと違う団子のような形で纏めて止めた姿は和洋折衷と言った感じでキレイに見える。浅葱色の浴衣はそれよりもより濃い色を使い筆で描かれた花が大きく描かれていて、周りには枯草色の散った花びらのようなものが描かれている。帯は深緑で、セイバーの翠色をしている瞳に合わせたような色使いは統一感があってとても似合っている。
 遠坂は挑戦的に目で「どう?」と問いかけてきて、セイバーは少し控えめに「どうですか?」と目で訊いかけてきたから、俺は思った事を素直に言った。結果はまあ、悪くなかったんじゃないだろうか。

 家を出て歩くあいだに青黒く染まっていく空を眺めながら、涼しい風が吹く中を歩く。あまり大きくもない神社まで家から十数分だから、もうすぐ着くだろう。その証拠に太鼓の音がわずかだけど響いてくる。星は点を描くように増えていき、やがて数えられないほどに――つまりは無限になった。
 それから数分も歩くとちょうちんがぶら下がった入り口が見えてきた。入り口の前には角材で組んだ鳥居のようなものがあり、それには電柱に張ってあった『燃えたっていいじゃない、夏だもの! サマー・ナイト・ラヴァー、恋なんてありえねーよ・夏』と言う長々しいタイトルが布に書かれ、簡素な鳥居っぽい門の上部に張られている。
 あまり娯楽に富んでいない冬木の町では、こう言った「隅まで遊ぶぜ!」的なイベントは逃せないものであり、少ないからこそ力を注げているんだろう。なにせ本来プロの人がするような仕事を、わざわざ藤村組に頼みに行ってまで自分たちでしたいと頼みこむほどなのだ。流石に金魚すくいやら射的など、用意が難しいものはその道の人が担当しているが、食事系のものはほとんど商店街のオヤジたちが担当している。まあ、それだけ熱意や思い入れは確かってことなんだけど。今回のタイトルは違う方向にぶっ飛んでる気がする。中身はまあ例年通り普通だろうと思い、安っぽい門を三人でくぐった。
 太鼓の音は大きく、カセットラジオで流されてると思われる盆踊りの曲は僅かに割れててなんともらしい。所狭しとならんだ夜店はなかなか数があり、店を回るだけでもそこそこ楽しめそうだ。
「あぁ、これは活気があって良いですね。それにみんな楽しそうだ」
 セイバーの言葉通り、普段人気の無いはずの神社は浴衣やラフな格好の人々や、『面白くするぜ! 商店街組合』なんてイかれた印刷がされたハッピを羽織っている見かけた顔が屋台の裏に居たりする。その活気たるや下手なバーゲンに殺到する奥様方にも劣らない。
「そうね。わたしも来るの初めてだけど、悪くないかな」
「遠坂、来たこと無かったのか?」
「ちょっと前まで魔術の修行ばっかりだったし、楽しむよりも自分を高めるので必死だったから。あ、もしかして来たことないなら俺が教えてやる! とか男らしいこと考えたりしちゃった?」
 少し考えたりしちゃいました。
「ま、まあ回ってるだけで楽しめると思うから、ほら行こう」
 そう言って意地悪な笑顔を浮かべている遠坂とセイバーの手を引っ張り、顔が少し赤くなるのを無視して一番近い夜店に寄る。後ろから来る言葉はシャットアウトと言うよりも、聞いている余裕なんて無い。
 一番近くにあった店は普通なら少し奥にあるはずのわたあめ屋で、頭の寂しくなった電気屋のオヤジさんがアレなセンスのハッピを着てわたあめを作っている。その作り方には年季が入っていて意外と上手い。
「シロウ、このふわふわとしたものはなんですか?」
「わたあめって言うんだけど、食べた方が早いな。オヤジさん、三つちょうだい」
 帯からサイフを取り出して銀色の硬貨を三つオヤジさんに渡すと、袋に入ったわたあめを三つ受け取り、遠坂とセイバーに一つずつ渡す。
「ありがとうございます、シロウ」
「気が利くじゃない」
 袋の封を解いて千切り、口に放り込む。空気を多分に含んだわたあめは口に入れた途端、なくなるように溶けて柔らかな甘味だけを口の中に残す。
「シロウ、シロウ、これ溶けます!」
 初めての感覚が面白いのだろうか、セイバーはほんの少し興奮した様子で次々とわたあめを口に放りこんでいく。遠坂はまあ、こんなものだろうなと言う感じで口に数回放り込み、袋の口を閉じた。
 俺も全部は食べ切らずに袋の口を閉じると、セイバーは全てを食べ終えてまだ物足りなさそうに屋台の方を見ていた。
「まだ夜店回るの一軒目なんだし、足りなかったら俺のやるから行こう」
 セイバーは少し恥ずかしそうに態度を改め、「はい」と返事をしてから俺が差し出したわたあめを手に取る。うん、しっかりとわたあめを受け取るところを見ると大丈夫だろう。遠坂は自らのサ―ヴァントの食欲の旺盛さにわずかな笑いをこぼしている。
 さて、わたあめ屋の次に来たのはソースの焦げる香ばしい匂いを辺りに漂わせるやきそば屋。野菜主体で肉なんて殆ど入っていないところも夜店のやきそばって感じでらしくていい。頭にタオルを巻いた八百屋のオヤジはフル回転でヘラを振るっていて、ソースの焦げる匂いもあり結構繁盛してるようだ。
 見なくても分かるぐらいセイバーはやきそばに食いついてると思うから、何も言わずに三つ買うことにした。
「はい、セイバーの分」
「……ありがたく頂きます、シロウ」
 そんなに物欲しそうに見えたのだろうか、なんて呟きながら僅かに顔を赤くし、セイバーは輪ゴムと薄いプラスチックのケースの間にある割り箸をキレイに割って、肉など欠片が入っているかいないかのやきそばを食べ始める。申し訳程度に角っこに置かれてた紅生姜がなんともいえない。
「ほら、遠坂も食べろよ」
「うん、じゃあいただきます」
 同じように割り箸を二つにしてパックを開ける。パックの上部に付いているものの、それでも尚全体に多く散った青海苔が歯に付かないように食べる姿は何処か情けなく、そして努力している女の子してて可愛く思えた。
 俺もパックを開けてやきそばをすする。うん、悪くない味だ。と言うか夏祭りに出す素人の作品にしては上出来だと思う。にしても、こういう雰囲気で食べるから美味しいわけで、持ち帰ってから食べてもまあ普通としか思えないんだろうな、等と思いながらキャベツが多目のやきそばを咀嚼する。
 セイバーもある程度味に納得しているようで、頷きながら次々と食していき、今、最後の一口をすすり終えた。
 遠坂はまだ半分程しか食べ終えていないようで、青海苔に苦労をしながら食べている。セイバーはまだ遠坂が食べ終わるのに時間がかかるのを見て、わたあめを少しずつ千切っては口に放り込み楽しんでいる。
 俺も食べ終わって後は遠坂を待つばかりなのだが、別に暇や退屈というわけではなく、活気のある神社の中を眺めるだけでもそこそこ楽しめたりするから苦痛になったりはしない。
「あ」
 と言う遠坂の言葉にふり返って見れば、手鏡で歯を見ている遠坂の姿。歯にくっ付いた青緑色の存在なんて俺は見なかった、見なかったんだ。
「じゃ、行きましょうか」
 遠坂が食べ終わって言った。俺は何も見なかった。
 セイバーは食べ終えたわたあめの袋を丁寧に畳み、袖に入れている。そう言えば俺が貰った袋にはデフォルメされたライオンのキャラクターが書かれていたような気がするから、そのせいだろう。
 食べ物屋ばかりではなんだから、次に寄ったのは定番の金魚すくい――ではなく、怪しげに、且つ色彩豊かに光る怪しげで安っぽい腕輪のある店。このへんは流石にプロの人がやっている。
「シロウ、これは――。魔力を感じませんが、光っています! どういったものなのですか?」
 あー、セイバー。そんな大声で魔力とか言うとちょっと可哀想な人に見られるからつつしもう、うん。遠坂もちょっとだけ他人の振りしたそうにしてるし。
 どうにかしてセイバーを興奮から冷ますと、自分の知っていることを総動員して教える。
「これはまあ科学的なもので、俺はちょっと原理は分からないけど光を発するものなんだ。見ての通り色々な色の光がある。だけど発行時間はあまり長くなくて、明日の朝まで持てば良い方ってのが俺の知ってる経験上の話。うん、あれだ。真夏の世の夢って感じかな」
 まるで営業妨害をするような説明をして、セイバーを納得させる。俺の拙い説明で納得したのか、セイバーはしきりに頷きを繰り返し、俺はそのままのセイバーと遠坂を連れて別の店に歩き出す。
 途中で、
「魔術と同じようなものですか。魔力の変わりに資源を消費するのですね」
 などと解釈していた辺り、解っている解っていないのかは微妙なところである。セイバーのイメージからすると、遠坂が魔術を使うと貯金の残高が減る、とかそんな感じだろうか。
 その後も定番の金魚すくいで一匹ずつすくい、ヨーヨーすくいでは計四つ。ちょっと景品のしょぼかった射的では小さなライオンのぬいぐるみと鉈のようなものを構えたうさぎのぬいぐるみを取り、お好み焼きやらを食して腹も膨れたところでお土産に持って帰るものを買う店の前に居る。
「えーと、いくつぐらいが丁度良いだろう」
「藤村先生も居るし、六つぐらい買った方が良いんじゃない?」
「うーん、じゃあ七つかな。予備含めて」
 そうやって持って帰るりんごあめの数を遠坂と考えていると、袖が引かれた。ふり返るるとリンゴあめを舐めているセイバーがいて、何かを考えた風な顔をしている。ひょっとして七つじゃ少なかったのだろうか? いや、もしくはわたあめもお土産に買うのかもしれない。いやいや、ここはあんず飴か? それともソースせんべい……。
 そんな事を悩んでいると、セイバーはリンゴあめを舐めるのを止め、考えていたことを話す。
「たしかに食べ物も美味しいし、活気もあって素晴らしいのですが、その、花火と言うのはまだなのでしょうか?」
 ……ふむ。どうやら我が魔術の師匠、遠坂凛がサーヴァント、剣の役割を担った英雄であるセイバーは勘違いをしているらしい。
「セイバー。花火があるのは花火大会で、夏祭りには花火は上がらないんだ」
 彼女はわずかに眉を上げてから小さく「あ」と言う声を漏らし、少し落ちこんだような表情と恥ずかしいような感じを混ぜ、ひどく残念と言った雰囲気をにじませる。
「あー。今度、花火大会あるから行こう。でなかったら花火買ってもいいから、な?」
 セイバーはリンゴあめに顔を沈めたまま頷き、飴の部分とリンゴの部分を齧った。
「酸っぱい、ですね」
 まあ、飴が甘いから。
 遠くの太鼓台で『サマー・ナイト・ラヴァー』に選ばれた老人の夫婦が、妙に安っぽいトロフィーを貰っているのが見えた。
 確かに、恋じゃないな。



 両手にぶら下がったビニール袋が鳴る。片方は計七つのりんごあめが入った夏祭りのお土産、もう片方は帰る途中寄ったコンビニで買った商品。つまりはまあ、大量の花火だ。
 花火セットから始まって中間にはへび花火や煙幕弾的な花火やらマニアックなものから、果ては巨大な打ち上げ花火まである。巨大な花火セットはビニール袋から伸びてその顔を覗かせていて、巨大な打ち上げ花火は白いビニール袋の中からでもその鮮烈な色彩を透けさせている。
 まあなんていうか、花火買ってもいいって言ったけど、今日買うってのは唐突過ぎないかい、ミス。なんて訊いたい気分にかられたけど、どうせ言っても無駄なのは分かっているから沈黙を通す。
 セイバーは上機嫌であり、遠坂は何か良からぬ事を企んでいるような雰囲気を漂わせている、主に釣り上げた口端が。気にしてもしょうがないと言うか気にしたら負けのような気がするから、ひたすらに今日楽しかったこととか思い出しながらテンションを上げる。
 しっかりと濃くなった黒は花火が咲くに映えるのだろうけど、それがあまり楽しみに感じないのは、唐突さとその他諸々が俺から正常な判断とかを奪っていたからだろう。
 少し遠回りをしたコンビニから十数分も歩くと、帰るべき我が家が見えてきた。本当ならシャワーを浴びてそのまま布団に突っ込みたいところではあるが、残念ながら遠坂、セイバー同盟軍がそうはさせてくれなさそうである。
「おかえりぃ、士郎ー」
 藤村の家でしっかりと仕事をしているはずの藤ねえが家から出てきた、なんでさ。やけにくたびれている辺り、真面目に仕事していたんだろうけど、何故家に居るのだろうか。いやまあ、悪さしてなければ居てもいいんだけど。
「ただいま、お土産あるからさっさと入ろう」
 左手に持ったりんごあめが多数入ったビニール袋を鳴らし、藤ねえを誘導する。横開きの玄関扉を開けて中に入ろうとすると、同盟軍に袖を掴まれた。二人を見ると、ま右手にぶら下がったビニール袋を見ている。
「いや、やらないんじゃなくて必要なもの持ってくるだけだから」
 そう言って行こうとすると、右手からビニール袋が奪われた。いやまあ、いいんだけど無理矢理じゃなくてもいいんじゃないかな、うん。一言ぐらいあってもさ。
 藤ねえを誘導しながら居間に行くと、左手のビニール袋をちゃぶ台に出す。計七つの大きい方のりんごあめは中々の眺めだ。
「これだけ?」
 呆けたような表情で言った。
「いやいやいや、七つ全部藤ねえのじゃないぞ」
 藤ねえなら全部食べ尽くすのだろうけど、流石に全部あげるわけにはいかない。
「そうじゃなくて、焼きそばとかお好み焼きとかたこ焼きとかはー?」
「藤ねえはもう夕飯食べただろ? だから買ってこなかった」
 ……沈黙。時計の音と夜にもかかわらず鳴くセミの音が良く聞こえる。そして、爆発した。
「お姉ちゃんの夜食はー? 一生懸命してた仕事でお祭り行けなかったお姉ちゃんのお夜食はー!?」
 浴衣の襟元を掴まれて頭は強制的にシェイキング状態で加速。意識がチキチキマシン猛レースである。混ざる思考と気持ち悪さは、胃の内容物を喉元まで押し上げる。お好み焼きあたりがもんじゃ焼きになっちゃいそうだ。
「ストップ、ギブギブギブ! 俺がお好み焼きでも焼きそばでも作るからストップ、ストッピンプリーズ!」
 惰性で後ろに大きく揺れて、喉の辺りまで昇ってきた内容物を必死に叩き落す。匂いが鼻に抜けて気持ち悪い。
「ほんと?」
「ほんと、花火が終わってからだけど」
「うー……我慢してあげる。そのかわりりんごあめ三つ貰っちゃうんだから!」
 予備を買っておいて良かった、と安心して崩れた襟元を直す。後数分で花火やるから裏庭に来るよう言うと、チャッカマンを持って居間を出た。
 道場近くの掃除用具入れから金属製のバケツを取り出すと、玄関に向かう。さっきまで鳴いていたセミはどこかに行ったのか、ひどく静かだ。かすかに鳴るビニール袋の音も遠い。
 さて、早く行かないと機嫌が悪くなるか。と呟いて草履にも近い地味さのサンダルを履く。
「お待たせ、裏庭行こうか」
 横開きの扉を開けて、何やら笑っている遠坂と、花火セットを眺めているセイバーに話しかける。二人は頷いて了解を示すと、ビニール袋の音を鳴らしながら裏庭に向かった。
 普段、水を撒く時に使う外の水道からバケツに七分ほど水を注ぐと、ある程度草の引っ込んでいる場所に置く。こっちの方は準備完了。遠坂たちの方を見ると、花火セットを全部開けてそっちも準備完了のようだ。藤ねえも草を踏む音をさせながら来た。りんごあめを一つ手に持ってもう一つ持ったそれを齧っている。既に三分の一ほどは胃に消えたらしい。
「準備出来たから火ちょうだい」
 ん。と返事をすると、花火セットの中から猫が使うトイレ砂のような印象を抱かせる棒花火を一本取り、チャッカマンを持った手とは逆の方に持つ。他のみんなも棒状の花火を持ったのを確認して、俺はその花火にチャッカマンで火をつける。すると、鮮やかな光の雨が生まれた。それを遠坂の花火に近づけて一秒ほど待つと、遠坂の花火にも火がつく。俺のとは違い、弾けるような激しさを持った火花が散るそれを遠坂はセイバーの花火に移していく。俺は藤ねえの花火に火をつけて、後は残り少ない花火の様子を楽しんだ。
 夜に描かれる色と形は多種多様、多色の光は僅かに煙たい匂いを放ちながら鮮やかに夜を裂いていく、夜に咲いていく。
 口紅のが入っていたような小さな箱から若木のような光が生える。甲高い音を連れて夜を貫く鉛筆のふたは炸裂音と共に消えた。僅かに焦げた匂いと共に降りるパラシュートは藤ねえがキャッチした。なんとも言いがたい黒色の蛇は遠坂に踏み潰された。白に緑が混じった煙を出す球型のスプリンクラーは全員がパニックになった。柳のような花を咲かせる線香花火を全員で眺めた。回転して火花を撒き散らす六角形の箱は藤ねえの手によって危険なフリスビーに変形した。人に向けてはいけないはずの光の雨を人に向けたのも藤ねえだった。
 本物に比べれば規模も派手さも無いけど、間違いなく打ち上げ花火であるそれを空に撃つ。ある程度まで昇った火の玉は、空中で小さな花を咲かせる。次々と打ち上げ花火に火をつけていく。残り一本。一番大きなやつを最後にして、小さな物から順に火をつけてきた。これで最後の花火、セイバーは名残惜しそうな顔をしている。藤ねえは顔を上げたままりんごあめを齧っている。遠坂は――笑っている。
「ねぇ、士郎。強化の効果って覚えてる?」
 火をつけて、花火の傍を離れてから答える。もちろん、藤ねえには聞こえない声で。
「物質の意味の強化だろ? 食材なら栄養価を、料理なら美味しさを、包丁なら切れ味をって」
 遠坂は満足そうに頷くと、次の言葉に続けた。
「それが基本ね。強化には二つの使い方がある。物質の意味を強化するか、方向性を作って強化するか。服を強化して鎧にするとかは方向性」
 分かっている。俺が使える数少ない魔術だからちゃんと知っている。でも、それが一体なんだと言うのだろう。
「で、やっぱり花火ってのは派手に散ってこそだと思わない?」
 ああそうか。その笑いは、あの笑いはそういう意味だったのか。
 花火に近づく導火線はまるで死の宣告のよう。後少しで、遠坂『特製』の花火が夜空に咲くのだろう。声も出なかった。
 導火線は筒に到達して燃え尽きる。セイバーと藤ねえが空を見上げる中、それは撃ち出される。筒からは想像も出来ないほど巨大な炎の塊が大気を焦がして昇っていく。それはあまりにも大雑把で、あまりにも巨大で、あまりにも凄過ぎた。それは正に、炎の塊だった。
 咲くなんて可愛らしい言葉では足りない。炎の塊は弾けて夜に大輪を作る。異常なほどの近さと大きさと炸裂音は、腹を貫くような炸裂音を出す。咲いた大輪は数色に変化して落ちる。火花の一つ一つは、紛れも無く火の塊だった。
 俺たちは感動した。間近で三号玉でも上げたような迫力と、あまりにも鮮やか過ぎる花火に。そして感謝した。『特製』花火を仕上げてくれた遠坂に。
 花が咲き終えた。月下美人よりも短命の花は役目を終え、花びらを散らす。大きさにして大人の拳大ほどの火花が落ちる。大輪の上を作っていた火花は空中で消えたけど、下の方だった火花は消えずに落ちて来る。
「おおぉぉぉ!?」
 遠坂凛は腕だけ見れば一流の才能持っていて、属性は五大元素であり、遠坂家が得意とするのは流動と転換。そんな彼女の特徴はここ一番で失敗するという、呪いにまで発展したような癖を持っていること。なんて、結末――。
 その日、衛宮家の裏庭に生える草がほぼ全滅し、家屋が一部焦げた。感動を返せって言うか、修理代をよこしやがれ。
 夏でも燃えちゃだめだろ、サマー・ナイト・フィーバー。



浴衣と夏祭と花火



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